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 そろそろ死んでもいいなと考えた午前0時、電話がかかってきた。
「もしもし」「ハロー」「はい?」「ソーリー、バットアイワナトークトゥユー」「どちらにおかけですか?」「オフコースアイノウフーユーアー。アイゲスユーアーソースリーピー。バットソーソリー、アイキャントスリープビコウズオブユー」
  若い外国人の女性だ。お世辞にも流暢とはいえないからネイティブではないのだろう。どうでもいい。そんな知り合いはいない。間違い電話だ。「切りますよ」「ウェイトウェイト、イッツノットロングナンバー、ユーノーミー。ウィーアーフレンド。プリーズリメンバー」そんなこと言われても。面倒臭いなあ。いや待てよ。外国人の友達、昔はいた。メッチャいた。

 インカレの国際交流サークルで学術交流の責任者を務めていた。東アジアの大学生を日本に招き、「死刑制度」に関する英語のディスカッションテーブルをコーディネートしたこともある。各テーブルで得られた成果を徹夜で原稿にまとめ、最終日の朝、100人を超える学生の前でプレゼンした。拙い英語を一生懸命駆使して大きな拍手をもらった。涙が止まらなかった。打ち上げの飲み会ではトップモデルみたいなルックスの髪の長い中国人の女の子が隣に座ってくれた。テーブル運営を手伝ってくれた北京大学のエリートだ。クラブで踊った時もずっと密着していた。空港での別れ際、キープインタッチと泣きながら耳元で囁いてくれた。メールのやり取りが二か月ぐらい続いた。あれが僕の人生のピークだった。
「誰だ君は? 過去の亡霊?」英語で話す気なんて更々無い。ここは日本だし僕は今眠い。「ソーリー、アイキャントスピークジャパニーズ、プリーズスピークイングリッシュ、オアスピークジャパニーズヴェリースローリー」「何でそんなことをしなくちゃいけない? 君は誰? 何で僕の携帯の番号知ってるの?」「ノーノーノ―、スピークイングリッシュ。アイムユアフレンド、ドンウォーリー、ウェーメットインジャパン」
 新手の詐欺だろうか。こうやって呼び出すデート商法的な。確かに僕はいいカモだ。彼女いない歴は二十年を越えている。中途半端に付き合った時期があったから魔法使いになる資格はない。こういう方が過去のチンケな栄光が忘れられない分、却ってプライドに縛られて厄介なのだ。贅沢をいえる身分じゃないと頭では理解していても、いや俺はこんなレベルで妥協する男じゃないとか見た目はまだ二十代後半で通用するはずだとか。仕事でもそうだ。夢のためだと我慢して長年時間に融通の利く契約社員に甘んじてきた。学歴では店長や人事部より上なのに。それが定年まで雇用の準社員に上げてやる、但し月給十五万で責任は正社員と同じっておかしいだろ。生贄じゃないか。あそこで会社を辞めてから迷走が始まった。生活が苦しくなって三年前に西川口のアパートを引き払い、すぐトイレの詰まる実家に戻った。
「もう切るよ。おやすみ。いい夢見てね。馬鹿な夢じゃなくて」
「アイノーユーワナビーノーベリスト、イッツノットフーリッシュ」
「何? 何で知ってるの。誰だよ? あ、もしかして」
 どうして気づかなかったのだ。僕なんかにここまで熱意を持って接してくれる外国の女性はひとりしかいないじゃないか。
「ハンロン? ハンロンでしょ」「オー、イエスイエス。アイリメンバーユー、イットミーンズユーリメンバーミー、ザッツデステニー」「いつ日本に来たの?」「ラストマンス。アイムワーキンインシブヤ。ザッツメモリアル」「そうだね。クラブで朝までオールして」「アイワナシーユーアゲン」「え、いきなりそんなこと」「アイミスユー、イッツビーンアバウトトウェンティイヤーズ」「……そうだよね。二十年か。そっちも色々あっただろうけど、こっちにも色々あって」何もない。ただ重くなり過ぎた頭を抱えて社会の底辺をトカゲみたいに這いずり回っていただけだ。向こうは間違いなく成功を収めている。結婚もしているに違いない。きっと仕事の関係で日本に来て、ついでに僕のことを思い出して連絡してくれたのだ。番号を変えないで良かった。過度の期待をするほど若くないけど、この再会が何かの転機になるかもしれない。あの頃の熱いメンタルに戻れるかもしれない。諦めないで良かった。生きていて正解だった。僕は意を決して「ヤー、ア、ア、アイドライクトゥシーユー、トゥー」と錆びついた英語を久し振りに口にした。
 クスクスという笑い声が聞こえてきた。
「もしもしノブオさん? 俺っすよ」「もしもし?」「びっくりしました? さっきナンパした子なんすよ。どこの国か忘れたけど」「誰?」「え、ノブオさんでしょ?」「違います」「あれ、番号間違えたかな? やっべ。すんません失礼します」電話が切れた。
 しばらく呆然とした。何これ。色々間違ってる。僕自身も含めて。だからハンロンはエリートだって。英語がこんな下手くそなわけない。何で気づかないんだよ。あとさっきの生まれ変わりました的な自分何? 誰も見てなくて良かった。超恥ずいんですけど。やっぱり死にたい。

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