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旅先から

これは今旅先で書いています。
そうです、私はついに家族旅行という念願の充実した連休をとることに成功したのです。
新婚旅行すら連れていけていないから、というかなり親父にとっては理不尽な理由で強引に説得しようとしましたが、なかなか良い反応がありませんでした。最終的には妻のシモーヌ(仮称)大佐が、ハニトラを仕掛けて、あっさり承諾。

私は家族である小さな池にある白鳥を見に行くことにしました。

「私は白鳥」ドキュメンタリー映画
監督 槇谷茂
ナレーション 天海祐希
解説 
富山県にある白鳥の越冬地を舞台に、怪我をして飛べなくなってしまい群れに置いて行かれた白鳥と、それを見守る男性を映したドキュメンタリー。自然と人間の関わり方や、人間が自然に介入することについて、白鳥とそれを見守る男性に迫ることで改めて問い直す。

ストーリー 
秋になるとシベリアから越冬のため白鳥が飛来する富山県。
しかし、羽に怪我を負い飛べなくなってしまった白鳥がいた。
白鳥の記録を撮り続けていた澤井氏は、それに気づき、餌を与え世話をし始める。
季節は移り、手負いの野生の白鳥には過酷な夏がやってくる。
私は白鳥

ドキュメンタリー映画化される数年前に、ある方からこの池で起こった翼の折れた白鳥の実話をお伺いしました。実は、2年前の今日、──当時、遠距離恋愛中おまけに冷却期間中でしたが──その話を私は数か月ぶりに会った彼女に話していました。

「飛びたい」
という願いや希望を忘れないでいればきっと飛べる。
飛び方を忘れてしまっていたり八方塞がりだったりしたとしても。
そんな風なことを彼女に話したと思います。

この旅先を選んだのは、どうしても、彼女に今この白鳥を見せたかったからです。2年前も彼女はある事で悩み続けていましたが、今はそれとは比較にならないほど彼女にとって精神的にとても厳しい状態かもしれません。
彼女の家族や彼女を通じて知り合った友人たちが、今、時事問題の起こっている両国にいます。私自身、あまりに平和ボケしていたため、無限にできることがあるにもかかわらず、ありきたりのことしかできておらず、もどかしさでいっぱいであったりもします。

いつかの白鳥の話がドキュメンタリー映画として公開されていることをつい最近まで知りませんでした。予告編で、おじさんが「がんばれ、がんばれ」と飛ぼうとする白鳥に声をかけていたり、他の白鳥たちが傷を負った白鳥をのけ者にしようとしているかのようなときに「おねがいだからいじめないで」と声を出していたりするシーンを見ていて、色々なことがオーバーラップして、稚拙な表現かもしれませんが、おじさんと白鳥のふたりが私たち家族の様々な想いを代弁してくれているような気持ちにもなり、感情が揺さぶられました。

だからあの白鳥に家族で会いに行ってみることにしたのでした。

家族で訪れた2022年3月22日。
残念ながら、白鳥は既に北の方へと移動してしまった後でした。
TOPの写真はその場にいらっしゃった見知らぬ方に頂いた今年の2月の写真です。
白鳥には会えませんでしたが、その代わりに立山連峰の荘厳な山なみを眺められたり、沢山の鴨を初めて見る娘が驚きながらも、喜んでくれたり、と思いもよらぬ、偶然からの収穫もありました。

偶然というのは、本当に偶然かもしれない、あるいは必然かもしれない。
「運命」は、そうした偶然と必然の曖昧さの中で、突然閃光となって天と地の間の<私>と<他者>を結ぶ、あるいは、絆を強固なものにすることがある。
少なくとも私にとって、3月22日はそういう日なのです。

想い出を作るのが目的ではなく、振り返ってみると、沢山の偶然の積み重ねがいつしか必然という形に変えていたり、そうして積み重ねられた想い出があるのが人生であり、その想い出があるからこそ、今を乗り切れるし、次への希望を持つ原動力にもなる。
これでもかっていうくらいの大きなことが人生の目の前に立ちふさがって、前を向くことが難しくなった時期が長く続いたとしても、諦めずに希望を持ち続ける。
誰かが手を差し伸べてくれることもあるかもしれない。
私は家族のそうした希望を持ち続けるための何かでいたい。

希望を持ち続けられるように誰かがサポートしてあげることがとてつもなく大事だと痛感させられる日々。

またこの池に来るときは2月あたりを狙ってみようと思います。

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