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四畳半タイムマシンブルース 森見登美彦

暇潰しの目的でふらりと入った本屋さんで、「あっ」と思わず本を手に取る経験は何度味わっても気持ちがいいと思う。
「ああ、今日本屋さんに入ってよかった。見つけて、お迎えできてよかった」とほくほくする。
まさに、「四畳半タイムマシンブルース」を買って本屋さんを出たとき、こういう気持ちだった。本当によかった。ちょっと早く家を出てしまった私、暇つぶしに本屋さんを選んだ私、グッジョブ。

そんなわけで、森見登美彦さんの四畳半シリーズ(と、勝手に呼ばせていただいております)最新作。文庫になるまで待ちました。すみません。
実に暑苦しい大学生が織りなすコメディ。
そう書いてしまうと、割とありふれた題材な気もするけれど、四畳半シリーズの登場人物は奇々怪々すぎて、森見さんしか思いつかないのでは?という設定に溢れている。
「私」を地獄に引き摺り込むべく暗躍どころか表立ってぐいぐいと足を引っ張る小津、何年大学にいるのだ(と、本書で改めて強く思わされる)樋口師匠(いろいろ頑張っても12年が限界じゃないかな……)、映画サークルに所属する麗しく清廉な乙女・明石さん。その他大勢。
四畳半のオンボロアパートに住んでいる奇妙奇天烈な大学生なんてそうそういないだろ、と思うのに、まあ、K大ならいてもおかしくないか、とぎりぎり納得させられる絶妙な魅力の登場人物みんなが好きだ。
京都という街の古色騒然とした雰囲気と、K大の奇抜な校風が掛け合わされた結果生まれる、リアリティーのあるファンタジー世界は、T大では生まれなかったかもしれない。

これはすっごく褒めてるつもりで書くと、とってもくだらなくて無為な大学生活過ごしてるんだよ。明石さんは除く。本当に怠惰で、人生の一日一日を浪費していると匂わせてくる。
実際に「私」は浪費していると思って焦っていて、心機一転、奮起しようとするのに、初っ端から蹴躓く。
でもこの世界観がすごく安心する。
私自身、大学生活では大した成果を残していない。なんとか修士論文を納め、大学院を修了できたことがギリギリ誇り。
就職できたことが奇跡かもしれないな。
私は大学生時代には、別に毎日焦ったりはしていなくて、その日その日にやりたいことをやって、やりたくないことをやらなかっただけ。
今から振り返れば、もっと勉強できたはずだし、もっと本を読めたはずだし、奇しくも「私」と同じ京都市左京区で過ごしたのだから、もっと京都を満喫できたはずなのに、と呆れ半分悔しさ半分の気持ちが湧かないこともない。
だけど、それも全部、何もかもをひっくるめて大学生活だったんだよな。
「私」も、このままではいけないと焦る癖に、あることに挑もうとするときには、

今日がダメなら明日がある
明日がダメなら明後日がある
明後日がダメなら明明後日がある
第一章 八月十二日 より

なんて自分に言い聞かせる。
ここは本当に拍手喝采だ。
そうそう。大学生活って永遠に続くと思ってるから、今日がダメなら明日があるんだよね。そしてそれを積み重ねて、いつの間にか卒業の日を迎えている。
素敵。
大学生活かくありき、というエッセンスが三行で表されていて、読みながらニヤニヤしていた。

ここまで全く触れなかったけれど、このお話はタイトル通り、タイムマシンを見つけて、使うことで物語が展開していく。
普通に「私」、小津、樋口さん、明石さん、その他大勢が集まれば、それだけでドタバタするのに、タイムマシンを使うことで『昨日の』「私」、小津、樋口さん、明石さん、その他大勢も出てくるから、それだけでドタバタ度合いが二倍三倍するというもの。
時間ものらしく、過去と未来の辻褄合わせをしなければならないと奔走する登場人物たちを見守り、「なるほど、それで辻褄が合うのか!」と膝を打ったり、「え?それで辻褄合うのか?」と首を傾げたりする面白さもある。

250ページもない比較的読みやすい分量の小説で、さらっと読めるのに、物語の展開速度の速さや密度の濃さ、時々煙に撒かれる感じで、読了後の満足感も高い。
四畳半の生活も悪くないのかもしれない、と思わないこともないこともない。

最後に、明石さんのお気に入りのセリフを。

どんどん前へ進んだほうがいいんですよ。
立ち止まると悩むから。
第二章 八月十一日 より
読んだ本
四畳半タイムマシンブルース
森見登美彦 著 上田誠 原案
角川文庫
令和4年6月25日 初版
読み終わった日:令和4年6月13日 タイムマシン、乗っちゃったな……

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