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手放してみたら "あ、実は我慢してたんだ" ってことに気づいたりする

2020年の春から続くコロナ禍。私の会社は娯楽産業、業界的に大打撃を受けています。企業にとっては危機ですが、私個人にとっては時間的ゆとりができました。コロナ以前よりも忙しくなくなったからです。

ひどい時には残業時間が月に200時間を超えることもあり、夏休みや有給休暇はおろか、公休を取りきるのも困難。そんな20代、30代を送っていました。周りの友人たちよりも休めていないことには気づいていたけど、好きな仕事にはつけているし、辛いこともあるけど楽しいこともある。基本的には笑顔で働けているし、自分は恵まれていて、人生に満足していると思っていました。

そして40歳になる年に、コロナ禍によって突然に自由な時間を手に入れたのです。たくさんの人に会ったり、旅に出たり、ということはできない状況でしたが、ひとり暮らしの部屋の中、あるいは近所のオープンエアでできることはたくさんありました。

まずはスパイスカレー作りに目覚め、オンラインで心理学を勉強し始め、その中のコミュニティで読書会を開いたり、あるいはヴィーガンのお菓子作りを始めマルシェで売ってみたり、コーヒーを極めたり、愛猫と存分にイチャイチャしたり、畑仕事を始めたり、宅建の勉強をしたり、オンラインサロンを立ち上げるべく友人と定期的にミーティングしたり…と、興味を持ったこと全てにトライして(ハマるタイプなので、それぞれしっかりやりました)仕事が減った分の時間を有意義に使っていました。

人生がキラキラし出して "あゝ仕事だけじゃないんだな、人生って" と四十路にして人生を謳歌しておりました。

仕事も徐々に戻り始めたのが去年の夏頃だったでしょうか。仕事に趣味にと、日々忙しくも楽しい日々を過ごし、そりゃもちろんストレスを受ける出来事も多数ありましたが、そんなもんでしょと思って生きていました。

そして去年の11月22日、突然急性骨髄性白血病を宣告され即日入院からの抗がん剤治療スタート。人生は急旋回。強制シャットダウンで、仕事も趣味も全て一気に手放すことと相成りました。

するとどうでしょう、もちろん突然の大病による多大なるストレスはありますが、なんだか心は解放感でいっぱい。

仕事を放り出して解放感を感じるのは至極当たり前のことだなと思いましたが、好きでやってる趣味を全部放り出すことについても、悲しさよりも解放感が先に立つとは思いませんでした(心底悲しかったのは愛猫と離れ離れになったことくらいです)。

あれ、もしかして私、仕事以外でも何かを我慢してた…?隠れ我慢って言うけど、自分自身にも我慢してることを隠してたのか!?

よく考えたらそうかもしれません。心にじっくり問いかけてみたところ、たくさんのことを我慢していたみたいです。以下、心の声。

朝はもっと長く寝ていたかった。夜はもっと早く寝たかった。調子の悪い時は会社を休みたかった。ごはんはゆっくり食べたかった。映画をもっと観たかった。カフェにもっと長居したかった。気乗りしないお誘いは断りたかった。自然の中でボーっとしたかった。友だちと無駄に長話したかった…!

有意義にキラキラ生きることを優先して、私は休むことや安らぐことを後回しにしていたようです。好きでやってたことすらも少なからずストレッサー(ストレスの原因となる刺激)になっていたとは…。自分ごっめーん!

この我慢に自分で気づくのはなかなか難しい。我慢が恒常化しているから当たり前のことになっている。お金もらってるんだし仕事で嫌なことがあるのは当たり前、好きでやってる趣味で時間と体力とお金がなくなるのは当たり前。そんな風に考えがちです。

我慢してたんだ!と気づくためには一旦手放してみるのがお勧めです。手放して初めて、それが無くなったことについて自分がどう感じるか分かるもの(と今回気づいた)。ただ、病気でもないのに、私のように全てを強制シャットダウンしちゃうのはなかなか勇気がいるものと思われます。なのでお勧めはとりあえずサボるです。

サボる=悪いことと私たちは小さな時から刷り込まれています。なのでサボる時、我々は罪悪感を抱きます(抱かない人は尊敬してます)。

私はその刷り込みが人一倍強く、学校も会社もほぼ休んだことがありません。さすがにコロナ禍では発熱すると在宅勤務にしてましたが、それまでは38℃の熱があってもインフルエンザでも、隠して出勤していました(全然褒められたことじゃありません)。たまに昼休みを長めに取ったり、こっそり私用を済ませに出かけたりすることはありましたが(だったらインフルの時は休めよ)、その時は罪悪感と時間への焦りを抱いていました。

罪悪感や焦りを抱きながらサボると、それが無くなった時の本当の感情にはなれない可能性大なので、罪悪感と焦りは頑張って捨てます。自分の人生をよりよくするための確認作業であり、真っ当なサボりであると言い聞かせて堂々とサボります。むしろサボった自分を褒めてあげたい。よくサボったね、自分、えらいえらいって。

サボった時になんだか解放感を得たら、好きでやってることだとしても、もしかしたらそれは手放していいものなのかもしれません。

人生には余白が必要。

スケジュールがびっしり埋まってないと不安になるタイプの人もいますが、余白を作ってみたら今よりも楽しくなるかもしれません。手帳が埋まっている充足感よりも、余白ができたことによる幸福感の方が大きいかもしれません。

私はびっしり埋めたいタイプではありませんでしたが、効率よく1日のスケジュールを組むのが好きでした。間に余白の時間ができて7時間かけて用事を済ますよりも、4時間に凝縮してびっしり全ての用事を要領よくこなしてしまいたい。しかしそのせいで、あくせくしたり、信号待ちに無駄にイライラしたり、遅刻して相手に迷惑をかけたりしていました。

でも、もうしない。

病気になったのはラッキーなことではないかもしれないけど、病気は大きなものに気づかせてくれました。もっと自分の内なる声に耳を傾けて、余白のある人生を生きる

あれ、タスク多くない?と思ったら一旦サボって様子を見る。サボってスッキリしたらやめちゃう

仕事だってそうです。経営者も含めて、誰1人会社や仕事のために生きてるわけじゃない。仕事は人生の一部。会社や周囲が「君が必要だ!」と言ってきても、実際やめちゃえば代わりの人はいるんです。かくいう私もそのように言われ20年間同じ会社で働き続けていましたが、緊急入院で急に長期で休んでも、変わらず会社は回っています。

そんなこと言ったってお金が…と思われるかもしれません。でもお金よりも会社よりも他者よりも、大事な自分をまず守って満たすことが大事。いわゆるシャンパンタワーの法則でもありますね。

自分第一でいることは決して悪いことじゃない(むしろ周りに好影響)。他人軸では生きない。自分をいじめない。自分のことは自分に聞く。自分の心の声に従う。いつでも自分の味方でいる。

油断すると我慢しちゃう性分らしき私は、これを言い聞かせながら、存分に自分を喜ばせる人生を、これからは送ってやるぞと、ここに誓います。




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