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犬の心臓

『犬の心臓・運命の卵』
ミハイル・ブルガーコフ
増本浩子/ヴァレリー・グレチュコ訳
出版 新潮文庫 平成27年12月発行版

はじめに

「原稿は決して燃えない」という名台詞で有名な『巨匠とマルガリータ』作者の現在のウクライナ、キエフ出身、ミハイル・ブルガーコフの中編小説を読んだ。
ブルガーコフは反体制的作家と見なされ、生前も発禁処分を受け、作品が出版されるようになったのは死後26年も経ってからである。
また、本書に至ってはさらに経過した50年近くの時を経て出版された。

今回は表題作の感想。

あらすじ

帝政ロシアからレーニンによってソビエト連邦が建国された1922年。
黎明期ともいえる1924年と1925年が舞台となる。
主人公は、野良犬コロ。
そのコロがモスクワの天才的外科医、フィリップ・フィリーパヴィチ・プレオブラジェンスキー教授(ブルガーコフの叔父がモデルと言われている)に拾われる。フィリップ・フィリーパヴィチは科学のユートピアを追求するがごとく、コロに人間の脳下垂体と睾丸をコロに移植し、コロは犬から人間コロフと変貌を遂げる。

犬のコロが教授に拾われた1924年はどんな年だったのか?

1922年に帝政ロシアはロシア革命によって崩壊し、ソビエト社会主義共和国連邦が建国された。
1924年、レーニンが死に、ソビエト社会主義共和国連邦憲法が制定された年である。
1924年12月23日、コロは手術を受ける。
1924年12月25日、カトリックでのクリスマスの日、瀕死で息も絶え絶えとなるコロ。
1925年1月7日、奇しくもロシア正教でのクリスマスの日、コロは回復し、沢山の言葉を口にする。

体制への風刺

粗野で悪魔的あるいは「人間的」コロフは新体制の社会に上手く適応していく。
下層階級の無教育な人々が突如として新体制下でプロレタリアとしてパラドックス的に支配階級へと逆転する皮肉な社会を鋭く風刺している。

もう慣れてしまったし。ぼくはブルジョワの犬で、インテリなんだ。いい生活を味わってしまったんだ。自由なんて何だって言うのさ。煙のような実態のない幻、虚構だよ。不幸な民主主義者たちの病的な幻想さ……

『犬の心臓・運命の卵』M.ブルガーコフ 新潮文庫 p89

しかし、物語はユートピアの言わば自明的な末路を描き出す。
この中編小説は、当時のソビエト連邦の科学至上主義的な共産党の方針「科学の発展による全人類の明るい未来」といったユートピアを目指すような標榜を強く批判している。
当然ながら、彼の原稿はソ連治安機関によって没収された。
そして、表題作が出版されたのはブルガーコフが亡くなって50年近く経った1987年以降である。

古臭さはなく、むしろ現代の贅沢な暮らしの習慣から抜け出せないままに理想を謳いながら自らを不自由にし、ある意味暴力的な我々を考えさせられる。

ミハイル・ブルガーコフ 略歴

1891年5月15日ロシア帝国キエフにて誕生。
キエフ大学で医学を学び、白軍の軍医としてロシア内戦に従軍した。
内戦期には、キエフはウクライナ人民共和国、赤軍、ウクライナ国、ドイツ帝国、
白軍につぎつぎと支配を受けた。
ブルガーコフは友人らとともに多くの軍隊勤務を命ぜられている。
特に、最後に従軍した白軍の将軍アントーン・デニーキンは有名で、
ブルガーコフは彼の南ロシア軍に従軍してチェチェンやヴラジカフカースへ遠征した。

キエフを深く愛したことが有名で、『白衛軍』(群像社)は自伝的長編小説である。
代表作は亡くなる直前に完成した『巨匠とマルガリータ』

1940年3月10日48歳にて亡くなる。


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