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「グラフィックノベルの古典的名作はやっぱり名作だった!!『完全版マウス』」のYoutube動画を編集しながらモヤモヤしてたこと

こんにちは。
大阪・谷町六丁目にある海外コミックスのブックカフェ書肆喫茶moriの店主です。

わたくし、Youtubeにて海外マンガの紹介動画をつくって公開しています。

先日は、アート・スピーゲルマンの『完全版マウス』について動画をアップしました。

アート・スピーゲルマン『完全版マウス』。

ながらく絶版していたグラフィックノベルの古典的名作。
自伝マンガというとマルジャン・サトラピ『ペルセポリス』と並んで名が挙がる傑作。
待望の復刊!

わたしも読みたいと思いつつ読めていなかった作品なので、この復刊を機に読みました。
そして、改めてグラフィックノベルの名作と呼ばれるゆえんがよくわかりました!!

ぜひ読んだことのない方は、読んでみていただきたいです!
(よかったらYoutubeの動画もご視聴ください!!)

『完全版マウス』のあらすじ

副題「アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語」とあるように、作者アート・スピーゲルマンの父親はナチスによるユダヤ人迫害の生存者です。

物語は、父親の壮絶なホロコーストの経験を語る過去パートと、作者と父親との関係を描く現代パートが交互に展開します。

お父さんの過去パートは、筆舌を尽くしがたい出来事の連続です。

ドイツ軍の捕虜となった経験。
別れ別れになる家族。
逃亡生活での日々。
そしてアウシュヴィッツ収容所での過酷な扱い。

こうした生々しくリアルな「生き証人の記録」が、グラフィックノベルとして描かれたということだけでも『マウス』は傑作と呼ぶにふさわしい作品です。

ですが、さらにこの作品を自伝マンガの傑作と言わしめているのは、作者と父親との関係性を描いた現代パートです。

この現代パートで、父親は、ケチで偏屈で、少しエキセントリックな人物として描かれています。

「ある意味では、彼はよく偏見をもっていわれるケチなユダヤ人のカリカチュアそのものなんだよ」(『完全版マウス』P133)

このように作者自身が父のことを語るシーンがあるほどです。

そんなお父さんに子ども時代からずっと振り回されていた作者は、どうして父親がそんな人物になってしまったのかを、彼の過去の経験に見つけ出そうとします。

受け入れがたい性格の父親を理解しようと見つめなおす――『マウス』は父と子の物語でもあるのです。

父親にコンプレックスを抱いた息子が、そのわだかまりを昇華しようという姿を描いたということが、自伝マンガとして高く評価されているのでしょう。

そして、息子が言うように、少し偏屈なところのある父親。

それは過酷な経験の所為だけというわけではなく、彼の本来の性質にも由来するところがあるように見受けられます。

父親は、ある意味ずる賢さのようなものを駆使して生きのびてこれた。

そのことが、父親の人格をさらに複雑にしてしまった。

ヒューマンドラマとしても、ほんとうに読み応えのある作品です。

ネズミ、ネコ……動物への擬人化

『マウス』の、ビジュアルを駆使したグラフィックノベルとしての大きな特長は、登場人物を動物として描いた点です。

ユダヤ人をネズミ、ドイツ人はネズミの天敵・ネコ、ユダヤ人以外のポーランド人はブタ……。

そして、キャラクターの描き方はとてもシンプルです。

登場人物を動物として描いたマンガといえば……。

テーブルトークRPGの原作としても人気のあるデイビッド・ピーターセンの『マウスガード』。

ハードボイルド・バンド・デシネ(フランス語圏マンガ)の人気作『ブラックサッド』シリーズ。

このように、とても魅力的な個性豊かなキャラクターたちを描いた海外マンガもありますが……。

『マウス』の登場人物たちは、一見、服装くらいでしか見分けがつきません。

それは、個人も個性もなく殺害されたユダヤ人の悲惨な事実を端的に表しているようにも思います。

加えて読み進めているうちに不思議な現象がおこります。

そういったシンプルな描き方をされているにもかかわらず、過去パートの主人公であるお父さんの性格が強烈に浮き彫りにされてくるのです。

お父さんは、映画俳優ルドルフ・ヴァレンチノにも似たハンサムさんだったとのこと。

もしこの作品がお父さんをこんなシンプルなネズミではなくハンサムに描いていたら……。

動物として描くとしても例えば『ブラックサッド』に登場するキャラクターみたいに魅力的に描かれていたら……。

お父さんの見方が少し変わっていたかもしれない。

お父さんのちょっとエキセントリックな性格を、ここまでフラットに客観的に見ることができなかったかもしれない。

これって、ほんとうにグラフィックノベルならではの表現です!

この物語がもし小説だったら。

お父さんが俳優に似ている、といった説明があった時点で、頭の中で想像するお父さんはハンサムに固定化されてストーリーを読み進めてしまいます。

視覚的効果を逆手にとった作品とも言えるかもしれません。

そうした作品のひとつに、ニック・ドルナソの『サブリナ』という驚異の快作(怪作!?)もありましたね。

視覚的に描いているにもかかわらず、視覚的に描いているからこそ、可能な表現。

そういった意味では『マウス』は、同じような時期に発売された『グラフィック版アンネの日記』と好対照な作品ともいえます。

『マウス』と同じように、ナチスによるホロコーストを描いた作品。

でも『グラフィック版アンネの日記』では主人公のアンネ・フランクがとてもキュートで魅力的な女の子に描かれています。

だからこそ彼女に深く共感する。

(『グラフィック版アンネの日記』も紹介動画をアップしていますので、よかったご覧くださいね!)

『マウス』の読後感は、お父さんの複雑な性格も相まって、なんとも言えない微妙な風味を帯びます。

それも、やはり描き方が大きな影響を与えているように思います。

こういうビジュアルの効果、力を活かした作品が読めるというのは、ほんとうにグラフィックノベルならではの面白さ。

グラフィックノベルを読む醍醐味だなと思います。

『完全版マウス』の動画を編集しながらモヤモヤしてたこと(以下ネタバレアリ!)

……といったことを、Youtubeの紹介動画ではご紹介していました。

動画では少し「お父さんがケチ」というところを強調しすぎたかもしれないなぁ……みたいなことも思いつつ……。

でも。

テロップを加えたり、画像を貼ったり、といった動画の編集をしながら、なんだかモヤモヤしていました。

こんな読み方でよかったのかな……と。

その大きな原因は、バンド・デシネ翻訳者の原正人さんが紹介する『完全版マウス』の紹介動画。

この動画のまとめのところで、原正人さんは「物語の後半、アウシュヴィッツの生き残りである精神科医と作者との対話が印象的」と語っておられます。

……。

……。

……。

そんなシーンあったっけ……?

はじめてこの動画を見たときの感想……。

そうしてもう一度作品を読み直して気づきました。

対話の内容に関してはそこまで記憶に残らなかったですが(すみません……)、このシーンには強烈な違和感を覚えました。

その違和感だけを覚えていました。

『マウス』は登場人物が全員、動物で描かれています。

なのに、このシーンでは、人間が動物のお面をかぶっていたんです。

これまでにも、ユダヤ人がポーランド人に成りすますためにブタのお面をかぶる、といった場面はありました。

でも基本は動物。

だけど、このシーンだけ、人間なのです。

もちろん、このシーンが、お父さんの過去パート、父と息子の現代パートのどちらとも異なる、「お父さんが死んだあとのホントの意味での現在パート」を表すために、人間がお面をかぶるという表現手法を用いたとも考えられます。

でもほんとうにそれだけなのだろうか?

作者はあくまで「正確」に事実を描きたいと、作中で洩らしています。

けれど当たり前ですが、作中に登場する「お父さん」は、あくまで作者の目を通した「お父さん」でしかありません。

動画のなかで、お父さんのことをケチ呼ばわりしていましたが、作中にアート・スピーゲルマンの色眼鏡が入っていることは否めません。

作者のビジョンを通していることを表明するための、動物というキャラクターで描くという手法を用いたのかもしれない。

奇しくも、わたくし、動画のなかでこのようなことを申しております。

お父さんのエキセントリックな性格に作者がさらされ続けた証左であるかのような、冒頭の子ども時代のエピソードを引用して。

じっさい、作者は父親のことがトラウマになっていたんでしょう。

だからこそ、自分に子供が生まれてもうすぐ父になるというタイミングでの精神科医との対話シーンへとつながっていったのでしょう。

もちろん自分の子どもが生まれる以外にも、『マウス』前編の評価が高くマスコミの攻勢にうんざりしていたからかもしれない。

とはいえ、作者にとって父親との関係は深刻な精神的負荷となっていたことが感じられます。

加えて、母親の自殺……。

作中には、作者が父親に向かって「人殺し」と叫ぶシーンがあります。

母親の自殺については、アート・スピーゲルマンが以前に描いた作品が掲載されているほか詳しくは触れられていません。

父親との関係。
母親の自殺。

どちらもとても個人的な話です。

それらがとても複雑に絡み合ってこの作品が出来上がっています。

この記事は、『マウス』を読んで、そして動画を編集しながら感じたモヤモヤとした読後感をすっきり解消できればと思い、書き始めました。

けれども、正直、回答は出ないままです。

回答を出すようなものでもないのかもしれない。

それが「虚構」ではなく「現実」というものともいえるのかもしれません。

とてもすっきりしない最後になりますが、このような複雑な心境を与える、読めば読むほど深い作品だと改めて感じました。

もしこの記事を読んで興味を惹かれた方がいらっしゃったら、ぜひ一度『完全版マウス』を読んでみてください。

そしてよかったらあなたの感想をぜひお聞かせください。

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