好きな映画3つ(洋画編)

noteの記事のストックがなくなった!!!

唐突に好きな映画ベスト3!!! 今回は洋画編。

3、「スクール・オブ・ロック」

ロック好きの人は元ネタでニヤニヤできるし、そうじゃない人も単純に見ていて楽しめる作品。私はドアーズが好きなのでローレンスがキーボードを弾く際のアクションが最高でした。「レイ・マンザレクのキーボードは冥界との通信機」という某ムックで目にした文章も頭を過ぎります。ともあれ映画も音楽も本も、そして人生さえも楽しみ方は各々の自由。すなわちロック。押し付けがましい定義も顔色を窺わせる定石も要らない。ところで、今作の主人公と最近バンダイチャンネルで視聴している「マクロス7」の熱気バサラはちょっと似ています。バサラが中年に差し掛かった時のアナザールート。もしくは月と太陽の関係性か。太陽に憧れつつ己を重ねられるのはいつも月。

2、気狂いピエロ

初期のゴダール。「勝手にしやがれ」と「はなればなれに」も大好きです。でもどれかひとつを選ぶならこれ。フェルディナンの登場シーン(空っぽの浴槽の中で本を音読して娘に聞かせている)から退場の瞬間に至るまで(なんならその直後も含めて)とにかく感性フルスロットル! 結局おまえはどうしたかったのよと突っ込みたくなり、でもその瞬間私は矢尽き刀折れた己を彼の表情と歩んだ道程に見出し、戦慄を覚えます。ピエロは他ならぬ私自身じゃないのかと。フェルディナンはとにかく二律背反。退屈を厭うくせに冒険が嫌いだし、文学を好みながら映画に出ている(若干メタ要素もある作品なのです)。「なりたい自分への憧れと己の持つものへの回帰の繰り返しを私は私の人生と呼ぶ」(by Y2K☮)

1、「リプリー」

「太陽がいっぱい」のリメイク版。オリジナルの方が好きという人しか私の周囲にはいませんでした。なぜだろう? 映画としては確かに「太陽が~」の方が明快です。憧れ転じて憎悪、完全犯罪、ピカレスクロマン。ただアラン・ドロン演じるトムの悪の華は最初から最後まで輝きが強過ぎます。他の全てを消し去って彼ひとりの印象しか残らぬほどに。でも物語の筋を見れば、少なくとも開始段階では凡庸なお坊っちゃんであるディッキーが太陽の位置を占め、才能豊かな主人公トム・リプリーは目立たぬ月なのです。リメイク版のジュード・ロウとマット・デイモンはその関係性の起承転結を丁寧に表現しています。まぶしい太陽に照らされて喜び、でもふとした拍子に陰り、その実態に失望する。太陽とひとつになりたい、自分を太陽にしたい、自分ならもっと素晴らしい太陽になれる。トムの内心に渦巻く暗い野心に触れると、不意に我が身の現状がひどく気になります。

原作では画家志望だったディッキーをジャズプレイヤーにしたのも素晴らしいアイデア。ディッキーは自由人っぽく振る舞っていても実は頭の固い保守的なセレブであり、だからこそ身分や生まれのハンディを超越したジャズに憧れています。一方トムがとっさのアドリブで道を切り開き、才能を武器にのし上がっていく姿はまさしくジャズです。なのに冒頭ではピアノでクラシックを弾き、インテリアなどのセンスも歴史や伝統への愛に満ちています。つまりお互いが自分にないものに憧れ、手に入れようともがいているのです。先ほどの「太陽&月」に続くこの「クラシック&ジャズ」の反転性に、私はミンゲラ監督のトムという不安定なキャラクターへの思い入れを感じます。原作の中に漂う危うい同性愛の雰囲気を上手く活かしているのも「リプリー」の方です。作家パトリシア・ハイスミスへの深いリスペクトとそれを更に一歩先に進めるための絶妙なアレンジ。この作品はもっと高い評価を受けるべきでしょう。

原作もぜひ読んでみてください。河出文庫の「太陽がいっぱい」です。



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