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デザイン思考はテーマだった

読了。

とても爽やかに一気に、読んでしまった。まず、表紙が手に取りたくなる色合いだった。(でも、Amazonで買ったのだけど)

「自分らしさって、なんだろう」って、丁度考えていたところで、するりとふにおちてきた。


スマートフォンは、「距離に自由を与えた」。これって、本当にその通り。見ず知らずの人がすぐに知り合いになるし、世界の反対側にいる人とも、タイムリーに時差なしで繋がれる。そして、一瞬で、自分のアイデアを世界に広めることもできる。それとともに、テレビの衰退、生の人同士のコンタクトも減り、広く世界とつながるくせに、実際の「友達」や「仲間」というのは狭くなっていく。クローズドな自分中心の世界の中で、広がりすぎた世界を見て、情報を得て、自分を世界にむけて発信して。とても、不安定で、不確実で、アンバランスな時代だなと思う。

そこに、デザイン、という視点で考えるというのはなんだか、生身の人間として心を動かすことの喜びを感じるものだな、って、読んでて楽しかった。

自分らしさ。「自分が育って来たものや、好きなものを振り返ってみる」と自分らしさを発見できることもあるって。もちろん、自然に湧いてくる自分らしさもあるのだけど。そこで、秋山さんは自分の年表を書いてみることに触れている。


早速、振り返ってみた。

幼稚園時代、リカちゃん人形をはじめとする、お人形の髪の毛を、美容院ごっこでカットして、下を歩いていた母から、「金髪が降って来た」と驚かれた。知能テストでは、「欠けているところに✖️をかく」という質問を聞いていなくて、欠けているところに、全て、絵を継ぎ足して、そこ0点。「この子、ちょっと。。。」という話になったみたいだった。

小学生の頃、お習字と絵は展覧会の常連さんだった。叔母が陶芸家だったので、私もつくらせてもらったら、なかなか良いお人形の置き物ができて、褒められた成功体験もあった。

中学生の頃は、友達をモデルに、ノート何冊か分のファッションブックみたいな絵を描いた。デザイナーみたいな仕事をしたかった、というか、何かつくりたかった。高校もその延長。

大学生の頃は、特に何もしなかったけど、就職したときに、まず、職場の人たちに、あだ名をつけた。動物なんだけど、「言い当てて妙」と上司たちが笑ってくれて、かなり最初から嬉しかった。(笑)そして、名古屋に転勤になった時は、「名古屋山村留学日記」なんてふざけたエッセイを書いて、東京の友人に配布したり。そして、福岡に転勤になった時は、会社のSNSに福岡のお祭りや観光名所などを書いたのだけど、読者はほとんどいなかったと思う。


誰に、が曖昧

って、ことがわかった。例えば、noteもそう。Facebookは知り合いばかりだし、Instagramは知り合いもいれば、知らない人もいる。でも、両方とも、「いいね」が気になってしまう。好きな人に見て欲しいのに、「いいね」をしてもらえなくなった、そして、簡単にブロックされる、ということが悲しかった。SNSをやめたら?なんて言われるけど、何かをつくりたい、という気持ちは止められなくて、行き着いたのが、noteだった。

大っ嫌いなTwitterとnoteはセットみたいで、そこから、私もTwitterに足を踏み入れ直した。最初にTwitterに足を踏み入れた時は、好きな人がやっているからで、その人の繋がりは、ちょっとわたしの好きな内容ではないことを多く呟いているから、「Twitterって、なんか、陰険」って思っていた。でも、noteから広がったTwitterのフォローする人たちは、違ってて、面白いのです。

で、誰に、が明確な人が多いから。そこで、秋山さんの「世界はデザインでできている」を知り、買って、読んでをした。秋山さんは、私のことを知りもしないし、私がこの本をつくるに当たっての「誰に」にあたるかわからないけど、わたしの心には響いた。


大学院でね

「デザイン思考」をテーマに、ビジネスプランをつくった。京大まで、IDEOの人のワークショップに出かけたり。好きなこと、なのだ。そうそう、その時は、働くのやめていたので、旅費をマニュアルクラウドファンディングで調達、お返しは、ワークショップのレポート。(可愛い)

学ぶの好き、考えるの好き、つくるの好き。な、はずなんだけど。

それが、できなくなったのは、やはり、スマートフォンのせいかもしれない。繋がらなくていい情報に繋がって、心が荒んだ。だから、紙の本を読みたくなって、最近は、本ばっかり買ってる。読みたいけど、読み始めると3行もたたないうちに、寝落ちてしまう。それも、スマートフォン見過ぎだからかなと、ここで白状。


そして、これから

あと、7週間ほどで、2020年。

デザイン、デザイン。好奇心を持って、「小躍りするワクワクした感じ」(これは、スマイルズの遠山さんのお話を聞いたときに心に響いた言葉。大事にしてる)を感じていたい。そして、この本からは、「気づいたのは自分だけ」っていうワクワク感を持ちたい、ってとても思った。

来年から、ちょっと、研究を続けたいと思っていて、そのコアな部分に当たるのが、「相手の気持ちになる」ということなので、デザインとホスピタリティがつながって来た。これを、わたしは、運命の巡り合わせ、ととらえます。(揺らがない心を持てますように。自信を取り戻せますように。もう、本当に、自信がなくなったのは、誰のせい?って言いたいけど、結局、自分のせいって落ち着かせることで、終着点になるのだと、大人になるのでした。)

そして、なんと、秋山さんのデザイン、すでに持ってました。(これも、欲しくなる「顔」してました)


違和感の大切さ

そして、デザインに納得性を持たせるために黄金比を取り入れるというのがあり、「そうだな」と思った。求められるものには、「安心感」「安定感」は大きくあるのは事実。挑戦的だったり、前衛的だったり、それだけだと、みんなに受け入れられるわけでなく、それを、「世間に迎合する」と非難する人もいるかもしれないけど、やはり、ひとりの人のためだけにするものは「愛」だけでいいから、周りの人ともうまくやっていかないといけない、それは、大人なんだから。

人と違うことは個性だから大切にして、それを、ちょっとした違和感として反映させれば、「自分らしさ」になる。気持ちの騒ぐ違和感ではなく、ちょっと痒い、とか、クスッとなる、そんな違和感。


そして、半歩先

ユーミンが支持されるのは、「半歩先ゆくお姉さん」的な部分があると読んだことがある。手が届きそうな、半歩先ゆく、お洒落な年上の女性。働いているし、恋愛もするし、失恋もする。「ワタクシゴト」と考えたくなってしまう、嬉しいことをしている「彼女」には、自分を重ね合わせたくなり、悲しい「彼女」と同じ気持ちの自分を慰めて。

共感力がなくなってきている、と、今朝、ある人の投稿で読んだけど、それも、スマートフォンの功罪だと思う。「ワタクシゴト」だけでいきてしまう。双方向のコミュニケーションを拒否し、自分だけを考えて生きるって、悲しいし、ゴリラと変わらない、というか、家族は大切にするゴリラより、ひどいかも。

人間、なんだから。心を動かさないと。


まとめ

読書感想文。秋山さんは、アートディレクターとしてのデザインで物をつくる(ポスター、キャラクター、ロゴなどなど)仕事をしているので、そこのテーマでのデザインの話なのだけど、これは、全ての人が「デザインする」ということを意識したら、「自分の人生を面白くつくることができる」ということなのです。

「つながりたくない」というのも、あり、かな。紙に書くと、それを誰かに伝えたいとき、今の時代、SNSならすぐに拡散できるから、楽だけど、紙をスクリーンショットして広めるのではなくて、もう一度、フォーマットを整えて、メディアの特性にあった形にして、発信するようにしたいと思う。


ふぅ、長文。




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