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日記③ 生き物の進化と多様性

 はじめに

  最近、生き物に関する本をよく読む。
 きっかけは、進化生物学の授業だ。
 ゲーム理論を生物の進化戦略に応用して考えてみるみたいな内容で、どのような個体が多い環境ではどのような戦略を取れば生存に有利かということが計算である程度求まる。もちろんモデル化されているもので、実際とはまだ乖離もある。
 当たり前だが、最新の研究は授業内容よりももっと複雑で近年はその乖離を出来るだけ埋めるために、スパコンとかを使って色々とシュミレートしているらしい。 

タコの知性

 そういったきっかけから、最近タコの知性に関する本を読むことにした。
 タコはすごく賢い生き物で、だいたい2〜3歳児くらいの知能を持っているらしい。ある人が服を着替えたり髪型を変えたりしてもその人だと認識することができて、嫌いな飼育員だけにいつも水をかけたりしていたずらする、なんていう話があった。
 進化の経緯も独特なようだ。
 人間を含む脊椎動物には高度な知的活動をするものが多いが、無脊椎動物の中で頭足類ほど高度な知的活動をするものはいない。
 一説にはタコは軟体動物かつ捕食者であるという特性があり、これが高度な知的活動に耐えうる神経系の発達を要請したというものがあるらしい。
 あんな柔らかい体を上手く全体としてバラバラにならないようにしながら動きまわり、しかも獲物を狩るとなると、たしかにぼんやりしていてはやっていられないだろうと思う。
  こういう高度な活動をするのには神経細胞が必須だが、タコは犬とかと大体同程度の数のニューロンを持っているらしい。さらにいうと、彼らは脊椎動物とは違ってそのニューロンが一箇所に集まっているわけではない。我々はそのニューロンの集まりを脳と呼んでいるが、タコには脳みたいな場所が頭の他に、各腕の付け根にもある。だから、普段は各腕がわりかし勝手にウニョウニョ動き、逃げる時など緊急時には全体で統一した動きをする。
 とまあ、タコは人間とは全然違う環境で暮らしてきて、しかも人間とは違う体を持っているのに、別ルートを辿って結果として同じように高い知能を手に入れることとなった。

 はかない理性への信仰

 上は読んでみた本の内容の一部だが、こういう内容を目にすると自分たちの持つ「自分たちと動物は違う」という信念は意外とあっさり崩れ去るものだ。
 タコや犬は、どうやら人間の生まれたての赤ちゃんよりは明らかに賢そうだし、逆に人間の中にも欲望のままに生きている人はいる。
 人間と動物の違いとして語られる理性って一体なんなんだろう。最近いろんな生き物について知れば知るほど、その輪郭は不確かになってくる。

 現在知られているものだけで、地球上には175万種もの生物がいるらしい。
 進化には、「変異」「遺伝」「生存競争」「適者生存」という四つの基本的な条件があり、自然選択に基づいたいわばアップデートがはたらく。そして175万種がそのアップデートに対応したものたちということだ。
こう考えてみると、私たちと他の生物種たちは偶然が積み重なった結果居合わせることになった同居人にすぎない。

 人間はなんだかんだあって、現在食物連鎖の頂点に位置しており、なおかつ自身の外部環境に対して歴史上最も大きな影響力を行使できる生き物になっている。
 しかし、その「結果」はいずれも偶然性というもろく崩れやすいものの上に成立しているものだ。恐竜が滅び哺乳類が栄えたことも、その中でもヒトが大脳を発達させることになったこともマクロ的には必然性があるとは言えないだろう。

 まず、理性・知能っていうのはある無しではなくてグラデーションであって、いろんな生き物がいろんな程度に持っているものである。
 それから、人間が進化の過程で今持っている程度の知能を持ちえたのも先に与えられた環境や体の仕組みという条件に対応するためであった。
 これらのことを考えれば、たぶん人間の標榜する理性っていうのはこれといったものはなくて、人間がここまで繁栄できた理由を全部まとめて「理性」っていっているのにすぎないんじゃないかな、と思えてくる。

なんとなくのまとめ

 人間が理性を持つこととなった経緯を考えてみると、人間の繁栄っていう結果に対して、理性っていうのは都合のいい理由づけに過ぎない。
 そういう観点から、生物多様性、あるいは多様性そのものの議論を考えることもできるんじゃないか。
 多様性が重要であるのは、多様である状態が地球環境、あるいは社会において「自然」であるからだ。自然選択という所与の前提を乗り越えるために、人間が知能を発達させたのだとしたら、人間がその知能をもって、自然選択以外の選択を加えてしまうことー例えば乱獲や環境破壊のような人為的なものによっても多くの生物種が絶滅しているーはあってはならないだろう。
 自然に任せた結果として、今多様な生き物あるいは多様な人が存在するのだとしたら、そういう結果そのものに価値があるから守るべきだ、そんなものの見方がより広まってもいいように思う。

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