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宮廷画家ゴヤは見た

『カッコーの巣の上で』、『アマデウス』のミロス・フォアマン監督作品です。
フォアマン監督作品、そんなにたくさんは見てなくて上に挙げた作品ぐらいしか見てないんですが、今回見た『宮廷画家ゴヤは見た』もそうなんですが時代の空気を作り出すのが上手い監督ですね。陰欝な異端審問所、猥雑な街の酒場、ナポレオン軍の侵略。ゴヤの名画と共にスペインの混乱の時代が精緻に描かれています。
タイトルからではゴヤの伝記映画のようですが、主役はナタリー・ポートマン演じるイネスとバビエル・バルデム演じるロレンゾ修道士です。この2人とスペインを全てを見通すかのような視線で見つめるのがステラン・ステルスガルド演じるゴヤ、という感じです。
イネス役のナタリー・ポートマン、物凄い熱演です。可憐で美しい令嬢イネスが投獄によって変わり果てた姿となり精神の均衡を失うまで、そして複雑な生い立ちから擦れっからしの娼婦になったイネスの娘も演じています。特に異端審問所から解放されてからの姿が印象的です。長年の投獄によって皮膚は爛れ顔は歪みかつての美貌を失くした彼女。それでも愛した男と引き離された子供を追い求める純粋さが痛々しくて哀しい。幼子を抱いて微笑みを浮かべながら、引かれて行く愛した男の骸の後にいつまでもついていく彼女の姿にはやられた!という感じ。清らかな聖女のようなその姿、男の風貌もあいまってキリストの受難を思わせるようです。
そしてロレンゾ修道士役のバビエル・バルデムも凄い。若い野心的な姿、弱さゆえの変節、けれどそんな彼も二度の変節は拒むのです。彼とイネスは特殊な状況で出会った2人。けれどイネスにとっては彼は暗闇の中の光であり、神と同じように信じ愛するに足る存在だった。そんな彼女を打ち捨て保身の為にスペインを捨てたロレンゾの弱さ、そしてナポレオン軍の一員として、統治側の人間としてスペインに戻った時の傲慢さと俗な醜さ。保身しか考えずイネスも娘も遠ざけようとする身勝手さ。彼はなぜ改心を拒んだのでしょう。それまでの彼なら変節していたでしょう。何が彼を変えたのか。死を迎えるその時、父と知らずに見物する娘と、彼が処刑されることを理解できずに彼の名を呼び幼子を見せながら微笑みかけるイネスの姿を見、彼は何を思いながら逝ったのでしょうか。
そしてそれらを見つめるゴヤ役のステラン・ステルスガルドの堅実な演技。全てを見つめながら積極的には関わろうとしなかった、ただ描くことで時代を切り取っていたゴヤが、なぜあんなにもイネスにはこだわったのか。救えなかった罪悪感か、それとも傍観するだけの自分が嫌になったのか。彼の真意はわかりませんが、それでも彼はイネスとその娘には関わろうとし、けれど力及ばず再び傍観者に戻る悲哀がラストシーンから伝わってきます。
啓蒙思想の広まり、先鋭化するカトリック教会、そしてフランス革命の余波とスペインの抵抗。そうした複雑に絡み合う人々と世相をこの三人の人物に主軸を置いて描くことでわかりやすく浮き立たせています。なんといっても暗黒の中世が甦ったかのような教会と異端審問所のシーンは凄いです。それほど残忍なシーンは無いのですが、あの鬱々とした暗い空気感は本当に凄い。
そう派手な画面作りもしていないし、ゴヤについてはほとんど語られていないので、そういう意味では肩透かしをくらうかもしれませんが、とても良い映画でした。人の脆さ、弱さ、無力さ、そして純粋さと美しさ。そうしたものがあます所無く率直に描かれ、そして静かに伝わってくる、そんな映画です。


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