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「本の価値と値段」午郎’S BAR5杯目

村上春樹の新刊

先月村上春樹の6年ぶりの長編小説「街とその不確かな壁」が発売され、いつもの如くテレビなどのニュースとなった。
以前よりあまり売れていないとか、電子書籍に主戦場が移ったとか、そうした報道がある中、私の関係者2名からこうした話を聞いた。
・いくら村上春樹とは言え、文芸の単行本で3,000円近くするのは高い。どうして最初はハードカバーになるのだろう?2,000円前後に落ちるなら文庫で良いのに
・村上春樹のような著者が率先して単価を上げてくれると業界にとっては良いことなのではなかろうか?

この二人、一人は出版業界とは関係のない人物。文脈から前者がそうであることは皆さんも推察できよう。
後者は明らかに出版業界関係者。
この「読者」と「出版関係者」の本の価格に対する考え方の相違と、本の値段の在り方と価値をわずかながら深堀してみる。

買い物とはなにか?

読者にとって本は安いに越したことはない、と思い、業界関係者は今の価格水準を上げたい(但し値上げした際の反応が怖い)と思っている。

前述の通りこれは本に限らず、消費者側は安ければ安いに越したことはない、と考えるのは一般的だろう。世の中には「安かろう、悪かろう」という言葉もあるが、本の場合はそもそも「良い悪い」は受け取り手によって大きく変わるので、一概に安いから悪いもの、とも言えない部分が大きい。
これは私もそうなのだが、読者の多くはこれ以上の金額は「高い」と感じて購入を躊躇する金額設定がある人が多いように感じる。
例として出したこのご仁も明らかに「2,000円なら買うのに」と言っている。彼の分岐点は2,000円が一つの目安なのだろう。

さて、ここで考えるべきは本の値段の善し悪しではなく、ではなぜその買う買わないを判断する金額があるのか?であろう。

そもそも買い物とは何のためにし、お金は何のために存在するのか?というそれこそ超基本的な事象を考察することから始めると、買い物とは時間をお金で買う行為、であろう。
例えば食事。食材を買う、調理器具を買う、お皿を買う。
買うという行為なしの場合、まず食材を集める。コメなら栽培する、肉なら対象になる獣を捕まえる、解体する、或いは飼って殖やして、必要な時にしめる。
調理器具や食器などは自分で作る。それらに掛かっている「時間」を、買う行為を通じて短縮しているわけである。これは我々が購入しているもの(或いはお金を払っているもの、物だけでなくサービスもその範疇に入る)殆どのものに当てはまる。

さてここで更にお金を払うモノやサービスを分解すると、生活に不可欠なもの(多分これを日用品という)と不可欠ではないものの、便利になるもの、或いは生活を豊かにするもの(これを嗜好品という)に分けられる。
前者は高くても買わざるを得ないか、自分の時間と力を使って対処する(これを世間では節約という)かであるが、嗜好品の場合、買うか買わないかの選択肢になる。
つまり「高い」と感じて買わず、そのままにしている商材やサービスは嗜好品と捉えていることになる。このケースは時間に対してお金を払うのであるが、それ以上に成果物が払うお金と同等以上の価値を見出せているか、が重要になる。

冒頭の読者サンプルの意見は本(或いは村上春樹の新作)を嗜好品と捉えているからに他ならない。実際前述の嗜好品の定義らしきものに当てはめると、村上春樹の新作は生活にどうしても必要な物とは言えず、生活を豊かにするもの、と言えるだろう。
よって読者目線からすれば、生活を豊かにする対価として2950円(村上春樹新作の税込定価)はその人それぞれで買うに値するか分かれて当然である。
ただ、時間を買う観点からからすれば、自分で同じストーリーを考え、書き、製本するに必要な時間を考えれば決して高いモノではないのだが・・・

本は嗜好品か?

しかし、本とは全て嗜好品なのだろうか?
多分小説などは嗜好品と断言しても良いだろう。しかし他のジャンルの本はどうか?

例えば先日私は「Automemo S」なるICレコーダーを購入した。附属品を入れて約20,000円。ICレコーダーならもっと安いものも数多くあるが、それを買った理由は録音した音声データを自動的に書き起こしてくれる機能があるからだ。つまりその機能の価値を認めてお金を払ったことになる。その価値とは時間の節約であり、且つ自分の仕事能力を高める(可能性がある)機能だからと思う。
そうなるとこのICレコーダーは嗜好品なのか?
日用品が生きていくために必要なもの、嗜好品は人生を豊かにするもの、と考えれば明らかに嗜好品に分類できるのであるが、ある意味これは投資である。人生を豊かにするためには、自分が成長する、または他人に豊かにしてもらう、の2通りの選択肢があり、村上春樹の本は後者だが、私の買ったICレコーダーは前者ではないか?と考えている。

本の中にも「自分を成長させる」という視点から見れば嗜好品の中でも「高い」「安い」ではなく、値段相応或いはそれ以上の価値があるか?の判断から購入するしない、を決める本も多く存在する。ところがこの「その本の価値」についての議論はほぼ行なわれていない。故に前出の出版関係者は「村上春樹のような著者が本の価格を引き上げてくれることは業界にとって良いこと」とコメントするわけである。

本の値段は価値と比例して

出版業界側がそうした姿勢であるから読者もそれぞれの本の価値ではなく、世間相場と比べて安いか高いか?が購入の判断基準になってしまうことが多いコトも致し方あるまい。
そもそも出版社の価格付けは需要量に因るところが大きい。専門書など需要は少ないが確実にそのニーズが見込める書籍の単価は当然高く設定している。しかしそれ以外はほぼ世間相場を目安に決めている感が強い。
その背景には「(一定の基準より)高いと本は売れない」前提があるように思える。

本の商材としての難しい部分がここにある。他の商材のように個別のスペックや機能がパッケージから認識しづらいからである。読むことを通じてしかその本の価値は分からないし、且つ、その価値は読む人それぞれで大きく異なるからであろう。ある意味もっとも細分化された商材である。

本の値段は以前と比較すると明らかに上がっているものもある。文庫や新書などの比較的安い価格帯の本だ。また、従来2000円前後の価格帯だった本も2500円前後になっているケースが散見される。ただこうした値上げ感のある本は、大抵他のそのジャンルの本より「厚い」(つまりページ数が多い)ものが多い。本が商材である限り原価に比例した価格設定は必須だからだ。
また昨今、本の原材料である紙の値段も上がっているので、今後も多少の値上げ方向への動きは推測できる。しかし、これは原価との兼ね合いで、本の内容的価値とは比例していない。

以前ある出版関係者が「本の値段を一律5%上げただけで、書店経営は一定部分改善できる」と発言していた。本の値段は書店経営にとっても重要だ。書店は独自で本の販売価格を設定できない。いわゆる再販価格制度のためである。また、書店は数ある小売の中で最低レベルの粗利しか獲得できない構造になっている。(通常が50%前後、書店は25%前後)
そうなると1冊の取引における粗利額を重視したいはずである。
しかしこの5%値上げ案は理にかなっていない。計算上ではそうだが、価値の変わらぬモノの値上げは相対的な売上減(或いは売上変化なし)に繋がる恐れがあるからだ。
この発言をされた方の意図はあくまで指標の単純化であろうことは推測できるのだが。

私も一時、書店の経営改善のための近道は相対的な本の価格水準の引き上げであろう、と考えていた。なぜならば、本を買う層(主にヘビーユーザー層)が本の売上を支えていると考えているからだ。これは前出の本が売れるヒエラルキーに繋がる。彼らは本の値段が高くとも買うであろうと考えていた。冒頭に登場する村上春樹本が高い、と発言された方はこの層の方である。つまり私のその当時の考え方はあまりに楽観的に物事を単純化したものであったわけだ。要は価値に比例した値段設定を無視し、価値のあるなしに関わらず本の値段を上げるという考え方は無理筋である、と言うことだろう。

これらから導き出される方向性として、出版社側に今後必要なことは「価値相応の本を出版する」。裏を返せば高くても買ってもらえる本(つまり読者の人生に必要不可欠、と思ってもらえる本)を如何に作って世に出すかではないか?そしてその価値に比例した価格を付け、読者も「本は比較的安いもの」という認識を改める。それこそが本を読む「価値」を向上させる根源になるのではないかと思う。
価値に比例した値段。これがあって初めて「本とは価値のあるもの」という認識が定着し、且つその価値を今までよりも多くの人に理解いただくことで減り続けている出版業界の売上回復につなげるべきではなかろうか。

午郎’S BAR5杯目

MACALLAN 12年
ウィスキーのロールスロイスと呼ばれる最高峰。
これほど価値に見合う味は今まで経験したことがない。