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とるにたらないこと2022/12/11 恋愛論② 誠意と卑怯の永劫回帰

誠意と卑怯の永劫回帰
※この文章は何の役にも立たないこと、フィクションでもあることをはじめに断っておきます。
この物語はフィクションです



 私はいつか博愛主義と言っていたと思う。博愛を考えなければ私の失態を晒すだけになる。

そしていくつかの条件を満たさないと男女問わず性愛対象になりうる可能性がある他者とは、私の場合は、友人関係は結べないとも書いた。
20代後半の私の経験からでしかないのも手伝ってかなり偏った考えだろう。第一に、本来ならば、私はそうしたことを書ける立場にない──私は窓の外の濃霧の夜を見ていた。窓枠のあたりにヘアー・ブラシが置きっぱなしになっていることに気が付いた。なかなか車から降りてくれなかった友人Aの影に思えた。



 特定の彼女を作らない──傲慢でくだらない考えを持っていた時期があった。当時、Aは、そうした私の考えが変わるまで待つと言ってくれた。
お互い誰にも縛られず、友人関係の上でお互いの肉体的欲望を解消するだけの行為になったとしても文句をお互いに言わない、という約束をした──つまり、お互いに無責任で都合の良い関係である。


けっして思わせぶりな態度ではなかったと思う。

私はAと何も共有し得ることがなかった。
仕事の業界もまったく違う。
休みが合わないけれど、私の休みの日に何も予定がないだとか、何となく性欲を解消したいだとか、そういう時だけ連絡していた。
対してAは予定があっても私のために全てキャンセルし、私の指定した時間に会うようにした。

Aがやってきて私のボロい寮の部屋に泊まる。
やがてAは私の部屋に日用品を置き始めた。──歯ブラシ、洗顔フォーム、化粧水などの化粧品、香水、シャンプーとリンスとトリートメント。
部屋着と下着。
ピアスとヘアー・ブラシにヘアー・ゴム、生理用品──段々と私の空間がAの影によって侵食されていく。
私はA自身ではなくAの影に嫌悪感を抱きながらも、そのことには一切触れなかった。

Aは私が会いたいというとすぐに来てくれた。
断られたことがなかった。じゃあもうそれは付き合ってるでしょ、となるかもしれない。けれども私もAもそういう関係ではない、と認識していた──少なくとも私は。


 ある日、私の他の友人とそのまた友人Bとで飲みに行った。
翌日、Bは私を夕飯に誘ってくれた。
その少し後、映画に、散歩に、つまりBは私をデートに誘い続けてくれて、特定のパートナーがいない私は遊びに行った。
何度目かのデートの後、Bは終電を逃して私の家に泊めてくれと言ってきたから泊めた。肉体関係も持った。
 Aの日用品を見たBは、それとなく私に彼女がいるのか?と聞いてきた。
私は別に彼女ではなく友人関係にあると言った。
Bはそれを何とか納得した。私はBと都合が合うとき会うようになった。
BはAの日用品を使った。性交中に生理がきて、Aの影から生理用品を探し、無事にシーツを汚しただけで済んだ。
 Aは当然それに気付いて、嫉妬した。
私はAにBのことを話した。
Aは何ということもなさげな反応だった。ただ日用品を使わせないで欲しいということ、生理用品は使ったら補充して欲しいとだけ言った。それ以降もAは私が連絡したらきてくれた。

Bは私とAが婚約関係にあるとすら勝手に思い込み始めていた。
それにもかかわらず、Bは私と会い続けてくれた。
 Bがある日、
「わたしって〇〇くんにとって何なの?」
と聞いてきた。
私は友人だと本当のことをいった。
それ以下でもないしそれ以上でもない。
初めの夜に伝えてもあった。Bはそれを聞いて、「じゃあAさんは?」と聞いてきた。
Bと同じだと答えた。

わかってもらえないだろうけれど本当に友人関係であるとしか私には思えなかった。
情熱などという純然たるものは私の中にどこにもなかった。

そしてそのことをAもBも納得済みである──私は私に都合の良いよう身勝手に思い込んでいた。

やがて、AとBが何故か二人で私の部屋にやってきた。

「Aさんとお幸せにね」と言いながら、ありとあらゆるものをぐちゃぐちゃにして、部屋を出て行った。
私はAに手伝ってもらい嵐の跡を片付けた。自業自得だと納得もしていた。

Aだけが部屋に残った。

それからさらに一年近くがたった。
無邪気で私とは正反対のCに出会って、私は気が変わった。
Cのために私は誠意を持つと決意した。それで私はAに「もう会わない」と言った。
Aは私の気が変わるまで待つと言った。

最低の人間だとわかっている。「
二度と会えない」と、Aに言った。
日用品を全部持ち帰って欲しいとも言った。Cのことは言う必要がないと思った。


 Aが日用品を取りにやってきて、私は車で自宅マンションまで送った。

マンションの前で私はAが降りるのをただ待った。
これでCときちんと付き合える──ただそれしか頭の中にはなかった。

Aに私は降りないのか尋ねた。
Aが黙りこくってむせび泣き始めた。
私は車のエンジンを切り、ただひたすらに謝った。
それは車を降りないことをこれ以上待てないことに対する謝罪でしかなかった。
「離れたくなかった」──そう何度もAは私に抱きついて繰り返した。
私は面倒になり、車のエンジンをかけ直した。
何の興味もない相手の身体は嫌悪の象徴になってしまっていた。落ち着きを一旦取り戻し、Aは車を降りた。
 

数ヶ月後、私はCと付き合い始めていた。
Aから唐突に連絡がきた──妊娠3ヶ月であると。
それで私は呆然となり、Aと彼女のマンションで会うことになった。
彼女は私に誓約書を書かせた。

「出産後、DNA鑑定で父親と判明したら認知すること、
養育費を払う方向で話し合いに応じること」


私はそこに母印を押し、サインもした。

Cにはその事を言わなかった。

それから一年近く、私は苦しんだ。因果応報だ。

 Aからある日の夜、LINEが届いた。誓約書が破かれている画像とメッセージが送られてきた。
私はAの妊娠が嘘だったことを知った。
多分、私に嘘だと教えてくれたのは最後のAなりの私への優しさだったのだろう。
私は安堵の天上に酔いしれた。

私はこうしてCには何も言う必要がなくなり、Cと結婚した。
私は日々、聖人君子並みの偉そうな言葉を連ねて、過ごしている。

 単身赴任もひと月が経った。私はDと出会い、かつてのAの影を思い出した。
日用品を私のホテルの部屋には置いて行かないように徹底してもらっている。

枕のあたりは毎回、髪の毛が落ちていないか、注意深く確認してもいる。何が起こるかわからないからだ。私はかつての私の痛々しい経験から学んだ。AともBともたまに話す程度の友人で関係も良好だ。男女の友情には懐疑的であるが、一度破綻してからなら成立する。



 以上はフィクションである。
主人公の語り手は、自分が自己欺瞞に陥っていないと確信しながら、別の角度でみれば、明らかに卑怯者で何ら誠意がない。
こういうくだらない男もいるにはいる。
そのうち天罰が下る。
フランス文学者、アニー・エルノーに共感を覚えるのはこのように自己中心性極まりない情事であっても、それでも恋愛かもしれないと思う節が私にはあるからかもしれない。
男女問わず、性愛関係の可能性がある対象との友人関係はなんとも言えない。
私の娘が今日2歳になったが、こうした男には引っかからないようにしてあげたい。
非・日常的生活とは、誠意のかけらもなく卑怯この上ない想い出を感傷的な綺麗事に仕立て上げるときがある。
私は窓枠からヘアー・ブラシを片付け、枕元を注意深く確認した。

この物語はフィクションです


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