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「情報」ダム、水位危険情報。


人間は、間違いを犯す生き物である!!


これは何度も何度も言われてきたことです。


おなじみの天才である芥川龍之介は、人生を「競技場」に喩えておりました。

人生は狂人の主催になったオリンピック大会に似たものである。我々は人生と闘いながら、人生と闘うことを学ばねばならぬ。こういうゲームの馬鹿馬鹿しさに憤慨を禁じえないものはさっさと埒外に歩み去るが好い。自殺もまた確かに一便法である。しかし人生の競技場に踏みとどまりたいと思うものは創痍を恐れずに闘わなければならぬ。(芥川龍之介「侏儒の言葉」新潮文庫より引用)


「競技場」という喩えは、何とも言い得て妙です。さすがは芥川。こういうちょっとした言葉が浮かぶかどうかが、あんがい天才と凡才との分かれ道だったりするのかもしれませんね。


さて。話を本題に戻して。

人生が本当に「ルールも何も分からない競技場」であるとしたら、私たちはいったいどうやってこの競技場で生き抜く術を身につければよいのでしょう。

この競技に参加する者は、何も教えられていない。そして、その戦い方やルールは人によって千差万別である。だとしたら、自分で様々なことにどんどん踏み込み、どんどん傷を負い、失敗上等で挑戦していかなければならない。

生きている限り、私たちは闘っているのです。生きている限り、私たちは反抗者なのです。

失敗したからと言って、打ちひしがれている場合ではありません。また失敗したからと言って、マジで本当に何一つ自信を失う必要なんかありません。たとえそれが世人の眉を顰めるような恥ずかしい失敗であっても。

踏み込まなければ決して分からない。やってみなければ決して分からない。世の中はこんなことだらけです。

個々の人生も、人間全体の歴史も同じようなものです。それは試みと失敗を繰り返してきました。何かをやってみて、失敗して、また考えてやってみて、また失敗して、また考えてやってみて・・・そうやって私たちは火を手に入れ、電気を使いこなし、核開発をすすめ、そしてーーーインターネットなんてものを生みだしました。

インターネット!!

そう、このインターネットのせいで、私たちは失敗することに対して胸を張れなくなってしまっているのではないかーーー

最近、私はそんなふうに思い始めています。

なぜでしょう?

それは、インターネットには情報が溢れすぎているからです。

良い選択をするためには情報が必要ですが・・・情報に翻弄され過ぎると私たちは何一つ決断できなくなってしまうものです。

「こういう意見もある。ああいう意見もある。いや、こっちが正解か?いや、この観点から言えばあっちが正解か。いったいどうすりゃいいんだ!もう知らない!プイッ!」

・・・なんてことになってしまいます。

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失敗するのに大喜びする人はいません。みんな、できれば失敗を避けて生きていきたいものです。そのために、手に入る情報は何でもかんでもつかもうとします。「こういうデータもある、いや、ああいうデータもある・・・」なんてさまざまなものをまるで専門家のように論じます。それでいて、恐ろしいことに実際には何一つ踏み出すことができないのです!!

一番危険なのは・・・YouTubeでよくサムネイルになっているあの分かりやすい謳い文句ではないでしょうか。

「○○する人はゴミ」「○○な人とは関わらない方がいい」「○○する奴一生貧乏」

ああ・・・

こうして蓄積された様々な「中身のない知識」はどんどん頭の中に蓄積されていき、やがては重い重い足枷になります。

いざ、○○でもやってみようかと立ち上がった時、インフルエンサーの言っていた「今○○するやつはバカ」という文言がちらつき始める。怖いのでインターネットで検索してみると、まるで自分自身を𠮟りつけるかのようにネガティブ情報ばかりが目につき始める。

危なかった。こんなことやってたら、おれも「バカ」のうちの一人になっていたところだった。

こうして彼はぐっすり眠ることでしょう。


このようにしてどれほど多くの人々の失敗が未然に防がれたことでしょう。そして、成功や成長のチャンスも摘まれてしまったことでしょう。

情報がありすぎる、というのは良いことばかりではないのです。いろんな人がいろんなことを言います。根拠のある言説もない言説も、一般的に言われていることも権威のある人の言う言葉も、それがあなたにとってどうなのかは誰も分かりませんし、教えてもくれません。


とっくのとうに「情報」ダムは危険水域に達しています。情報も水もよく似ています。すなわち、生きるためには必要不可欠だけど、多すぎると溺れて命を奪われてしまう。

「情報」の海に溺れないために。

やってもないことを、さもしたり顔で語ることの恥ずかしさ。

なにかをやろうとする人に対して、ネガティブ情報ばかり提示してやる気を削ごうとするその嫉妬深さ。

これらを今一度しっかり胸に刻み込んで生きていきたいものです。

情報ばかりが膨大になってしまった私たちに必要なのは、もう一度自分の手を汚して何かを肌で実感することです。これはもう間違いありません。どうにかして情報を遮断し、「無駄になること」にこそむしろ素晴らしい価値があるのだということを再認識し、これからも胸を張ってミスり続けましょう!!

この競技場で生き抜くことのできるものは、ただ、闘う者のみです。


今日もお読みいただきありがとうございます。皆様の一日が素敵なものになりますように。



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