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とりとめのないこと2023/03/20 185日目の一日一篇須賀敦子───須賀敦子さん没後25年に寄せて

一通のメッセージ───「おはよう。
ご存知かもしれないんだけど、今日は須賀敦子さん没後25年の命日とのこと。
須賀敦子さんが書いたものはまだ読んだことがないけど、ひろくんのおかげで、ぐっと距離が縮まったと思っているので、感謝してます。
良い一日を」
今日で須賀敦子さんが帰天されて四半世紀経った。そのことに気がつかないでいたら、朝の出がけに何処となく爽やかなメッセージが届いていた。

午前中から僕は某会のA先生と内科のB先生と仕事の打ち合わせのため、とある大学病院のリハビリセンターの一角にいた。まだ暖かいとは言い切れない弱々しい太陽が窓から差し込んでくる。

「何を読んでらっしゃるんです?」

会議の長い休憩中、僕が須賀敦子全集第四巻を読んでいると、A先生が尋ねてきた。

「須賀敦子さんってご存知でしょうか?」
「いやぁ、存じ上げません」
「僕も知らないです」
と哲学好きなB先生が興味あり気に覗いてくる。
「イタリア文学を日本語に翻訳されたり、日本文学をイタリア語に翻訳されていた方なんです。その方のエッセイが好きでして。こんな方です」

僕は表紙の裏に載せられた優しく微笑む須賀敦子さんのお写真をおふたりにお見せした。

「お年を召されていても随分知的そうな感じの方ですね。そういえば、八十代の杖をいつもついていた方がいらして、プールでのリハビリを半年ほど続けたところ、その方、今では杖なしでシャキッと歩いてらっしゃるんです。なんだかそのお姿に私も元気をいただくことがあったのを思い出しました。須賀敦子さんか、ふうん、なるほど」

僕が初めて須賀敦子さんを知ったのはもう何年も前になる。須賀敦子さんが翻訳されたアントニオ・タブッキの『遠い水平線』が僕と須賀さんの文章との最初の邂逅だった。
タブッキの『遠い水平線』はそれから何度も読み返している。

ものにはそれ自体の秩序があって、偶然に起こることなど、なにもない。では偶然とは、いったいなにか。ほかでもない、それは、存在するものたちを、目には見えないところで繋げている真の関係を、われわれが、見つけ得ないでいることなのだ
『遠い水平線』 アントニオ・タブッキ 須賀敦子訳

昨年、9月17日から始めた須賀敦子全集を一日一篇だけ読み、読後感想を短くまとめるというルーティンは、今日で半月以上、日数で計算すると185日間続いている。

須賀敦子さんの全集を最初に手にとったときはせいぜい、全四巻くらいだろうと思っていた。
裏表紙を見て、第八巻+別冊があることに気がついたとき、少し唖然としたものだ。

須賀さんにまつわるご本

どんなに短くても、それがたとえ一ページだとしても、そして、どんなに長くても、一日一篇大事に読むことを僕の中で決めている。
そのため、第八巻に辿り着くのは今年の夏を過ぎた頃だろう。
全集の終りに辿り着いたとしても、須賀さんにはとても辿り着いたとは言い切れないのは、わかりきっている。それでも僕はこの山道を歩くような読書がとてもかけがえのない愛おしい時間になっている。

聖書の詩編では、鹿が谷川の水飲みや水浴びを慕ってあえぐかのように魂は神を慕いあえぐ、と書かれている。

鹿が谷川の水を慕いあえぐように
神よ、わたしの魂はあなたを慕いあえいでいます。
詩編42 聖書 フランシスコ会

この半年の僕は、神という言葉を須賀さんと置き換えてもよいほどに、須賀さんの書き残された文章にすがるような思いで読んでいるときもある。

去年から今年にかけての二ヶ月に渡る海外出張の際も、須賀さんの本を連れて行った。

『ザッテレの河岸で』から僕は亡命詩人ブロツキーのエッセイを知った。
ちょうど出張先が東洋のヴェネツィアともあり、僕はこの本に運命を感じることとなる。

こうして、須賀敦子さんからさまざまな本を知っていく過程で、ユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』とブロツキーの『Watermark』は僕に確実に何かの翳りを落とした。
また、ギンズブルグの『家族の会話』を読むことに至ったのも須賀さんのエッセイからだった。

高い知性と豊かな教養、気高さ、品の良さ、物事の中心をまるで詩人がするみたいに掴む力……。
これらすべての類稀なる総合的な力と透徹さと、そして愛を兼ね備えた須賀さんが翻訳されたものは、書き手そのもの照射する光としての須賀さんによって、読み手に深い印象を残していく。

須賀さんがエッセイ───交流あった人々やその土地───を描いたり、読んだものを書くとき、対象の存在した空間と時間と対象そのものへの愛や慈しみが流れている。
須賀さんの文章は、時々、空間に散らばる立体的な街並みが時を超えて僕の中で建造されてゆくような感覚を覚える。

そのため、彼女の知的エレガンスは決して刺々しいものではなく、とても優しい。

言葉ロゴスというのは神であり愛である。
魂がそこには在り、いつでも僕は須賀さんと一緒にいるような心持ちがしてならない。
ここ最近とくにそう思う。
書いたものがそのひとそのものでもある、と僕はいつも思う。

僕の心の片隅にいつも須賀さんがにこやかにされながらも諭すかのように僕の心を見つめて佇んでらっしゃる─── 僕だけの言葉で須賀さんに語りかける日々。

さまざまなひとたちとの肉体的永遠の別れや僕の過ちや罪から懺悔し受けるべく罰を全うしなければならぬ現実との向き合いの中で、僕の肉体が朽ちたとき、いかほどの僕の言葉が僕として生きることが叶うのだろうか。須賀さんが帰天され25年経っても彼女の言葉は僕の中で生きている。
僕を「いま」と「過去」と「これから」のあいだで大地にしっかりと繋ぎ止める朝の陽光のように。僕は新しいものや、すぐに理解できてしまう消耗的なものが苦手だ。
使い古されたものを自分だけで掬い上げたかのように見せかけられているようで、そしてそうした上澄みは薄い朝の霧みたいにすぐ消えてしまうようで、好きになれないことがある。
古くても、たくさんの誰かにとっくの前から掬い上げられていたとしても、たとえ難しいことだったとしても、僕だけの言葉でそれらを僕の心に繋ぎ止めて陳腐化されないきちんとした教養として蓄えていきたいたいから。
ところで、B先生は極めて多忙なのだが、彼の知への貪欲さや把握力や倫理観についての視座の高さを少し羨ましく思うときがある。どうやって勉強しているのだろうか。今度お会いしたときに聞いてみようと思う。

今日の一日一篇は地中海にゆかりあるタブッキ、池澤夏樹、サン=テグジュペリを三つの青の翳りと評されてらっしゃった。僕は、そのことについてまったくその通りだろうと思うけれども、深い陰翳をくっきりとさせる須賀さんの優しい陽の光がそこに投影されているようにも思える。
明るい陽射しであればあるほどに、建物の落とす翳りというのは漆黒を深くする。また、その深い青みによって陽射しのすじが見分けやすくもなる。須賀さんが提示し続けてくれている翻訳やエッセイなどはその陽の光そのもののような時が、僕にとっては、ある。

須賀敦子さんの書評から、たくさんの僕のまだ知らないでいる書物が出てくる。僕なりに細く長い道のりだけれどそれらも読んでいきたい。

だれかの恢復しようとする姿は他のだれかを意図せぬまま励ます───古びても使い古されることのない言葉の持つ力にもそうしたところがあるように思う。須賀敦子さんの言葉は25年以上前に書かれたものだ。それによって優しく励まされるひとを新しくこうして僕のように増やしていく。
夕方、帰り際、リハビリセンターの窓の外は西陽が垣根の緑を深く濃くして水平線をつくっていた。その線を水平に見つめる。

雪溶けの少しぬかるんだ真新しい土を微睡ながらも少しずつしっかりと踏むのは勇気がいる。僕が何かを書くときは、そのような感覚かもしれない。それを手探りで一歩一歩、優しく透徹な視線で見守ってくれているかのような須賀敦子さん。一通のメッセージが爽やかに響いたのを思い出した───「おはよう」。僕は僕の言葉を持ってそれを抱きしめるかのように、須賀さんのように足にぴったりとしたぱちんと留める柔らかい革靴を履いて*、春の到来を軽々とあの線を超えて、まだ見ぬ大地に送り届けられたら良いのだけれど。

春なんだ。僕の大好きなブラームスのインテルメッツィオをザッテレの河岸で聴きたい、ふとそんなふうに思った。

*『ユルスナールの靴』須賀敦子全集第三巻

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