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お互い助け合って生きている

僕は学校の先生を辞めた。

嫌だからやめたわけではなく
次のステップに向かうために辞めた。

教員は教員ですごく楽しかった。
子ども達の成長に関わることができ、長い時間を共に過ごしていく中で
人間関係を築いていくのも楽しかった。

だけど、教員時代はとにかく忙しかった。
休みもなければ、自分の時間もない。
充実感はあったけど、大変だった。

教員を辞めて、時間がぽっかり空いた。
やることはあるのだが、自由な時間が増えた。

なにをやったらいいのかわからなくなった。
ヒマな時は不安がやってくる。

やることがあるほうが安心した。

ヒマな時にくる不安は
なにかをしているとやわらぐ、誰かと話しているときは

その不安なことは忘れることができる

当時はシェアハウスに暮らしていたから

シェアメイトに話すことで不安は和らいだ。

今は音声アプリの#Dabelを使っている。

Dabelで誰かとつながっている時間は
不安なことは忘れられる。

最近はあまり不安なことはないのだけど
やっぱり人と話している時間は楽しいなということを
再確認した。

今までヒマだった時間が充実した時間になった

授業のように決まりきったことを話すことは得意だったが
1人しゃべりとなるとなにをしゃべっていいのかわからなくなった。

だれかと一緒に話をしているときはとても楽しい。
その時間をもっと楽しむためにどうしようか?

どう遊びを入れていこうか?と考えだす

遊びでやっていたつもりがいずれ物をもらえるようになった
こんなことやってよと頼まれるようにもなった

自分の中では仕事のつもりでやってないことも
だれかの役に立てばそれはもう仕事なのだろう

有名な話で

働くという言葉を傍(はた)を楽にすると言い換える

働くことは他者を楽にすること

自分は雑談をしているつもりだったり、好きでやっていたことが

人を楽(楽な気持ち)にしていることがある

その場にその人がいるだけでも気持ちは楽になる

最初は1人だった空間に人が集まってくる

聞いてくれる人もいれば、自分が言いたいことを説明してくれる人もいる

ぼく(わたし)はこう思うよと意見をくれる人もいる

たまに全然話を聞かずに好き勝手しゃべっている人もいるけど、そんな人もいてもいいなって思う。

みんなで支え合って空間を作っている

なにもしなくてもいい。

ただそこにいてくれるだけで

それはもう働くということなのだろう。

どうしてだろう?

なんだか話し終わった後なんだか気持ちがいいのは・・・

どうしてだろう?

ふとしたときに顔も名前もわからないあの人のことが頭に浮かぶのは・・・

どうしてだろう?

また話したいなとちょっとのぞきにいってしまうのは・・・

ぼくらはお互い支え合って働いている

お金ではなく安らぎという対価をそこで得る

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