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【短編小説】たった一つのお願い

「さあ、お主の願いを一つだけかなえてあげよう。」

目の前の「神」が言い出した。

「一つだけ、ですか・・・。なんか月いくら払えば願いが叶い放題とか、サブスクリプションはやっていないんですか?」

僕は聞いてみた。

「馬鹿もん。そんなサービス、お主みたいな卑小な人間にできるわけないだろう。願いが叶い放題なんてやってしまったら、いずれ世界中のすべてを手に入れるまでお主は『願う』ことをやめないだろう。お前さんたちはすぐそうやって、やれ『あれが欲しい』だの、『イケメンになりたい』などいいくさる!まあ、気持ちはよく分かるが・・・」

なるほど、と思った。確かに「神」の言う事は間違いない。でも、この「神」はなんとなく威厳のないやつである。イジリがいがありそうだ。いっちょカマをかけてみようか。

「俺がいま『世界中のすべてを手に入れたい』と願うのと、月1回お百度参りのサブスクリプションで願い叶い放題のプランを契約するのと、何が違うんですか?」

「ほう、その質問に答えることが、お主のたった一つの願いという事でいいのかね?」

意地悪な奴だ。クソ野郎め!

「あ、じゃあ、やめときます。」

「ほれ、さっさと言え。わしゃ忙しいんじゃ。これからウズメとデートじゃ。あの子、いつもあんな格好しおって・・・もうたまらんわい。今日はもしかしたら、何も着てこないかもしれん♡」

白い髭から唾液がつつーっと滴ってゆく。煩悩丸出しの禿げ頭がつるりと光る。

こんなふうに、自分の欲望を全肯定することができればどれだけ幸せだろうな、と思う。

僕たちはついつい自分の欲望に蓋をしがちである。欲望のままに生きることは汚らわしいこととされている。よしんばそれが称揚される機会が来たとしても、己が欲望をひけらかして生きることはやはり顰蹙を買う。「うんこしたい!」って叫ぶ奴はいない。そういうことなのだ。

だが、神々は違う。彼らは結構な恥知らずである。この小太りのクソジジイのように、古代から大事なところが丸出しのまま生きている女神とデートするのに中坊みたく喜んだり、あほみたいに食ったり飲んだりして生きていければ、どれだけ幸せなことだろう・・・。この前なんてクソジジイに「そんなに毎日酒ばっかり飲んでて、病気とか心配じゃないんですか?」なんて聞いたら、あの野郎、なんて言いやがったと思う?

「だって人間が運んできてくれるし。ワシ、神だし。病気とか治せるし。」

なんて抜かしやがった。ふざけた連中だ!なんでこんな連中のために俺たちは頭を下げなきゃいけないんだ!!?

なんにせよ、「神」が羨ましくて仕方がない。「神」の世界には規範などないし、道徳も法律も存在しない。いつどこで食っても、飲んでも、ヤッてもOKである。それでいて人間に対しては「正直に生きよ。嘘をつくんじゃない。」なんてわけしり顔で言いくさる!

俺たち人間の苦しみは、自分の欲望を抑え込みながら生きていかなければならないことから来るのではないだろうか。そうだ、そうに違いない!

だとすれば、俺の言うべき願いは一つ・・・

「じゃあ、僕の胃袋と生殖器を切り落としてくださいよ。」

「神」は目を丸くした。

「なんじゃと?貴様、正気か?」

「はあ。」

「よし、わかった。過去になんどかお前みたいなやつがいたものじゃ。そいつらは大抵、髪の毛をそり落としていて、ようわからん玉を腕につけてじゃりじゃりやってる連中だったが・・・よかろう、願いをかなえてやる!」

「御託ならべてないでさっさと願い叶えてくださいよ。これからデートなんでしょ?」

「ふん。最後まで可愛げのない奴じゃわい。言われなくてもやるからちょいと待っとれ。」

ふおーん、と体が軽くなった。急に体中のあらゆる筋肉から力が抜け始め、すべてがどうでもよくなってゆく。

ああ、これで俺は、煩悩から解放されたんだ・・・

ゆっくりと、ゆっくりと、沈んでゆく。


ふっと目が覚めた。いつものベッド。

さあ、今日から俺は幸福な人生を歩むんだ!どんな欲望を持つことがなく、つつましい人生を送ることが出来る権利を手にしたのだ!


やるぞ~!


・・・とは思ったものの、何一つやる気が出ないことに気づいた。

驚いた。何もできない。ていうか、身体が動かない。自分が生きていることさえ意味が分からない。なにしろ、何もしたくないのである。すべてが不合理で、冷笑的で、馬鹿なものに思えてきた。部屋の壁掛け時計のチクタク、という音に嘲笑われている気がしていた。

その時、私は気づいたのである。

人間は、欲望なしには生きていけない、ということに。

ああ、なんという誤算!なんという失敗!私は自殺をしたのだ。もはや何もできない、何もしたくない、ということがこれだけ恐ろしいとは思わなかった!息をするのも億劫になってくる。ネットでAVを見ても何とも思わない。ああ、つまらない。退屈だ。死んだ方がマシだ・・・

何かを求めて苦しむことの、なんて素晴らしいことなんだろう!いろんなものを手に入れてもなお飽き足りず、貪欲に生きていく者の人生たるや、どれだけ充実していることだろう!もう戻れない。俺は、戻れない。二度と戻れないのだ。いったい何のために生きていけばいいんだ?

「だから言ったのに。人間ちゅうのは、馬鹿なもんじゃ。」

目の前に浮かんできたのは、猥雑な格好をした女神を抱いて酒をかっ喰らっている、くだんの「神」であった。

「わしら『神』がこんな体たらくで生きているのも、理由があるというものじゃ。欲望がないと、美しくなんてなれないのじゃ。偉大にも慣れないのじゃ。欲望のために生きる人間こそ、生命に従って生きる人間こそ、美しく豊かなものなのじゃ。わかったか、この病人め!」

何も言い返せなかった。




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