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40代にして、初めて『モモ』を読む。モモの素晴らしさを考える。

なぜか、未読の名作ってありますよね。
私にとって、それは、
『モモ』(岩波書店)ミヒャエル・エンデ。
読みたいと思いつつ、タイミングを逃していました。

そんなある日、近くの古書店で、ハードカバーの少し擦れたモモを見つけて、お持ち帰り。

なんで今まで読んでないんだろう?と思いつつ、じっくり、大切に読みました。

そして、ずん!と、モモに胸打たれました。(今さらですが)

今日はそんなお話です。

モモは、時間の物語

モモは、時間と人生の物語でした。

今、40代の私は、時間について、よく考えます。

時間の持つ意味、自分にとっての時間の重み。
この年代だからこそ、モモに出てくる、『時間を盗む』ということの切実さが、身に染みます。

みんなの話をただ聞くモモ。
話をする時間も聞く時間も奪われていく、たくさんの人たち。

時間は人生そのものなのに、時間の大切さを忘れてしまうこと。
普遍性のあるテーマを、子供向けの物語として語る凄さ! 感心して唸ってしまいました。

頭の中で鮮明に広がる美しいシーン


何度も読み返したのが、
12章 モモ、時間の国につく の章です。

音と色彩が、鮮やかに、目の前にパーッと広がるようです。

それはモモがいちども見たことのないほど、うつくしい花でした。まるで、光りかがやく色そのものでできているように見えます。…

モモは、このシーンで、時間の姿を知り、大きな戦いを乗り越える芯を、自分の中に得るのです。

モモが持った、この揺るぎない芯があると、時間を失わずに生きていくことができる。そんなふうにも考えられます。

時間は、生まれては消える、美しい花として描かれ、多くの響き合う音としても描かれます。

時間をこのように捉える感覚、今の私には、しみじみと分かります。胸に迫るものがあります。

この物語、子供の頃に読んだら、果たして何を感じたのだろう?

どんな時でも、読むのに早くも遅くもない。それが、モモ。

モモは、いつ読んでも、どんな時でも、何かを読んだ人に与える本だと思います。
モモの方が、間口をぐーんと広げて、待っていてくれている。

誰がいつ読んでも、時間の持つ意味が、その時その時で、鮮やかに心に残る。それが、名作と言われる所以なんだと思いました。

未読なのは私くらいかもしれないですが…
もし同じく未読だわーという方がいましたら、モモの持つ普遍性に身を委ねてみるのを、おすすめします。

お読みいただき、感謝です。

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