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嘘つき男は今日も笛を吹く


■笛は吹かない

そう、吹かないんです。看板に偽りあり、です。嘘つき男ですから。

実際は、笛を吹いていた時期もありました。
書店員時代、何を血迷ったか、それまで楽器に親しんだこともないのに、フルートをやってみようと思い立ったのです。
通販でフルートと教本を購入し、毎日練習しました。当時は実家暮らしで田舎だったもので、調子はずれの音を響かせていても文句なんかとんでこなかったわけです(家族以外からは)。

音は出せるようになりました。音階の運指も覚えました。簡単な曲ならたどたどしく吹くことができるようになって、さあこれから、というところで挫折しました。

それ以来、嘘つき男は笛を吹かないわけです。

■嘘つき男

私も人間ですので、嘘をつくことはあります。なので、自らを嘘つき男と称してもそれは嘘ではないわけで。でも嘘をついてないなら嘘つき男じゃないんじゃ? となると論理がどんどん捻じれてきますので、その辺で。

小説って、特に文学と呼べるものは、嘘という原石を磨き上げて、カットをし、細工した座金に埋め込んだジュエリーだと私は思います。
それが美しかったり、デザインが奇抜だったり、そもそも石が希少なものだったりすると、価値は跳ね上がるわけです。
それから、デザイナーや職人が高名な人物である、いわゆるブランドがつけばまたその価値は上がります。

じゃあ私は? というと、まだ自分が磨くべき原石を探している状態です。磨き方もカットの方法も、座金の作り方すら勉強中な、職人としては見習いみたいなものです。

そして私自身にブランドをつけることもまた難しく。ブランドで昨今の風潮でもっとも手っ取り早いのが、「若い」ことです。若さは強力なブランドとなりますが、私は武器となる時期を逸してしまっているので、他に付加価値を見出さなければ、武器として勝負できるブランドは押し出せないでしょう。

こう書いてみると、小説家になりましょうというのは、結構絶望的な感じがします。
私には原石となりうる、誰にも負けない経験とか、卓越したカットの技法など、特筆した長所がない状態です。
そうした人たちから見れば、せせら笑われても仕方ないお粗末さでしょうね。

だから私は、これまでWEB上に自分の作品を掲載することを躊躇っていたのです。勝負の土俵に上がっていい人間だとは思っていなかったから。

じゃあ公開している今は土俵に上がれる自信があるのか、というとそういうわけではなく、恐れて土俵に上がりもしなければ、いつまで経っても勝負できる人間にはなれないと思ったからです。

私は人をあっと言わせたり、いい話だなとじんわりと心温めたり、そんなことができる嘘つき男になるべく、日夜奮闘しているわけです。

■今日のこれって、何が書きたかったわけ?

日記でもなく、エッセイとも呼べないでしょうか。自分語り、のようなものでしょうか。

ネタがなかったので、自分の考えていることを言葉にしてみようとしたわけですが、思ったような形にはならないですね。自分語りも簡単なようで難しい。

小説って書くのに時間がかかります。
今短編を一つ書いていますが、Xの方で毎日140字小説を掲載しているので、そのネタを考案するのに四苦八苦です。短編の方がなかなか進まず。
分量が少し多くなりそうなので、三日くらいに分けて掲載しようと思いますが、まだ一日分くらいしか書けてないので、先は長いです……。

■嘘つき男は笛を吹く

フルートはもう吹きません。

口笛を吹くように、人生を歩いていきたいと思うのです。
夕暮れの川べりの土手を、頭の後ろで両手を組み、沈みゆく夕日を眺めながら口笛を吹き、歩いていく。

人生って夕暮れぐらいがちょうどいいと思うのです。光と影が拮抗して溶け合うような時間。暗闇の中では人間は精神の均衡を保てませんし、明るすぎても、それに対抗するように濃い影が生まれます。それは時に人を蝕むのではないでしょうか。

人生の明るさも暗さも眺めて、それでも気楽に口笛を吹く。

そういう生き方でありたいなと思います。

口笛で吹くなら何の曲がいいでしょうか。

みなさんだったら、何の曲を吹いて歩きますか?

それでは、日の沈んでしまった夜の闇を、窓の外に眺めて口笛を吹きつつ。

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