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風荒ぶる、子ども喜ぶ、親風邪をひく


■風邪のひき初め

季節の変わり目など、よく風邪をひく身ではありますが、今年最初の風邪は随分早くやってきてくれたものです。

昨年はコロナ罹患、直後にインフルエンザ、と手痛い打撃を受けましたが、今年は体を資本に元気にやってきたいと思っていた最中だっただけに無念です。

家族からは花粉症じゃないの?
と言われていますが、どうなんだろう……。鼻水と頭痛と全身の倦怠感。花粉症の症状だよ、それ、と妻は半ば嬉々として指摘してきます(妻は重度の花粉症に悩まされています)

みなさん花粉症にお困りですか?
妻はどうしようもないときは薬を飲んでいます。私は以前慢性のアレルギー性鼻炎(主にハウスダスト)でしたが、漢方薬で治療したところ、ころっと治ってしまいました。
花粉症に効く漢方とかあるんですかね。

風邪ということで、風邪をテーマにした掌編を一つ。お付き合いください。

■風邪をひけば泥棒が儲かる

「横川、三十秒だ。三十秒で開けろ」
 男は門柱の影に隠れて路地を覗き込みながら、振り返って横川という女性と見紛うような長髪の男に言う。
 そこは瀟洒な住宅が立ち並ぶ高級住宅街で、ガレージに並んでいる車を見るだけで、住む世界の次元が違うと分かる。国産車なら最高グレードのものだし、外車も名だたる車がそこかしこに見える。
 住宅のほとんどにはカーテンが下ろされ、今この路地を見張っているような酔狂な人物はいなかった。
「ディスクシリンダー錠だろ。余裕だよ」
 横川はズボンのポケットからピッキングツールを取り出すと、ツールを鍵穴に差しかけて手を止め、忌々しそうに舌打ちすると、「おい成実(なるみ)、話が違う」と成実を睨みつけた。
「何がだ」と明らかに苛立ちながら成実は横川の前に立つと、「さっさと開けろ。それがお前の仕事だ」と高圧的に命じた。
 横川はそれに慣れているのか、表情も変えずに受け流し、「こいつはロータリーディスクシリンダー錠だ。おれみたいな素人には開けられない」と錠の突起をこつこつと手で叩いた。
「お前常々自分はプロだと言ってたろう」
「ディスクシリンダーならな。こいつは違う。ピッキング対策がされていて難易度が高い。おれには無理だ」
 横川は両手を上げて降参の意を示し、おどけたように舌を出して笑った。
「だめなら、このまま帰るか」
 いや、と成実は毅然とした口調で横川の提案を退け、「窓を破って侵入する」と踵を返して玄関から庭へと回り込む。
 おいおい正気かよ、と横川も慌てて立ち上がり、後を追う。これだけの高級住宅街ならセキュリティぐらい入っていて当然だろうに、と頭の切れる成実にしては短絡的な行動だなと訝しくて仕方なかった。
 横川が追いつくと、成実が鞄の中からガムテープを出して、内鍵のある辺りに貼っているところだった。
「おい成実、割った瞬間警備会社が飛んでくるぜ。そうだな、十五分か二十分くらいで。そうなったらお宝をいただいている暇なんてないんじゃないのか」
 成実は涼し気な笑みを口元に浮かべ、「問題ない」と冷えた金属のような声で言い放ち、花壇のレンガを窓に打ちつけた。
 がぎっ、という鈍い音が鳴って、ガムテープを貼ったところがへこみ、ガラスの破片がはらはらと落ちる。その途端、警報のアラームが鳴り響き、言わんこっちゃないと横川は両手で耳を押さえて成実を睨みつける。
 すると成実はおもむろにスマートフォンを取り出して、どこかへ電話をかけ始める。
「あ、いつもお世話になっております。片根ですけれども。いやあ申し訳ない。警備を解除する前に子どもと野球を始めてしまいましてね。子どもが大暴投して窓ガラスを割ってしまったんです。なのでこれは誤報なので、ご心配には及びません。……え? 名前と住所、電話番号ですか」
 まずいな、と横川ははらはらしながら見守っていたが、そんな横川の心配など知ってか知らずか、成実はすらすらと片根家の個人情報を答えていく。
「ご納得いただけましたか。いやあ、警備会社さんも大変ですね。私のような間抜けの相手もしなくちゃいけないんですから。はは。いえいえ。では、ありがとうございました。失礼します」
 成実は通話を終えると、「何をぼやぼやしてる。急げ」と横川を急かしながら、空いた穴から鍵を開錠し、室内に入り込む。
 そこはリビングだった。ダイニングテーブルが並び、いくつかのチェストが置かれてその上には世界各地の土産物や写真立てには家族の笑顔の写真が飾られている。その中で、長男だけが無表情だ。
 この部屋は最小限でいいだろう。だが、荒らすだけは荒らしていくか、と成実は算段をつける。
「タイムリミットは十五分だ。その間に目ぼしいものをいただく」
「なんで十五分なんだよ」
 成実は答えるのも時間の無駄だとでも言いたそうに深いため息を吐き、室内を物色しながら答える。
「おれたちは警備をアンロックする方法をもっていない。つまり、あんな電話をしたにも関わらず、警備が解除されないということに警備会社が違和感をもつまでに十分。警備会社からここまで車を法定速度を若干超える速度でとばして約十五分だ。合計二十五分ある。おれたちが安全圏に逃げるまでには十分必要だ。だからその十分を差し引いて十五分が限界時間だと判断したまでだ」
 横川は耳をほじりながらローテーブルの上に置かれていたビスケットに手を伸ばし、口に頬張る。
「お前さー、そういうことは先に言っとけよなあ」
 もさもさと口を動かす横川の口の端から、ビスケットの細かい欠片がぽろぽろとこぼれる。
「ばか野郎。現場に証拠を残す真似をするな」
 成実は言いながら、チェストの上の写真立てなどを薙ぎ払う。落ちたそれを更に足で踏みつけ、粉々に砕いた。
「そこまでやるかよ。お目当ての品じゃないだろ」
「おれは幸せを偽装したような家族が大っ嫌いでね。特に金の力でそれを成したような男は、反吐が出るほど嫌いだ」
 ふうん、ま、どーでもいいけど、と横川はさらにビスケットを一つ掴んで齧りつく。するとおもむろに鼻をむずむずとさせ、へっくしょんとくしゃみをする。
「おいやめないか。そんな子どもっぽいお菓子に食いついて、今のくしゃみでお前のDNAが散らばったぞ。無闇に証拠を残すな」
 成実の言葉に横川はぎょろりと目を剥いて凄惨な笑みを浮かべて、「子どもっぽい?」と唇を震わせ、全身をわなわなと震わせながら狂気を孕んだ笑い声をあげた。
「成実い、お前今なんつった。なあおい。よりによってビスケットのことを指して、子どもっぽいとか抜かしたな。
 いいか、ビスケットってのはな、古くは船乗りにとって重要な保存食で、ビスケットのおかげで餓死を免れた船乗りは大勢いるんだ。命の源だったんだよ。それにな、歴史だって長いんだ。古代ギリシャのころから存在してんのさ。まあ、こんときは塩味で甘くない今とは違うものだけどな。後の時代に作られたビスケット、パキシマディアの製法がパニス・ビスコティスと呼ばれるから、ビスケットって名前になったんだよ!
 おれたちなんかよりずっと長生きで歴史の古い食べ物なんだ。成実、お前はもうちょっと敬意を払え!」
 ああ、しくじった、と成実は唇を噛んだ。横川は基本指示に従順な男だが、食べ物のことになると目の色を変えて妙な蘊蓄を垂れ流して来るという情報は掴んでいたのに。
 分かった分かった、すまなかった、と頭を下げると、横川はまだ鼻息を荒くしていたが、「わかりゃいいんだよ」とビスケットを口の中に放り込みもさもさと口を動かしながら答えた。
 やれやれ、とチェストの中に入っていたご祝儀などをまとめた封筒を見つけ、中身を残らず引き抜くと、二度と横川とは組むまい、と心に決めた。
 廊下に出ると、お菓子籠を抱えて相変わらずビスケットを咀嚼した横川が、思い出したように言う。
「あ、分かってると思うけど、クッキーはビスケットと別物だからな。まあ物としては同じなんだけど歴史が違うというか。クッキーはオランダ生まれのクーキエがアメリカに渡ってクッキーになったんだ。アメリカじゃビスケットというとスコーンみたいなものを指すのさ」
 どうでもいい、と思いながら成実は廊下を左手、玄関から反対方向へ進む。すると二階への階段があり、躊躇なく階段を上がると、振り返って「一番右の部屋には入るな」と横川に鋭く言い放った。
「なんでだよ。誰の部屋なんだ」
「この家の父親の部屋だ」
 横川はなおさら分からない。一番金目のものをもっている可能性が高いのは父親だ。そこだけは除外するという成実の料簡が理解できなかった。
「依頼人の希望でな」
 そう言って右から二番目の部屋に入る。背の高いガラスケースがあり、中には精巧に組み立てられ、塗装されたガンダムのプラモデル、いわゆるガンプラが所狭しと並んでいた。
 そのケースを成実は蹴破ると、中からガンプラをまとめて引っ張り出して踏みつけて破壊するということを繰り返した。
 呆れながら横川は、何か金目の物はないかと学習机やクローゼットを探ってみるものの、学習参考書ばかりでゲーム機の一つもなく、私服もノーブランドの無難な服ばかりで、嗜好を刺激されもしなければ、面白みもなかった。
 再びくしゃみをする。なんだか悪寒がする気もした。昨日自殺の名所で有名な沢に飛び込んで、骨でも見つからないかと泳ぎ回ったのがまずかったか、と横川は鼻を垂らしながら頬をほんのり赤く染めて考える。
「風邪か?」
「どうやらそうみたい」
「仕事に合わせて体調を整えられないようじゃ、この業界でやってけないぞ」
 大きなお世話だ、と言おうとしたが、口から飛び出したのはくしゃみだけだった。成実が呆れた冷たい目で見ていた。
 次はどうやらまた子ども部屋でベッドにぬいぐるみがやたらと並んでいた。机の上の収納や鉛筆削り、デスクマットに至るまでがピンクで、眺めていると目がちかちかした。
 成実はぬいぐるみをナイフを使って次々と引き裂いていき、その傍らで横川はゲーム機やソフトの山を見つけてほくほく顔で鞄の中に突っ込んだ。引き出しの中に小さな指輪を見つけ、その台座の上に随分と立派な青い石が載っているので、成実の方に差し出して、「これ本物か?」と訊ねた。
「鑑定士に見せてみないと断言できないが、多分本物だ。それだけの大きさのアクアマリン。随分高い買い物だったろうな」
 成実は吐き捨てるように言った。横川にはそれが気にかかった。
「なあ、さっきの長男の部屋だろ。で、ここは長女の部屋。随分と扱いが違わないか」
 ふん、と成実は鼻を鳴らすと、「時間がない。次へ行くぞ」と部屋を出て行く。
 最後は母親の部屋だった。
 ドアを開けながら、成実は振り返り、「母親の装飾品の類には手をつけるなよ」と注意する。
 横川は釈然としないものを抱えながら物色していた。三面鏡の前にはアクセサリーの小箱と思わしきものが置かれている。あの中にはお宝がわんさと詰まっているに違いない。なのになぜ。
 へっくしょん。くしゃみをすると三面鏡の鏡に横川の鼻水がべったりとこびりついた。
「ばか野郎!」と成実は叫ぶと、預金通帳が入っていた引き出しから下着を取り出して放り、「拭いとけ」と嫌そうに言う。
 横川も女の下着で自分の鼻水を拭いている自分がみじめで、そっくり拭い終えると、持っていた下着の処分に困ったが、やむなく自分のポケットに入れた。
 そんな横川を横目に成実は衣装箪笥の中から容易に預金通帳と印鑑を見つけると、懐にしまった。
「おい、通帳はまずいぜ。足がつく。貴金属の類なら、裏のルートを通して売りさばけるが、通帳だけはやばい」
 成実は嘲弄したように笑み、「そんな当たり前のこと、おれが知らないと思うのか」と吐き捨てるように言った。
「ならなんで」
「依頼人は両親の慌てた姿を見るのがお望みだ」
 くつくつと成実が笑う。
 横川も堪忍袋の緒が切れたのか、握りしめていた母親のブラジャーを床に叩きつけると、「いい加減にしやがれ」と吠えるように叫んだ。
「この仕事なんかおかしいだろ。単純な盗みじゃない。母親の部屋からも大した収穫を得られないなら、何の意味があったんだよ、この盗みに」
「そう吠えるな。近隣住民に通報でもされれば厄介だ。ただでさえでかい音をたててるんだからな。帰ったら説明してやる。だからまずはこの部屋を荒らすために、箪笥の中身をすべてぶちまけろ」
 横川は舌打ちをしながらも、不承不承従う。下着が蝶のように宙を舞い、ブラウスが鳩のように宙を舞い、スカートが鷹のように宙を舞い、部屋の中に落下して無数の死骸となる。成実はそれを踏みにじり、ゆっくりとベッドに歩み寄っていく。そしてベッドによじ登ると、枕元にナイフを深々と突き立て、左右の等辺になるよう引き裂くと、等辺の交わる頂点、最初の点から真っ直ぐベッドの足元の方へと切り裂いていく。やがてベッドの下四分の一辺りに辿り着くと、ゆっくりと円を描いていった。
 完成したそれは♂の印だった。
「それにも意味があるんだろうな」
 成実は息を切らせながら無表情で頷き、「時間だ。撤収するぞ」と部屋を飛び出した。横川もそれに続く。籠のビスケットは鳥に餌でもやるように、粉々に砕いて部屋の中に撒いた。

 成実のアパートに辿り着くと、横川は疲労困憊して肩で息をしながら畳の上に寝転がった。咳をしていた。どうやら風邪が悪化しているらしい。
 成実も息を乱していたが、ほとんどもう整えて、ビールなんか飲んでいた。
「あ、いいな。おれにもくれよ」
「だめだ。未成年には酒はやらない」
「盗みはさせるのに?」
 成実はしばし俯いて黙った後、「それがおれたちの仕事だからだ」と言って一気に酒を呷った。成実も成実で、何かやるせないものを抱えてこの業界にいるのだろうな、と横川は起き上がって胡坐をかき、前後に体を揺すぶりながらぼんやりと考えた。
「で、今回のからくり、教えてくれるんでしょ」
 ああ、と成実は頷き、新しいビールとコーラを取り出すと、コーラを横川に投げつけ、自身も畳の上に胡坐をかいて座って、プルタブを引いて開ける。炭酸が抜ける小気味よい音が鳴る。
「依頼人はあの家の長男だ。依頼料は既に振り込まれている。だからあの場で盗む必要のあるものは一つだけだった」
「預金通帳」と横川は人差し指を立てて言う。
「そうだ。依頼はこうだ。『自宅に泥棒が入ったように見せかけてほしい。ただし、父の部屋だけは無事で。母の部屋に預金通帳があるから、それを持ち出して、あと、母のベッドに♂の印を書いて欲しい』」
 なんだかよく分からないな、と横川は首を傾げる。「なんで父親の部屋は除外したんだ」
 成実は俯いて考え込む。そうしていると、濃い影が彼の痩せた頬におちて、どこか幽鬼を思わせて、横川はぞっとした。
「長男は父親から虐待を受けていた。寝る時間以外は机に縛り付けられ、食事も机の上で一人でとり、用便も尿瓶やおまるを使わせられた。問題に間違えれば叩かれ、歯が折れたこともあるという。一方で妹は父親に溺愛され、勉強などしなくても怒られず、望めば何でも買ってもらえた。最近では妹も兄を馬鹿にして暴力を振るうのだという」
「母親は、母親はどうなんだよ」とすがりつくように問う。
 成実は疲れたように首を振る。
「母親も夫からの暴力で、逆らえないよう支配されている状態だ。だが、少なからず抵抗の意志があるのか、パート先の若い店長と不倫関係にあるようで、家の状況を赤裸々に教えているみたいだな」
「なるほど、だからベッドに♂の印か」
 そういうことだ、と成実は頷く。「お前の不倫を知っているぞ」という犯人からのメッセージだ。
「そして犯人は夫の部屋だけ荒らすことを避けた。つまりは」
「夫の意を受けた人物かもしれない」
「そうするとさっきのメッセージは夫からの脅し、という意味をもってくるわけか」
 成実は頷いてビールを呷り、立ち上がって窓を開ける。
 夕暮れのオレンジに染まる空には、黒い影がすーっと流れていた。成実はその軌跡をずっと目で追う。横川は不思議そうに成実の横顔を眺め、コーラをちびちびと舐める。炭酸、苦手なんだよな。
「妻がそう考えてどう行動するか。それに長男は賭けている。自分を連れて逃げてくれるのか、一人で逃げるのか――」
 成実は缶をぐしゃりと握りしめる。
「賭けに負けたら、警察に全部話すつもりだそうだ。警察も恐らく、今説明したような不審を抱くだろうからな」
 二段構え、と横川は呟く。「最近の子は油断も隙もないねえ」
「お前も最近の子だけどな」
「いや、もう三つ下とかになっちゃうと分かんないって。外国人みたいなもん」
 ふっふと成実は肩を揺すって笑って、「なら、おれにとっては宇宙人みたいなものだな」と言った瞬間顔が凍りつき、またすぐに元の笑顔に戻った。
 成実は握りつぶした空き缶を窓の外に放り投げる。街路樹の枝に当たって、転がり落ちたそれは、街路樹の下でスマホを操作していた黒い帽子の男の頭に当たった。
「ああ、申し訳ない。手元が狂ってしまって。お手数ですが部屋まで届けてもらえないだろうか。二〇五号室なんですが」
 男は空き缶を拾って、真っすぐ前と、右側に視線を走らせて微かに、それは注視していなければ見落とすほど微かに頷いた。そして成実のアパートの方へ歩いてくる。
「横川。やりあう準備をしろ。サツだ」
「んなばかな。なんでこんなに早く」
 ドアチャイムが鳴る。「すみません、お届けに来ましたよ」
「ああ、ご苦労様です。今ちょっと手が離せないので、中に入ってきてください。鍵は開いてます」
 男は返事をしなかった。慎重を期して入ってこないか。それなら賢明だ。正しい。だが男は若く見えた。功を焦り、しくじる素地はじゅうぶんあるように見えた。
 がちゃり、とドアノブが回った。読み通り、と成実と横川はそれぞれ左右に分かれてぴたりと壁に沿う。
 ぎし、ぎし、とゆっくりと床が軋んで男が進んでくる。罠かもしれない、という意識があれば、自然と武器を構えるはずだ。警察が使用する武器は一種類しかない。その単調さがこちらにつけいる隙を与える。
 銃は、同時に二方向を狙うことはできない。
 男の足が畳を踏む。さあ、どっちだと成実は高ぶる気を静めつつ、飛び掛かる力を足に溜める。
 男は成実の方に銃を向けていた。だが狙いの軌道は成実の頭を逸れている。それでは撃っても壁にしか当たらない。当たらないと分かっているものは怖くない。
 学校や訓練ではいい成績だったんだろうな。だがな、実戦の経験がなきゃあ、何の役にも立たないんだ。日本は江戸時代の頃から何にも学んじゃいない。道場剣法が何を変えたんだ?
 成実は足に溜めていた力を開放し、男に向かって飛び掛かる。その隙を突いて背後から横川が迫り、手の甲にナイフを突き立てて銃を落とさせる。
(ちっ、やりすぎだ、横川)
 呻いて膝を突いた男に、成実は縄をかけていく。タオルを噛ませて猿轡とすると、手の甲にもタオルを巻いて止血する。
「なあ、なんでこんなに早くばれたんだ」
 横川の息は整っている。興奮したり、今の攻防で疲弊したりはしていないようだ。意外とタフだな、と成実は感心する。
「宇宙人が密告したのさ。横川にとっては外国人か」
「まじで?」
 成実はむしろ清々しい気持ちで頷いた。
「一杯食わされたのさ。元よりおれたちのようなはぐれものを見逃す気はなかったんだ」
「生意気」と横川は憤る。
「それじゃあ逃げる算段をつけようか。あと刑事は恐らく二人。そしてのこされた時間は」
「五分」と横川がにやにやと笑みながらセリフを先取りする。
 お、分かって来たな、と成実は嬉しくなった。
「五分で逃げ切る。その策ならもうおれの頭の中にある」
 今日は残業だな、とぼそりと成実は呟いた。
 へっくしょんと横川はくしゃみをした。鼻水や唾が男の顔に降りかかった。男は心底不快そうな顔をして、横川は「いやあ、すまない」とのけ反って頭を掻いていると、またくしょん、とやって、成実の顔に襲い掛かった。
 へへ、と横川は鼻を垂らしながら笑っていた。成実もまた、しょうがないやつだ、と呆れたように笑っていた。

■後書き

何とか書き上げた形です……!
途中とオチと、なんだか滅茶苦茶ですが、そんなところも楽しんでもらえれば幸いです。ちょっと長くなってしまったのが申し訳なく。

ひょっとすると体調不良で、今日は「スキ」や「フォロー」や「コメント」の返信が遅くなるかもしれませんが、ご容赦を。

みなさまも、体調管理には十分お気を付けください。
それでは。

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