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ピアノ練習日記 2022/09/19 Chopin Op.28-21和音のレガート

和音のレガートがとても難しい。
「タッチが強くて音が独立してるのがいいところでもあり、課題でもあるかなぁ。でも、強い自己主張的なタッチは○○の個性かもしれない。性格が出てるね。音がブツブツ切れてしまってるからひと続きの中のフレージングとフレージングの間の一瞬の間も音楽になるようにしていこう。特にこの曲は左手の抑え気味な和音のレガートを練習できると思うよ」
と、先生である妻に言われた。

バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスあたりが向いているタッチかもしれない、そう言われながら、ショパンのプレリュードop.28-21をずっとひと続きの音楽になるようにどうしたら作れるのか悩みながら譜読みしていた。

バスのF ♮ E♭EDCB

バスのF ♮ E♭EDCB に着眼。

和音のレガート。書いてあるとおりの運指を考えずに弾こうとするとバスのCでブツっと切れてしまう。 

CからBへ移動するとき5で弾いているCを3で押さえ直してBを5で弾くと和音のレガートが繋がった!

ポゴレリッチがかなりスローテンポに弾いているのでわかりやすい。同じ運指かはわからないが、彼は繋げるための運指でこんなふうにクネクネさせていたのだな、と納得してしまった。

バッハの平均律BWV847プレリュードと比較するとかなりスローテンポのショパンのプレリュード21番。
音楽性を持って弾こうとすると、左手の和音のひとつのフレージングのコントロールが非常に難しい。

控えめな和音レガートの左手、内声は控えめながらも表情豊かに。

何度も何度も何度もイメージトレーニング中。

コントロールがこんなにも効かない左手。

とてももどかしいこの数週間。

控えめに左手和音のレガートのクレッシェンドに表情をつけるのが今の課題
ショパン プレリュード op.28-21

静かで気まぐれに始まる出だし。
バッハと違い、華やかでスノッビーでブルジョワなサロン感を出したい。
決して弱々しいものとは違う。

僕のイメージはサンソン・フランソワなんだけれど、とても難しい。

けれど、そうしようとすると、病的な弱々しい和音になる。

強い自己主張的タッチ。

利き手は右手だから、コントロールも未熟ながらなんとかできるけれど、利き手ではない左手は、僕の性格そのものかもしれない。

どうしたらひとを引き立てるように徹することができるんだろう。

あまり、ひとを引き立てる、なんて考えたことがない。

中学生の頃、テニス部だった。
クラスの女の子が同じ部活で、非常に短い英文でその日の感想を部活の日誌に書き始めた。
「いいな、俺もそれやってみよう」と、その子の書いた文の下に、僕も書き始めた。
僕自身は競っているつもりも負かそうとなんて思ってもいなかった。一週間も経たずに、その子が書くのをやめてしまった。
「今日、まなちゃん(仮称)書いてないじゃん、いつものやつ」
「うーん、○○が書くなら、そっちの方がいいし、私のはどうせ必要ないし、やめとく」
そんな感じの言葉を交わして、彼女の友人から「○○がドヤ顔で書くから」的なことを言われた。

誰かに影響されて、僕もやってみる。ドヤ顔したかった訳じゃない。シンプルにやってみたかった。
けれど、そういうのは誰も知らない場所で誰も比較できない場所でやらないと、多分、いけないことがほとんどなのかもしれない。
あるいは、そんなことを気にする必要などないかもしれないけれども……。

当時から、自己主張強くデリカシーもない僕がそんなことを考える余裕はなかった。

いま、左手のコントロールに求められるのはそうした協調性と自制心と思いやりかもしれない。

しかも、決して弱々しくなく、ある程度意志を持ったまま行わないといけない。

和音、ハーモニーのなめらかなひと続きののレガート。

作れるように少しでもなったら、僕の中で何か変化しそうな予感がする。

和音のレガートができるようになり始めた朝。

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