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とりとめのないこと2024/01/25-02/02
この息苦しさは、彼もすでに経験して知っていた。僕ら操縦士の仲間なら、誰も皆知っている気持だ。僕らの目の中をさまざまなものの姿が去来する、中の一つが僕らを捕場にする、するとそこに見えるその砂丘の、その太陽のその沈黙の、あるがままの重圧が、僕らにのしかかって来る。僕らの上に、別の一つの世界が下りて来たのだ。
すると僕らには、自分たちの力弱さが感じられる、僕らに具わるものといっては、わずかに暗闇の中に羊を追う身振りだけしかないことに気がつく。僕らには三百メートル先までしか届かない声、それも誰の耳にも届かない声だけしか武器として具わらないと気がつく。僕らの仲間は誰もみんな、いつか一度は必ずこの未知の砂漠という世界に不時着した経験をもっている。
新潮文庫
p293-294
見渡す限り、山々が連なり、氷河の名残とともに牧歌的でのどかな風景が広がる。見通しのつかない長きにわたる争いや一部の権力者たちの金への執着とは縁のない世界線の空間に放り投げられたうさぎになった気分だ。空と大地との境界は夕暮れどきには曖昧になり、夜は静かに星々が囁き合う。朝になればくっきりと峰々が線を描く。スペイン側から見る限りは、なだらかな稜線だが、フランス側から見ると断崖絶壁が続く。ここでの秩序は気の遠くなるほどの歳月をかけて自然が織りなした結果がほとんどで、ひとの関与する余地はほんのわずかに過ぎない──今週、僕はモンテ・ペルディードという山近くに仕事で来ていた。
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夜明けとともに、中古で仕入れた黒のモンクレールのダウンを羽織り、ジッパーをしっかりといちばん上まであげて、さらにオレンジのヤッケをその上から羽織る。気温は氷点下──厳しい寒さの中、朝焼けの山を見ると、どうしてだか、そのようなことや、遠い祖国や他国の事情もどうでも良くなり、手垢のついていない真新しい今日に立ち向かえる。気分が新鮮な空気と寒さと太陽によって高揚されるのだ。
一泊60€ほどのかわいらしい民家のようなユースホステルで寝泊まりし、朝晩と自炊していた。
ステンレスの魔法瓶にコーヒーを淹れる。にんにくを叩いて、玉ねぎと唐辛子をみじん切りにし、オイルで炒めて、そこへさらにバターを少し入れる。みどりのアスパラガスと塩漬けのベーコンを炒めて、パンに挟み、マスタードを適当にかけて、ラップし、リュックサックに詰め込む。
詰め込んでいると、冬のある日を思い出した。妻はロシア出身だが、母国の戦争のことで家族と色々とあり、しょげていて、朝、ごはんを作ることが難しいときがあった。それで、僕が作っていると、彼女が起きてきて、「ありがとう」と一言言って、また寝室に戻っていく。その時の、彼女の〈声〉を僕は思い出した。天気がどうとかでもなく、台所の風景と彼女の〈声〉だ。
表情はお互いどうだったか、覚えていない。思い出そうと思えば、数秒で思い出せる。
けれど、〈表情〉よりも〈声〉が先に思い出されるのだ。
無論、彼女は今も彼女なりに僕の不在の家で娘となんとかやっている。
この記憶の辿り方の秩序は、死者についてになると、もっと、くっきりとする。
はじめは、〈声〉と〈風景〉、やや時間をかけて〈表情〉、と。
それは、僕が僕に押し付けた秩序ではなく、あくまでも、僕なりに歳を重ねてきた結果からくる現象でしかない。
本来、秩序は動から静への結果であり、原因ではない。
このことは、僕個人だけの記憶の辿り方の秩序ではなく、自然界の秩序もそうであろう。
長い歳月をかけて、何らかの秩序が結果として現れ、人間に突きつけてくるのだ。
ある意味で抗うことのできない、自由が担保された秩序だ。
今の現代文明におけるありとあらゆるイデオロギーや国はどうか、というと、秩序を押し付け、原因とし、根拠と勝手にされて、自由の欠如を促す。
結果としての秩序は自由が削がれることなく、原因としての秩序は自由を削ぐ。
ミラン・クンデラは『存在の耐えられない軽さ』でEs Muss Sein と繰り返すテクストを用いている。
まるで、秩序を原因とし、押し付けたあの時代の共産圏の風潮を表現しているかのようだ。
人間による自由を削ぐ権力や覇権争いの末の秩序は醜く残酷極まりない。文明が発展し物が豊かになればなるほどその秩序に対して隷属的に振る舞うことを強いられる精神の貧困。
ところで、ひとというのはなぜか大なり小なりつらい状況下であれ、子どもの頃の〈風景〉にしがみつきたくなるときがあるのはどうしてだろうか。
そうしてしがみつくと、感傷が膨らみ、そのやさしさに溺れることのいかに居心地の良いことか!──自然はロマン主義者の僕の感傷を一蹴し、感傷の排除された音、声、風景を静かに僕の目の前に提示し続ける。いずれにせよ、否応なく、前へ進むことしか、できないのだ。
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「愛よりも大きな義務の力」で人命のために秩序を守る『夜間飛行』のリヴィエールと自然界の抗えない力、そして、著者サン=テグジュペリの行動あるのみという行動主義的でありながらも思索者の側面が如実に出ている『南方郵便機』やバイタリティと美しくも厳しい砂漠の果てに見出す生へのしがみつくような讃歌の『人間の土地』。
昔、よく読んでいた文庫本を内ポケットに携え出かける朝の冬。
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