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失ったものではなく、手に入れたものを探す

失敗をすると、なんでか知らないけどすべてを失ったと勘違いする。不思議なもので、「手に入れたもの」ではなく「何を失ったか」で判断する生き物らしい。
それは、僕も例外ではなく。むしろ、何も手にしていないからこそ、「今持っている何か」に縋り付いるような。そんな、奇妙な感じがした。

ことの発端は、ちょっと仕事で挑戦して失敗したことだった。自分でテストする分には問題なく動作するが、クライアントが使用してみるとエラーが表示されないという問題だった。ブラウザの問題もあるが、こちらが欠片も想定していない使用をされたみたいだ。
エラー自体は出てくれていたが、それが確認できないのであれば「ボツ」という判断。また、システムの構築を行わないといけない。

不思議なもので、プログラムだから「該当箇所を修正すればいいか」と思えばいい。前向きに考えれば、「あと何か所か修正すれば終わりだな」とも考えられる。ただ、「失敗した」という、なんとも言えぬ敗北感と、悲しみに打樋がれる必要なんて、どこにもないのに。
それでも、「気にしてしまう」のは、個人的な性なんだろう。止まらない思考、押し寄せては引き返す感情の波。「ダメだった」という事実を前に、「次はどうするか」に、思考が回らなくなる。

でも、得たものもある。それは、「クライアントは想定外のことしかしない」「要求事項にないことを平然と求める」「デバック能力が上がる」などの、確実な成果だ。これを、自分の中でかみ砕いで、モノにできれば大きく成長できるというのに。もったいない。
自分らしく、思い切り羽ばたいてみようと。そう思えるまでに、少し時間が必要だ。その間が、等しくつらいんだろうな。感情の波と、思考のダブルパンチは、想像以上に自分を腐らせるみたいだ。

「だめだな」って時には、だからこそ「得たもの」を考える。今回でいうと、「自分の成長」だろう。忘れてはいけないのは、正解なんてないってこと。自分の中にしか、思い込みでしか生み出せない何かだからね。
失った物ばかり数えるのではなく、今ある何か。今得た何かに、そっと視線を向けてみよう。

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