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生きづらさを考え続けた果て【ナナメの夕暮れ】感想

こんばんは、レイです。

人生は本当に生きづらく、
なんで生きているのだろうか?
なんてこともよく考えてしまいます。

でも、その悩みを持っているのは自分だけではない。
それは、有名な芸人である若林さんも同じで
彼にもコンプレックスがあり、
僕らと同じような悩みを持っていました。

彼が考えぬいた先にたどり着いた結果は?
その人生でどんな苦悩があり、
何を考えてきたのだろうか?

少しだけ、若林さんについて知れる、
その考えに学び共感できる一冊。

ナナメの夕暮れ


内容

恥ずかしくてスタバで「グランデ」を頼めない。ゴルフに興じるおっさんはクソだ!――
世の中を常に”ナナメ”に見てきた著者にも、四十を前にしてついに変化が。体力の衰えを自覚し、
没頭できる趣味や気の合う仲間との出会いを経て、いかにして世界を肯定できるようになったか。
「人見知り芸人」の集大成エッセイ。

ナナメの夕暮れ

「ナナメの夕暮れ」見どころ

ナナメの夕暮れという作品は、
お笑い芸人として数多くのテレビに登場する
若林さんによって手掛けられたエッセイです。

このエッセイでは彼の本心に迫るだけではなく、
表では見られない葛藤や苦悩を知ることができます。
実はどんな有名人でも同じような悩みを持っているし、
その答えの導き方の一例を示してくれています。

同じ結論に至る必要性なんてありません。
ただ、「若林さんがどのように考えているのか」
「どうすれば前向きに生きていけるのか」
ということを肌で感じて、
自分の中に落とし込むことが重要です。

さて、そんなエッセイを楽しむために
個人的に大事なポイントを三つご紹介します。

  • 悩みを考え続ける

  • 飛び出る本音

  • 社会をどう見るか

それでは具体的に
見て行ってみましょう。

悩みを考え続ける

若林さんは今回紹介している
ナナメの夕暮れの中を読むと、
僕らと同じようなことに、
悩んでいることがわかります。

具体的に言えば「生きづらい」と
感じていた人です。
この世界はひどく生きづらく、
そんな悩みは誰もが持っているものではない。

その悩みを抱えているのは自分だけで、
どうしたらこの悩みから解放されるのか。
そんあ、漠然とした不安を抱えていたりもします。

彼の凄いところは、ちゃんと考え続けていることです。
このエッセイを読むと、彼の思考と
物語のとらえ方がどのように変異したのかを
詳しく知ることができます。

自分の傷と向き合って、それはどういったことなのか。
どのように考えればいいのか。どんな言葉を贈るのか。
そんなことを考えているからこそ、
エッセイの中で語られている言葉が重く
暖かいのです。

この本を読むときには、
「どうやって考えているのか」
「どんな視点をもったのか」
「何が変わっていくのだろうか」

そんなことを意識してみると、
この先の人生を考えるきっかけになります。
そして、一つの例として見ると、
一つの解答例を知ることができます。

飛び出る本音

このエッセイの中では、
時折、思わず飛び出たような本音が
姿を見せることがあります。

例えば、
「すべてが敵に見える」
「自分と世界を呪って」
などですね。

自己嫌悪からくる言葉でもありますが、
その素直な言葉には心を打たれます。
それは、激しく共感できるからです。

正直な話ですが、全部消えてなくなれと
思ったことは誰もがあると思います。
でも、それでも歯を食いしばって生きています。
ならば、ある種の成功者でもある筆者は、
そんな時にどんな本音を抱えていたのだろうか?

そんな視点で、人が弱っている時に、
どう前向きになるのか。
ということも重要ですが、
どのようなプロセスを踏んで考えて、
身もふたもない本音があったのか。

それを意識してみると、
さらに一歩深く自分を知ることができます。

社会をどう見るか

社会をどう見て考えるか、
という視点も面白いです。

社会の見方というのは、
当たり前ですが人によって違います。
多くのエッセイは、「若いころは~」なんて
書き方がしてありますが、
このエッセイは一味違います。

小説のような書き方をしているエッセイで、
若林さんが若いころ、
どのように世界を見ていたのか。
その変遷はどうなっていて、その先である今は、
どんな目で世界を見ているのかがわかります。

その変遷の中に共感できるのか、
最初と最後に共感できるのか。
もしくは、すべての段階において、
あなたは一切共感できないのか。

今の世界を見る目を変えてみて、
少し考え方を変えてみませんか?

それでこの世界を肯定できるかもしれない。
自分のことを少し認められるかもしれない。
自分の人生を見つめなおしてみましょう。
自己否定から、自己肯定へ。

社会、ひいては世界を見る方法を少し変えて、
一歩前へゆっくりと踏み出してみましょう。

見方を変えれば、見方が変われば、
あなたも、自分自身を認められます。

感想

数多くのエッセイを読んでいる僕ですが
このエッセイは非常に面白い感じました。
面白いというのは、笑える、学びが深いではなく、
「興味深い」ということです。

同じような悩みを持ち、考えた人は、
自分なりにどのように結論を出したのか。
そしてその過程ではどのような視点を持っていたのか。

その移り変わりと、回答が興味深かったです。
著者である若林さんが、
有名人で僕でも知っている人であったことも大きな要因です。

このエッセイを読んで深く共感できた言葉は、

「どうしても今回の生でこの世界を肯定してみたかった」

という箇所です。
この一文には、とても深く共感しています。

そもそも、僕の現状ではありますが、
世界の見方はひどいものです。

「クソッたれな掃きだめ」

それが僕の今抱える世界です。
それでも、僕は今を必死に来ているし、
読書というのを支えにヨレヨレで
何とか生きながらえています。

だとしても、最後まで走ると、
楽しんでやると決めたからには、

「やっぱり最後には笑うべき。
どうにか肯定して終わりたい」

そん思考はあります。
僕はまだこの生の結論は出ていないですし、
人生が何か。そんなことを問われても、

正直あいまいな回答になるでしょう。
今の仮の答えは出せますが、その回答に
自信をもって他人に説明できるとまでは言えません。

きっとこれからも、僕はこの生で悩み続ける。
なんで生きているのか。どこに執着地があるのか。
この呪われた人生をどうやってプラスにしていくのか。

それでも、生きて流れて、少しずつ変わる。
そうやって、毎日を過ごしてみようと思いました。

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