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熱帯 森見登美彦

帯に偽りなし。
読み終わった時に、「ああ、やっぱりちょっと置いていかれたな」と思った。悔しいけど、後味は爽快。さすが高校生直木賞受賞作品。私も、高校生の時にこの本に出会いたかった。きっと夢中になって一日で読んじゃったと思う。

第一章を読みながら「ふむふむ、そういう話ね。『三月は深き紅の淵を(恩田陸著)』みたいなのを森見ワールドで展開してくれるのかな」なんて考えてページを捲っていた。
幻の一冊というのは、それだけでわくわくする。
実際、森見氏の前には『熱帯』が姿を見せるし、ここからこの謎に満ち満ちた本を白石氏が手に入れるに至ったドラマティックで刺激的な経緯と、『熱帯』の冒険譚が満を持して紹介されて、森見氏も大満足の大団円になるんだろって予測して、「予測できちゃったなー」とかほくそ笑んでた。
いやー、この展開なら安心して読める。振り落とされずにレールを転がる森見コースターに乗っとけるな、とたかを括ってた。

第二章が始まってもしばらくは同じ気持ちだったんだけど、だんだん「あれ?」って思い始めた。
第一章が作家・森見氏の日常で語られる物語で、馴染みがある世界だなという印象。すぐそこにある風景で、親しみのある雰囲気で展開されていく。

第二章は打って変わって、第一章最後の沈黙読書会の雰囲気を引き継いだような、地下の模型店と純喫茶での場面が多くて、なんというか、危険、まではいかないけれど、怪しさ満点の雰囲気が漂う。
『熱帯』とはなんなのか、佐山氏はどこに消えたのか、新たな謎がどんどん生み出されてきて、海みたいに広がっていく。まさに群島として、謎があっちにもこっちにも生まれてくる。すわ魔王は森見登美彦か、と唸ってしまう。

熱帯について調べる学団の人も、同志に見えて腹の中ではお互いを信用していないし、新参者の白石氏(の記憶)を巡る攻防が目まぐるしい。
神保町での事件はハラハラさせられた。急に来るからぐっとサスペンスになる。
ついには千夜さんが居なくなり、千夜さんを追って池内氏も不在になり、第二章を読み始めた時の楽観なんて、読み終わる頃には消えていた。

なんと気付くのが遅いのか!
最初から森見ワールドだった。すぐ隣にありそうで、でも振り返ると消えている不思議な雰囲気の世界。罠にかかったような気分。展開を予測できちゃったな、なんて、度の過ぎたうぬぼれだし、悔しいやら恥ずかしいやら。

これは姿勢を正して読まねばならない、と本当に一回本を閉じた。ここまでの物語を反芻して、「大丈夫。まだ森見コースターにはなんとか乗れてる。まだ振り落とされてない」と自分を励まして続きを読む。

第三章は京都が主な舞台になって、一章、二章から視点が変わる。登場人物も変わる。消えた千夜さんと、千夜さんが残した謎の言葉の意味が明かされるのか、なんて期待したらダメ。まだその段階ではない。
それどころかわからないことは増えていくし、今、この瞬間誰が何について語っているのか、気を抜くとわからなくなる。
今は、今西氏が永瀬氏から聞いたことを池内氏が手紙に書き起こして、それを白石氏が読んでいるという回想を、森見氏が聞いているのだ、という、マトリョーシカみたいな構造を頭に描いて迷わないように気をつけた。

そうして『熱帯』の門は開かれた──。
本当に、開かれた。
第四、五章は読んでほしい。その目で『熱帯』の誕生を見届けてほしい。
それで、後記を読んで「えっ」って思ってほしい。
いつの間に?あれ?という感覚を持って、「ああ、やっぱりちょっと置いていかれた」と悔しさを覚える仲間が増えたらいいなと思う。

全体的に、スロウスタートのジェットコースターだった。
第二章くらいまではずっと登ってるだけ。そこから一気に急降下して、回転して、捻られて、ぶっ飛ばしていく。ゴール地点は最初にスタートした場所とは違うし、何がなんやら、と混乱している間に幕引きとなった。

森見コースターに乗って無事にゴールまで辿り着いたけど、体はゴールにいても意識はまだ物語の途中にいて、ふわふわしている感じ。私の一部が、物語の中に取り残されているとわかる。こういう時はもう一回読んで、取り戻しに行くに限る。
『熱帯』の門は今も開かれているから、いつでも飛び込めるしね。

「今、自分はどこにいるのか?」と、時々立ち位置を確認しながら読み進めて行くような読書体験は大好きだ。
作者の手招きが遠くに見えるギリギリの位置で読み進めていく。迷わず、しかし余裕を持ってはついていけない、絶妙な位置。
本当に迷ったら、難解すぎるって読むのやめちゃうから、この『熱帯』は「ついていける?いけない?」というスリルも味わえた。面白かった。

読み終わった後も鮮烈な体験をしたのだという印象が全く薄れない。
感想に書いたことは、興奮する脳が綴った虚実入り混じったものになっているかもしれないけれど、既読の方は「そうだっけ?」ともう一度紐解いてもらって、未読の方も「そうなの?」と手に取ってもらえたらいいのかな。

最後に、印象に残ったフレーズを二つ。

人にはそれぞれ座るべき椅子があるからです
第二章 学団の男 より
まだ終わっていない物語を人生と呼んでいるだけなのだ
第二章 学団の男 より

読んだ本
熱帯
2021年9月10日 第1刷
著者 森見登美彦
発行 文藝春秋

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