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対称性の破れの果て 序章

序章
書物に含まれる数々の弱点は、往々にして、実現されえなかった空しい意図の代償である。
『差異と反復』ドゥルーズ

差異化=微分化は潜在的な内容の規定だとしたら、積分化とはそれらを現実化するプロセスとドゥルーズは例える、現代的な哲学だ。

ここで解析屋なら高速フーリエ変換(FFT)による解析の波形を思い起こして、月曜日を呪いながらまだ土曜日が終わっていないことに安らぎを覚えるかも知れない。あるいは、理工系の学生なら積分定数のことを哀れに思いながらも、単純に特異曲線の重なる領域を思い浮かべて解曲面のコーシー問題の解を考え始めるかも知れない。あるいは、何かの音楽を思い浮かべる人もいるかも知れないし、今朝のプロテインのことや筋繊維の細胞膜のことを考えるかもしれない。

構造設計屋の僕はFFTのことを考えていた。来週末のZoomミーティングでどこまで安全性を保ちながら、構造上問題なくコスト削減のために、どれくらい構造用合板と柱用木材が削れるか、報告しなければならない。

現在、一般住宅の木造建築において、構造計算がシビアになるのはある一定の建坪からとなる。裏を返せば、毎回、構造計算のチェックがなされているか?というのは色々とあり、一般住宅では厳密に行われているのは稀かもしれない。2025年の省エネ基準適合義務化に向け、構造基準の整備を一般的な木造住宅でも取り組んでいる、というのがSDGsにのっとった循環型企業理念を掲げるマッスル建設(株)のアピールポイントだった。

コロナ禍、湘南方面の一戸建てを求めて都内からの移住者も増加傾向にあり、マッスル建設は好機を逃すべからず、と意気込んでいた。彼らの既存の注文住宅含め、設計にも手を入れて、「湘南方面なら省エネ、高気密、安心安全設計。循環型企業を目指すマッスル建設」と認知度をあげようとしていた。そこで僕のところへある日マッスル建設から構造設計の見直しをして欲しいと依頼があった。

その頃の僕はまだ現場での施工管理がメインで構造設計に携わってまだ2年、前のゼネコン会社、清水寺建設を退社してから一年が過ぎた頃だった。
清水寺建設では月間残業時間平均160時間が一年半続いた。それでもまだ生きてるだけマシかもしれない。何人かは空へと墜落していった。しかし遂に僕は中二病を発症した。僕は人間らしさを取り戻す為に退社した。今ではそれもいい思い出かも知れない。何しろ資格試験用の専門学校代も会社が持ってくれたから。

とにかく、そのようにして、僕は実家に戻り、あまり前のゼネコンにいた時と変わらぬ仕事量で、家業を手伝っている。常に脳内は何かをFFTして解析された新たなデータを右側の奥歯に詰め込んでいる。
マッスル建設からの打診を左奥歯で聞きながらぼんやりと筋肉トレーニングのことを考えていた。

僕の自我はやがて極限まで細切れに微分化され、同時に積分化され直し、変な積分定数を常にぶら下げて、ひとつ前の僕とは似ても似つかぬ、非対称な関数として現れる。永劫回帰的、あるいは、再帰的に<ワタシ>を作り出すとは、ソウイウコトナノダ…

──第一章へつづかない

この物語はフィクションです。
団体名等は全て妄想です。

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