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綺麗なのにトゲのない花

その人は花道教室の受付にいた。

その人、といっても、歌舞伎町あたりで投網を打ち、引っかかった多種多様な人々のような世慣れした御仁ではなく、心の美しい、やや化粧の濃いめの御婦人であった。彼女は、雑踏の中、ちょっと肩がぶつかると、「ああらあ、ごめんなさいね。ちょっと前を向いていなかったものですから。失礼いたしました。え、あなたはどこから?まあまあ、そんな遠いところからご苦労様です。以前うちの旦那がお世話になったみたいで・・・」なんて言い出すような、ストラップつきの眼鏡を首からぶら下げつつ山手線のホームにいるような世慣れたご婦人とは明らかに一線を画しているのである!この御婦人ときたら、どこぞの髭の濃いオッサンとでも、生意気な顔してTiktokの鑑賞に憂き身をやつし、その血と言い肉と言い8割方ファミチキでできているような中学生とでも、肩がぶつかろうものなら「ぽっ」と顔を赤らめるのである。その赤らめ方があまりにも初々しくて、さながら秩父駅にいる小学生の女の子のようにすき通っているので、欲求不満の若い男子などはつい・・・いかん!これ以上はやめておこう。とにかく、このような御婦人がおられたそうな。彼女はSさんといって、旦那さんはかの有名なN社の専務であり、社長の右腕であった。

このようなお方とお近づきになれるのならば、誰だってあらゆるものを犠牲にするだろう。なぜなら、Sさんはいわゆる「お気に入り」を作るタイプであったから。はてさて、私にははなはだ不思議であるが、万人に好かれるような、素晴らしい容姿を兼ね備えた精悍な男とて、御婦人方にこの人だけはダメ、なんか気持ち悪い、生理的に無理などと言わしめる何者かが潜んでいることが珍しくないのは、いったいどういうわけであろう?どうしてこんな話題を急に持ち出したのかというと、ほかならぬSさんも、出会った人をすべてこの手のセンサーにて的確に判断してしまう人であったからである。初めて会った人に対して、彼女は目を三日月の如く可愛らしく細めて応対するのだが、そのくせ心の中では「ちょっとなんか、言葉遣いは馬鹿丁寧なんだけれども、なんていうんだろう、気持ち悪いわね。」なんて考えているのである。いや、そうに違いない!それでも眉一つ動かさず、高級なお茶菓子を給仕してくださり、こちらの愚にもつかぬ話をふんふん頷いて聞いてくださるのだから、このSさんと別れた後には、いやはや、参った!好きやわあ・・・となるのである。このお方は素敵だ!老いも若きも、特に男は、一度目が会っただけでも、この御婦人の格別のご厚情を賜ったものと確信して疑わない者はなかった。そして、あの女性たちでさえも、どんな巧妙な装飾品で飾った心中もすべて見破ってしまう、恐ろしいくらい鋭い嗅覚を持った女性たちでさえも、このSさんの振る舞いにはコロッと騙されてしまうのである!あな、恐ろしや!なんという御婦人であろう?この人は世慣れていないはずなのに?だが、世慣れているということは、自分の不快をまざまざと主張し、二度と同じようなことを自分の身辺で起きないよう画策することを避けられぬこの人間社会の波に揉まれているわけであって、要するに世慣れている、ということは、多少なりとも彼の態度が分かりやすい、ということではないか?真に世慣れている人は、むしろ虚偽と装飾と猜疑に満ちた空気を吸わず、相手を不快にさせない術を身に着けているため、ただただ気持ちの良いふるまいを行うが、そのくせ尻尾は1ミリたりとも見せないのである!このSさんと世慣れた御婦人方、どちらが恐ろしいかの話はさておき、このSさんには追従者が尽きなかったことは間違いない。彼女は老若男女問わず、あらゆる人に好かれた。どんなに「世慣れ」た人間でも、彼女と二言三言話をすれば「ううむ、これは、素敵な御婦人だ!」と我を忘れる始末である。しかも、この御婦人、小首をかしげる。これがまたえもいわれぬ美しさであり、どこかで見た「見返り美人図」を思わせる風雅、これこそ日本の美人ではないかと、見たものは心をぼうっとさせ、数秒虚空を見つめた後に我に返るのであった。書いてるだけで私も・・・いや、いけない!


本日は正月である。駅前のデパートの屋上にある、花道教室で顧客の呼び込みをされていた、和服姿の御婦人について、くだらぬ妄想を繰り広げてみた。



本年もよろしくお願いします!今年も皆様に素敵なことがたくさんありますように!!







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