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コロナが奪った「評価ツールとしての面会」

コロナ前、興奮する高齢者を入院させた場合、家族は時々の面会を通じて変化を「少しずつ」感じとり、その都度、「これなら家でみれるか」を検討できた。

コロナ禍は、この家族面会の機会を奪った。

患者さんは入院時から少しずつ変化しているが、しばらくぶりに会う家族にすれば「激変」である。

「ここまで大人しくさせられるとは思わなかった」
「こんなに認知症が進行するなんて……」

そういう不安や不満を口にされる。

治療に期待するものは、家族により様々だ。適宜の面会で「まだ怒りっぽい」「そろそろ大丈夫」など意見をもらえていた時に比べ、治療者の暗中模索の程度は高まった。

こういう状況では、入院時の「目標共有」を丁寧に行い、「家族が期待する状態とはまったく異なる結果が高頻度にあり得ること」「面会をできず、会わない期間が長いため、変化を見て非常に驚く家族が多いこと」などを、しつこく説明しておく必要がある。

そして、場合によっては入院を見合わせる。

興奮する高齢者を家に連れ帰ることに、家族は不安を感じる。
それは当然のことだが、苦しむ家族のために良かれと思って入院させたのに、「こんなはずじゃなかった!」と納得してもらえないのでは、治療者にとっても、家族・本人にとっても不幸である。

コロナ禍に面会を奪われたことで、「評価ツールとしての面会」がいかに重要であったかを思い知らされている。

この苦難は、しばらく続きそうだ。

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