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アメリカでパレスチナを語ることは難しい

最近キャンパスを歩いているとき、ポッドキャストを聴くことにしている。日々語られるニュースの中で、パレスチナについてのニュースが流れたとき、わたしは違和感を覚えざるを得なかった。
「ハマスとの戦い」という言葉や、アメリカ軍のオペレーションにおける負傷者や死者の話がずっとされているからだ。日本の友達がSNSでシェアしてくれるパレスチナで実際に起こっている人道危機についてのポストを見ているからこそ、イスラエルに武器や兵力を支援しているアメリカの視点はこれなのか、とグロテスクさを感じる。
圧倒的な力の差を前に、いとも簡単に破壊されていくガザやパレスチナ人の生活を、兵器を持って侵攻したイスラエル/アメリカの犠牲と比べられようか?情報があまりにも偏っている。

車で道を進んでいた時に出会った、イスラエルをサポートするマーチ。同じ大学にも、「自分はイスラエルをサポートする」と言っている人がいた。どれも、テロリズムへの反対が意見の理由になっていることが多いと感じる。ホロコーストの歴史認識が、イスラエルの行動への批判を、反ユダヤイデオロギーとすぐさま見なしてしまうことも。

デモに参加して、「ハマスを支援している」と思われることが怖いと言っていた人の言葉を思い出す。現在のイスラエルという国の存在自体を否定するべきではないと言った参加者もいた。

人道主義の視点に立って、ジェノサイドや構造的暴力に反対することが、ここではとても難しい。ほとんどがイデオロギーの問題になってしまう。

この企業は親イスラエルだからボイコットしよう、とやってみると、かなりのパイプラインはなくなることになる。たとえば、私の大学はコカコーラと独占的な契約を結んでいて、食堂のマシンからはそのままコカコーラが出てくる。私の大学のビジネス学部のトップはRaytheonという武器会社と繋がっているらしく、裁判が行われていたりする。

つまり、アメリカで生活すること自体が、この構造的暴力から得る特権に基づいていることを痛感するのだ。

意見をもつことの自由さを求めてこの地に降り立ったはいいものの、今は構造的な息苦しさに陥っている。それは同時に、その地に根を張って初めて気づいた「日常」から、問題への解像度が上がったということでもあるだろう。

学びは続く…

P.S. カバーの写真は、大学院生の展示のもの。「移民のストーリー」というテーマは、留学生として自ら異国に降り立った自分の物語と、移動を余儀なくされる、移民や難民の歴史を交差させる。

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