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歌詞と文章の間にある、リズムという不思議

古今東西、人間はモノを伝えるのに文章を用いてきた。昔は象形文字を使用して、それから徐々に文章が体系化されていく。途中で、民謡のように、リズムに乗せて話すことで、記憶の定着を図るようになった。
昨今では、歌は多くの人の心を揺さぶり、時には生きる意味や人生を大きく変える心的変化を及ぼすまでに発展している。

歌には、人の人生を大きく変える力があると、僕は思っている。
そして、文章にだってその力は大きく根付いている。そも、歌というのは、リズムだけで人を魅了可能なものかといわれると、正直わからない。誰もが、「自分の好きなリズム」はあるだろうが、「このリズムでオレの人生が変わったんだぜ!」と豪語してくれる友人がない。
いや、ギタリストとか、バンドマンは別だけどね。彼らを含めていいのなら、数人のギタリストが「このビートを刻みたくて!」と言って、バンド業界に飛び入りしていた。これはある意味、リズムが人の人生を変えているということなんだろう。

僕は音楽の専門家ではないので、詳しいことは言えないがきっとそういう人も多いだろう。ただ、今回は「歌詞」に焦点を当ててみたい。
音楽の授業などで、歌の歌詞を教科書やプリントで見たことはないだろうか。僕は、その歌詞を見て「きれいな単語の羅列だな」という印象を抱くタイプだった。そして、その歌詞にはどのような物語があって、文脈があって、文章展開があるのかを探す、ただのバカだった。

ただ、歌詞がどんなにきれいでその物語が良くても、歌というのは歌い手一つでその印象ががらりと変化する。正直、「声」という要素がここまで大きなものだとは、幼い時には実感していなかった。
誰が、どのように、どんな思いで声を込めるのか。僕は、一番歌詞が輝くには、これが重要なのだろうと、そう思うようになった。なので、僕の「歌がうまい」の基準は恐らく人とはだいぶ乖離しているのだろうな。

一方で、文章だけだとどうだろうか。歌詞の意味やその物語で感動する人は、ほぼいないだろう。歌を聴いていて「歌詞がいい」という人も、歌詞を調べて全部自分で読み上げて、どこでどんな物語があるのか。どのような情景があるのかなんて、曲なしで検討することはそんなに多くないのではないだろうか。
やっているのは、僕のような変人か、その歌詞や曲が本当に大好きな人だろう。

僕が不思議だと思ったのは、最近の人は「前後文脈や長い文章の論理展開」に関して、そこまでついてこれない。これは、切り抜き動画や、SNSの弊害であると思っている。要は、殴り書きのようなものには慣れているが、公式文書、しっかりとした文書には、慣れが少ないということだ。

だが、歌というのは時に4分を超えるものもある。近年のボカロ楽曲や、V-tuberの楽曲は、結構長い。間奏もあるから5分越えというのも、珍しくないのではないだろうか。そこにある物語や、訴えたいことはしっかりと理解できる。
多分、そういったコミュニケーション能力が著しく発達している証拠なのだろうけれど。小さな短文から、しっかりと意味や解釈を読み込んで、自分の中で論理的に展開しているのか、これまでの人生経験に当てはめているのか。

歌詞であれば、歌にすれば理解できて、文章のままだと理解できない。
そんな現象が、僕の身近でチラホラと起き始めている。また、理解でキルできない以前に、読める読めない、聞ける聞けない問題もある。
そこにあるのは、リズムだけ。そのリズムというものが、大きな影響を与えているのかもしれない。

もしこれから、SNSで動画配信や何かしらのコンテンツ制作をする方は、「リズム」を意識してみるとよいだろう。きっと、僕のこのエッセイもどきなんかよりは、何倍も読みやすいはずだ。

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