ドラマを知る一冊 『ジェンダーで見るヒットドラマ 韓国、アメリカ、欧州、日本』(治部れんげ)
個人と社会の様々な事象に対するリテラシーがついてしまうブックキュレーションプラットフォーム Book Club。本好きな2人が「世界の見方が変わってしまうような本」を紹介していきます。
ドラマをジェンダーで見たら
今回、私・ミウラが紹介するのは、『ジェンダーで見るヒットドラマ 韓国、アメリカ、欧州、日本』。治部れんげさんによる一冊である。
つまり、社会構造で決められている性別=ジェンダーについて問題意識を持ちながら、様々なヒットドラマを紹介しているガイドブックなのだ。
『愛の不時着』が始まり
元々は筆者が、コロナ禍で韓国ドラマの感想を書いていたことから、『愛の不時着』に関するイベント登壇やWeb記事執筆に繋がり、本となっていったとのこと。確かに、Netflixなどの動画配信サービスは、コロナの巣ごもり需要により急激に伸びた。私自身、コロナでNetflixに登録をした一人。
『愛の不時着』に興味を持ったのも、この記事がたまたま目に入ったことがきっかけで、ならば観てみようと登録をした。それが、治部さんが「ケアする人」とヒーローのリ・ジョンヒョクを、「自分の権力・財力で守る人」とヒロインのユン・セリを分析した記事だった。
見始めた私は、4日くらいで早送りしながら一気見し、その後も繰り返し見ている。写真集も買ってしまった。仕事で忙しい時にうっかり見返すと、涙腺が崩壊するので、最近は気をつけている。
自分はそんな成功者ではないけれど、仕事に生きるユン・セリに自分を重ねてしまう。そんな彼女を批判するでもなく、優しく見守るリ・ジョンヒョクに有害な男らしさはない。あのエンディングも、互いのキャリア、人生を思いやったからこそのエンディングだ。(まだ観ていない人は観てください。)
そんな風に『愛の不時着』を捉えた筆者の記事を読んでいたため、本として出た瞬間に買ってしまった。
まだまだ書きたいことはいっぱいありますが、とにかく一度見て下さい。きっとご自身の人生観、恋愛観と照らし合わせて、周囲の人と語り合いたくなるはずです。
まさしく、そんな思いを抱えていた私は、この本を読むことで、「そうなの、そうなんだよ!」という共感をしていった。
国境をこえて「これは私の物語だ」と思わせるもの
ということで、この本を買った後に観たドラマのひとつが『よくおごってくれる綺麗なお姉さん』である。
韓国人の友人が放送当時、めちゃくちゃいいと推していたのだが、晴れて動画配信サービスで観ることができた。加えて、タイトルとは裏腹に、作品自体はかなりシリアスにセクハラや韓国の家族文化を扱っていることがこの本を読んでわかった。筆者によるこのドラマの紹介文はこうなる。
ソン・イェジン&チョン・ヘイン主演のラブストーリー。幼なじみが恋愛関係に発展する様子を柱に、職場の男尊女卑文化やセクハラ告発、家柄や学歴で人を切り捨てる”毒母問題”を描く。
ということで、恋愛要素がなかったら辛すぎて見れない作品だ。この監督、ちっともファンタジー要素入れてくれない。リアルすぎるお芝居、画面の雰囲気、ストーリー展開によって構成される絶妙な辛さ。強いていうなら、年上のジナ(ソン・イェジン)を肯定し続けてくれるジヌ(チョン・ヘイン)という構造の恋愛要素は、圧倒的ファンタジーと甘さなのかもしれない。
そう思わせるほどに、このドラマは『愛の不時着』とは打って変わって、どこかにありそうな物語だ。
優柔不断なジナを見る時、私は彼女の気持ちがわかってしまった側の人間だった。作品の中で、彼女は最後に遅すぎる決断をする。それが彼女を自由にした意味も、実家暮らしから離れて鳥取に移住してしまった私には身近な感覚だった。
私の実人生にはこんな告発劇も、恋愛劇もない。それでも、この作品には「私の物語だ」と思わせてくれる。
共感できない日本のドラマ?
今回の本では、日本のドラマが性別役割を固定化させたまま描いていることを批判的に論じている。
可愛い女性それ自体は、目の保養とポジティブに考えることもできるでしょう。綺麗な俳優さんたちを画面越しに眺める楽しみは、確かにドラマを見る大きな誘因です。ただ、私は個人的に彼女たちの描き方に共感を覚えない、だけです。
もちろん、韓国の文化でも、整形が当たり前の文化や日本よりも過酷な学歴社会がある。アメリカやヨーロッパの社会自体も、完全に差別がないとは言えない。一方で、誰もが観れることを前提としているエンタメ作品が提示するものは、その社会の目指す方向とも言える。
この本の中では、赤毛のアンを現代版に解釈した『アンという名の少女』の解説も載っているが、これもLGBTQの視点や虐待の問題など、果敢に社会問題に触れている。何より、それに触れるのがドラマとして当たり前になっているとも言えるであろう。(ちなみに一気見した。)
日本のエンタメコンテンツのあり方をジェンダー・フェミニズムの観点からアップデートを求める声は他の書籍でも見られる。
そして、日本のドラマでも、全くジェンダーの問題が取り上げられていないわけではない。
上記の本などで、セクハラを扱ったドラマとして言及されることが多いのは、『問題のあるレストラン』(2015年)だ。企業でのセクハラから始まるこの物語は、シスターフッドの物語で、男性は絶望的なまでに悪役だ。
その中で忘れられないセリフが、二階堂ふみ扮する新田結実が好意を寄せていた菅田将暉扮する星野大智に裏切られた後のセリフだ。
今までラブソングとか聞いても、共感できなくて。会いたくて会いたくて震える感じ分らなかったんですけど、今日からダウンロードしまくります。 一度も好きになってもらえないまま、10万円で売られた子がテーマのラブソングってありますかね?
このセリフを聞いた時、そんな経験をしたわけではないけれど、私は彼女に確かに共感した。
エンタメは共感の場であって、そこの輪に入れないことのマイノリティ性に深く傷つく人間がいること。一方で、その輪に入れない人間を思って作品が描かれている時、より物語は多様性や奥行きを持ったものになること。
社会派ドラマもラブコメも何もかも、全ては「私は一人ではないかもしれない」と思わせる共感の舞台なのだ。そのような舞台として成立するためにも、ジェンダーのみならず、多くの視点を、多様な人々の存在を、ドラマというメディアの場に連れ出す必要があるのだろう。
私がジェンダーにこだわる理由
私自身、かなりジェンダーという観点にこだわりがある。それは何故だろう。
ひとつは、女性という自分のマイノリティ性に気づくことができるということ。そして、もう一つは、ジェンダーの言説を通して、自分一人が格闘しているのではなく、多くの人に絡まった問題だと気づけるということ。
この本を通して、私はドラマを観た時のように、自分と連帯してくれる誰かを見つけたような気分になった。そして、次に自分が観たいドラマや、自分がドラマを通して少し考えてみたい社会の問題が見えてくる一冊でもあった。
エンタメに社会問題を持ち込むな?エンタメは社会に存在しているのだから、それはしょうがない。
ということで今回はこちら。