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エッグ・リウム

ここは私が生まれたところだ。

冷たい石の建物。分厚い自動ドアには最高レベルのセキュリティがかけられている。傍らの警備員室には24時間365日態勢で職員が勤務している。コンビニよりも大きくて、テレビ局よりも静かな不夜城。

ここはわたしが生まれた、エッグ・リウムである。

202X年、中国のある優秀な研究者により、その装置は生まれた。人工子宮の誕生である。以後、人々はこぞってこの最先端のテクノロジーを普及しようと努めた。

その時代は、国や地域によってだいぶ格差があったものの、世界中の豊かな地域で少子高齢化現象が起こっていた。むろん、私の祖国、日本も例外ではなかった。むしろ、日本こそ少子高齢化現象のカリスマ的存在であった。人口構造の崩れ方は甚だしかった。

社会が豊かになると、人間一人一人に求められる能力の高みはどんどんヒートアップしてゆく。数年前までほんの一部の優秀な人材しかできなかったことが、いつのまにか誰にでも出来るようになってしまっている。このスピード感。うかうかしていると時代に置いていかれ、自分は競争に負けてしまう。大勢が、焦燥感の中で生きていた。当然、みな自分のことで精一杯であり子どもをつくらない人がほとんどであった。それでも子どもをつくる人はいた。だが、生まれた子供は必ず社会の中で勝たせなければならない、という強烈な強迫観念のもと子育てをする人が多かった。つまり、子ども一人にかけるコストを多くしなければならないため、たくさん産んで育てることが出来なくなってしまっていた。

国は困った。どんなに教育が発展し良い人材が生まれようとも、マンパワーは国力の基礎中の基礎であり、少数精鋭よりも大人数の方が戦に有利なことはこれ当たり前の話であった。なんとか日本国民を増やさなければならない。これは火急の課題である。そう考えた日本政府は、当時世界中で話題になっていた中国の「人工子宮」に目をつけた。

そうだ、これだ。当時のA首相は思った。この人工子宮を多数導入し、公立の作児施設を設立しよう。そうすれば、今までの、子ども手当や各種の育休産休の補償、未熟児養育医療などの多大なる公的扶助のコストを効率よく国民再生産のために使うことが出来る。時間もコストも限られている。今すぐに行動を起こさないといけない。

首相はものすごいスピードで計画を進めた。中国に膨大な金を支払い人工子宮およそ1万基を買い付け、それらを収納した作児施設、名付けて「エッグ・リウム」が5年間かけて建設された。

当時、マイナンバーはすでにほとんどの国民に浸透していた。国民一人一人に割り振られた番号を使えば、日本国籍を持つ健康な生産年齢人口の男性1万人と女性1万人を抽出し、彼らから精子と卵子を提供してもらうのは簡単だった。もちろん選ばれた彼らは、自分の遺伝子を持つ子供については一切関与しないし、責任も持たない。すべての責任は国が負うのであった。国内外から山のような批判や中傷を浴びても、A首相は計画の実行を辞めなかった。そうだ、英雄なんて、いつも同じ時代の人間から理解してもらえない。自分は後世の日本人に称えられるだろう。A首相は本気でそう思っていた。

ついに運命の時が来た。それは新たな時代の幕開けであった。A首相がハサミで紅白テープを切ると同時に、全国から集められた産婦人科医がランダムに組み合わされた1万個の精子と卵子を交配し、人工子宮に着床させた。国による人工的な生殖管理の時代の幕開けであった。

中国の人工子宮はすこぶる高性能であった。生身の女性が持つ本物の子宮がどうしても引き起こしてしまう、さまざまな病気や子宮破裂などの周産期の異常などのトラブルは全く報告されなかった。1万人の人工胎児はすくすくと、きわめて健やかに育ったのであった。

運命の日から十月十日後、ついに最初の「人工児」が生まれた。体重3430gの元気な男の子だった。彼は人工子宮からこの世界に現れた瞬間、手練れの産婦人科医でさえ聞いたことのないほど元気な声でわんわんと泣いた。新しい命は美しかった。その子は多くの人間に祝福された。A首相も彼を抱いた。彼は首相の顔を虚心坦懐にじっと眺めた。その瞳は限りなく澄んでいて、この世で何とか生きて抜いてやろうという凄まじいエネルギーを感じさせた。誰がどう見ても、大成功だった。

彼が生まれたその日から、毎日のように100人近くの子どもが産声をあげた。誰一人として先天的な異常を持つ者はいなかった。みんながみんな、気味が悪いほど健康であった。私は3578番目に生まれた。元気な、元気な男の子だった。

私たちはすくすくと育った。毎日栄養バランスの調った美味しい食事を味わい、国が設立した施設の中で、保育士さんや小中学校の先生にしっかりと見てもらいながら元気に育っていった。

大成功だった。A首相は世界中から絶賛された。出産と育児による男女間の格差、という人類の宿命的課題を解決した英雄として讃えられた。感動の中で、彼は寿命を迎えて死んでいった。告別式には世界中の多くの権力者たちが参列し、葬祭は盛大に行われた。

だが、その一方でエッグ・リウムに務める教育関係者たちは違和感を感じていた。その違和感はなんだろうか?エッグ・リウムが建設される前は、生身の女性から生まれた子供たちの面倒を見ていた彼らが持った違和感。それは、生まれた子供たちが一切の性的関心を持たないことだった。

施設の中には同じ年頃の男性1万人、女性1万人が共同生活をしていた。寝る場所は男子寮と女子寮で分けられていたものの、朝の食事から夜の自由時間の終わりまで、彼らはずっと同じ空間で生活している。外出も可能だ。彼らが生まれて17年、普通の17歳ならばまず間違いなく異性に興味を持つはずだし、そうでなければならない。だが、施設の子たちは違った。全員が全員、定規で線を引いたみたいに優しくて几帳面で従順な子どもたちばかりで、施設の職員はホッとしていたが、それでも不気味であった。男性も女性も、同性にも異性にもまったく同じような態度で接した。そして、各々のプライベートは必ず死守した。どの職員も、恋バナをしている女性グループや、下ネタで盛り上げる男性グループの様子を見たことがない。これはおかしい。何かがおかしい。

そうだった。人工子宮から生まれた私たちは、性欲も含めた他人への執着心を全く持たない存在なのだった。どうしてそうなってしまったのかは分からない。でも、事実そうなのだ。いろんな才能を持った人がいた。だが、どんなに優秀な人でも、どんなに美貌を持って生まれた人でも、性的なことにはホントに一切の関心がない・・・・・・・・

誰しもが予測できない現象が起きた。ほんの一瞬だけ、世論は湧いた。「生命への冒涜に対する天罰だ」なんて言う人も出てきた。だが、問題解決は簡単だった。人工子宮から生まれた子の次の世代は、再び人工子宮で育てればよいのであった。

彼らは従順だった。摘精や摘卵の協力にも喜んで応じた。彼らの遺伝子は再び、人工子宮によって交配され、次世代へとつながれてゆく。何一つ問題はなかった。

ラブホテルや風俗店、AV産業や高級居酒屋まで、ことごとく倒産していった。代わりに、「19世紀フランス文化についてのサロン」とか、「ルネサンス追体験」とか、そういうサービスをやる商売が流行り始めた。時代は、恐ろしく清潔に、高貴になっていった。低俗なものは排除され、ブルジョア的な拝学主義が蔓延し、古本の値段は一気に跳ね上がった。時が流れほとんどの人口が人工子宮から生まれた人間になるにつれて、社会の後ろ暗い部分はどんどん影を潜めてゆき、犯罪も減った。教育をしっかり施された国の中枢を担う人間がしっかりエッグ・リウムの稼働率を管理しているため、人口ピラミッドはバランスの良い三角形を保っていた。三食と寝床さえ与えられれば、人々は何一つ文句を言わず喜んで働く。

私は思う。これこそが、人類が何千年もかけて希求したユート・ピアではないか。余計な欲求をそぎ落とし、ひたすら従順で善良で、画一化された人格が社会を構成する世界。ごく稀に芸術の才能を持った者も現れるが、それはもちろん、彼らがまだ受精卵だった時から、遺伝子スクリーニングによりその素質を認められ、国による介入を受けてその才能を伸ばすように育てられた結果だった。すべてを国が管理する。構成員は喜んで服従する。余計なワガママや変な欲望を起こさない。桃源郷の到来だ。君たちは、安心して生きるといい。人工子宮が、すべてを解決する。人工子宮により、君たちが抱えるあらゆる苦しみは、地上から消え失せるのだから。


#創作大賞2022

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