見出し画像

そりゃないぜ新日本!

妄想する気も起きないです。

1.5の大ブーイングをまさか大成功とでも思っていたのですか?
今、世界がどういう状況で、プロレスに求められている役割が何なのか。
待ちに待ってやっと無観客試合がスタートして、客入りも再開されて、さあこれからみんなに元気を与えていこう、という時でしょう。それなのに。セミファイナルとメイン。何ですかあれ。ベビーフェースが負けるのは仕方ないけど、あれでは悔しいとかここから這い上がろうと思う前にただつらいだけです。虚無感にすら襲われます。結局は人生ズルした者勝ちかって。

4月におこなわれたWWEのレッスルマニアは無観客でした。
業界最大のイベントです。新日本でいうなら1.4ドーム。収益のことだけを考えたら延期でしょう。でもWWEはあえて時期をずらさず、無観客で決行しました。どうやら「プロレスで人々を元気にしよう」ということでオーナーのビンス・マクマホンが開催に踏み切ったらしいのです。私は数試合しか見ていないのですが、確かにベビーフェースの勝つ展開が多く、負けるにしても変なモヤモヤが残る内容ではありませんでした。

ちなみに過去のレッスルマニアではバッドエンドが何度かありました。オーナーが乱入して椅子で殴って3カウントとか(笑) ただWWEではバッドエンドの場合でも、その後で必ずファンの溜飲を下げるボーナス・トラックが用意されているのです。私が足を運んだ日本公演でもそうでした。たとえばタイトルマッチが反則裁定になってブーイングが起こりかけた瞬間、ベビーフェースがヒールに必殺技を決めて排除し、カッコよくアピールするのです。これなら我々も「よっしゃ!」と盛り上がった状態で終わることができるわけです。

昭和の全日本プロレスでは、よく試合中のアクシデントでレフェリーが失神しました。おかげでカバーして3秒以上押さえているのにカウントが数えられない、ということが頻繁にありました。反則決着も多かったです。私が初めて見た天龍さんとジャンボ鶴田さんの頂上決戦は、天龍さんの反則負けでした。今だったら暴動です。両者リングアウトも多かったですね。

そういう不透明決着をなくしたのがいわゆる四天王プロレスです。
両者リングアウトや反則決着はもちろんですが、凶器の使用やセコンドの乱入もなく、善VS悪という要素すら排除し、あくまでもリング上における純粋な戦いでファンの心を魅了するプロレス。試合そのもののクオリティだけを追求したがゆえに攻防がエスカレートしすぎて選手の身体に多大な負担がかかってしまったのですが、今日ほどあの頃の全日本プロレスが懐かしく感じられたことはありません。当時の三冠戦でセコンドが乱入したり、レフェリーがわざとらしく失神したり、見て見ぬふりをしたり、選手が相手の股間を蹴ったり、なんてことは一度もありませんでした。ただふたりの男と男がどちらが上かを競い合っていましたし、レフェリーも反則行為に対してかなり厳格でした(そういえばライガーさんが解説の中で何度かレフェリーのチェックの甘さに苦言を呈していましたね。タッグチームの連携プレーも厳密には反則だから、WWEでは5秒以内にやっています)。

TAJIRIが言うようにプロレスが人生の縮図である以上、バッドエンドもありえるということは承知しています。でも時代は2020年です。もうプロレスの仕組みは多かれ少なかれファンの間で共通認識になっています。多くの視聴者がプロレスに期待するものも変わってきています。だったら、それに合わせたバッドエンドのあり方を創出しないといけないはずです。タイトル戦がレフェリーの目を盗んで股間蹴ってフィニッシュとか、初めて見た人は失笑して終わりじゃないですか? 「ああやっぱりプロレスは」ってなりますよ。せっかく棚橋やオカダがイメージをアップデートしようと頑張ってくれているのに。もしくはWWEみたいにその後のケアまで細かく配慮する必要があるのでは? 今回でいうなら、ヒロムがEVILにタイムボムを決めちゃえば良かったんです。そうでもしないと、このご時世に安くないお金を払って会場まで足を運んだお客さんの頭にモヤモヤしか残りませんから。

ミラノさんの落胆と怒りは表面上はEVILに向けられているけど、本当は違う気がします。私が1.5でメイン終了後の大合唱をぶち壊された時、最初に叫んだのは「そりゃないぜ新日本!」でした。

作家として面白い本や文章を書くことでお返し致します。大切に使わせていただきます。感謝!!!