見出し画像

【杜のラボ】読書について、ぼくが語ること②

こんにちは。1月31日(月)03:06です。

先にぼくは、次のように書きました。

次の機会には、その「必要」な読書を、より「たしかな」ものとするための方法、つまり、読書について読んだり語ったり、書いたりすることが「望ましい」ことについて考えてみようと思います。

【杜のラボ】読書について、ぼくが語ること①

しかしながら今回は、その予定を変更して、【声マガ】#02で語った内容の文字起こし的な記事を書いてみたいと思います(この「文字起こし」は、2~3回程度に分載されるはずです)。上掲については、「~ぼくが語ること③」以降で対応したいと思っています。ご承知おきくださいますよう、お願いいたします。

その音源で語った「人生の隠しコマンド」とは、精神的疾患に関連して読書の習慣が失われていたものの、「なぜか」恢復して本が読めるようになったことについて体験として取り出し、言語化したいということです。そうすることで、もしかすると、同じようなトラブルに悩んでいる人にとって、役立てられることになるかもしれないと考えているわけです。それを、数年内に実現させたい。できれば今年のうちに、その端緒につけたいと思っています。

もう少し、その前後関係について記述を進めたいと思います。たぶん、これから書けることは、事態の推移であって、書かれた事象間での因果関係ではないと思っています。

そもそもぼくの、現在の読書習慣が形成されたのは、大学の学部生時代という比較的遅い時期でした。確かに幼少期、家には「子ども百科」的な図録がありましたし、学習雑誌の類の講読もさせてもらっていました。

しかしぼくは、家業に勤しむ両親が、何か本を読んでいた姿を見ていたわけではありませんし、読むことを勧められていた記憶もありません。少なくとも幼少期には、読書に関する「ロールモデル」は身近にはありませんでした。

とは言え、ぼくが進学した先は、国語科だけではなく、理科や社会科の教諭たちも読書指導に熱心だった、中高一貫校だったのです。通学電車の中で文庫本を広げることはありましたが、それは「今」の読書習慣や読書傾向につながっているとは考えにくい。やはり、そこを卒業した後で、系列校の大学に進学した時に出会った著作が決定的でした。詳細は別途書く予定です。

1980年代の大学は、「レジャーランド」と揶揄されていました。そんな中にあって、少なからず読書が習慣づいていたことは、もしかするとそれだけでも考察に値することかもしれませんが、先を急ぎます。ともあれ、通勤電車中では混雑のために読書できる余裕はなかったものの、疲れはしていても、一定程度の読書をすることは「習慣」であったと言ってよいかと思っています。

それに変化が起きたのは、2000年の6月か7月と記憶しています。「うつ状態」と診断されたことがそれですが、今回はここで切り上げて、「~ぼくが語ること③」として、改めて書いていきたいと考えます。最後までお読みくださり、ありがとうございました。それではまた!




最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。ときどき課金設定をしていることがあります。ご検討ください。もし気に入っていただけたら、コメントやサポートをしていただけると喜びます。今後ともよろしくお願い申し上げます。