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親が心のカゼを引いた子どもの話①

私自身の生まれ育ちの話です。幼少期と二十歳以降に分けて書きます。
自死などデリケートな内容が含まれるので、抵抗のある方はそっと閉じていただければと思います。
これを書くのは私の気持ちの整理のためですが、もしも同じような思いをしている人が読むことがあって、一人じゃないんだなと感じてもらえたら幸いです。

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二十代も終わりが近づいてきて、「子ども」について最近考えている。私は子どもが可愛いと思うし好きなのに、今後自分が産んで育てることに自信が持てない。
おそらく生い立ちが影響しているので、今まで向き合うことを避けてきた自分の気持ちを整理している。
ちなみに、家族には大事にしてもらったし、ありがたいことに貧しい思いをしたことはそんなになかった。今は自立してちゃんとした生活を送れている。

父のこと

幼稚園時代、あるとき母方の祖父母の家に引っ越し、父とは離れて暮らしていた。事情は詳しく知らなかったし、なんとなく聞かずにいた。

小学校低学年の頃、母と習い事の先生と3人で話していて「お父様はどうされているのですか?」と尋ねられた。母はもうこの世にいないことを答えた。その時に初めて事情を知った私は、悲しさもあったけど父がいない理由について納得した。

それでも、学校の提出物の保護者の名前が父ではなくて母であることを同級生に見られたくなかった(大抵はお父さんの名前であることにある時気付いた)。
なにより死因を知らなかったから何故亡くなったか聞かれることが怖かった。
家族の話になったときは、なんとなく知っている父の話をして適当にしのいでいだ。
お父さんがいないことを同級生に何か言われることはなかった。おそらく気付かれていなかったのかなと思う。

中学以降、親しい人に家族のことを聞かれた時は父が亡くなったことを伝えている。
小学校からの友達に一人だけ、「あまりお父さんの話をしないから、もしかしてと思ってたよ」と言われた。たしかその子の両親は離婚していた。
みんな気遣う言葉をかけてくれて、幸い現在に至るまで何故亡くなったのか?という質問をされたことはない。

母のこと、ちょっとだけ祖父のこと

何故父の死について家族に尋ねなかったかということで、母についても書きたい。
母と私は見た目もそっくりで、一緒に買い物や旅行にも行くし、どちらかと言えば仲の良い親子だと思う。
そんな母は、私が小学校3年生頃に不安定な時期があった。正確な診断結果は知らないけれど、ノイローゼのようなものだったのかなと理解している。祖父母が言うには職場の人間関係が原因だったそうだ。
ある晩、母と二人でテレビを見ていたら突然おかしな言動をし出して、怖くなって祖父に泣きついた。祖父は私に「母は弱いところがあるから、この先弟と二人で支えていって欲しい」と言った。とても真っ当なことなのだけど、慰めて欲しいと思っていた当時の私には酷だった。祖父は病気で亡くなる直前にも、やっぱり同じことを私たちに言った。
祖父は私たち孫のことを溺愛していたし、私も祖父のことが大好きだった。それでも一番大切なのは祖父にとっての娘である、私の母なのかなと感じた。
なにか困ったときに人に助けを求めるのが苦手なのはこの時からかもしれない、と気付いたのはつい最近のことだ。

そんな出来事の前から母の弱さはなんとなく感じていたから、父について自分から尋ねることはなかった。

父の死のこと

二十歳を過ぎた頃、父について母から聞かされた。父の命日かその前後だったと思う。父はうつ病ののちに自殺したそうだ。私が幼稚園のときにいろんな事情で一度離れて暮らして、それから半年くらい経ってうつ病が良くなってきたからまた一緒に暮らそうかと話をしていた矢先に亡くなったという。
ショックではあったものの、やっぱり事情を知ることが出来てすっきりはした。と同時に、母はとても辛かっただろうなと思い、大変だったねと声をかけた。母は泣いていた。
それからも特段父の話をするわけでもなく、それまでと変わらずに家族と過ごし、大学を卒業して私は実家を出た。

私のこと

私は家族に相談ごとが全然出来なくて、親しい人に相談するのも下手だ。すごく気持ちに寄り添ってもらえるのも、アドバイスを生かせないのもなんだか申し訳なく感じる。そのくせ事あるごとにうじうじ悩んでいるから、友人に呆れられたこともある。悩むのが趣味なのかもしれない。

こんな性格だし、いつか心が折れて父や母のようになってしまうことを心のどこかで恐れていて、大学を卒業する前に私は家族や友人以外の第三者を頼ることにした。

*第三者に相談した話
親が心のカゼを引いた子どもの話②

むかしカウンセリングを受けた話
適職診断とその後

#人生 #家族 #エッセイ #メンタル

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