愛するとは 信仰心
コルベ神父さまはフランシスコ修道会の司祭で、若いユダヤ人の身代わりになってお亡くなりになった。
聖書の中にコルベ神父さまの写真が栞がわりに挟んであるのをnoteの他の方の記事を見て思い出した。
絶望の中であっても他の人々たちのために祈り続けた神父さま。
小学生の頃、アンネの日記を読んだことを日曜学校の教会で神父さまに意気揚々と伝えたら、神父さまがコルベ神父さまのお話をしてくださった。
コロナ禍、イタリアの神父さまが祈りを先導し亡くなられるケースもあった。
見ず知らずの誰かの為に犠牲になると考えるか、友の為にと考えるか。
信仰を持たない人々にとっては前者かも知れない。
信仰を持つ人々にとっては後者であり、友の為の犠牲は大きな愛である。それでも中々そうしたことはできない。
聖書をしばらく開いていなかったので、数ページ眺めていた。
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