全ての子供が幸福を感じながら育つ、余裕のある社会に

いじめ、ひきこもり、虐待、痛ましい犯罪
何か問題が起きたときに、その時だけ騒ぎ立てて、一部分を取り繕っても、何も変わらない。
イジメで自殺が起きたら、急に学校がアンケート実施したり、ひきこもっていた人が事件を起こしたら、その週だけ子供達の見守り強化とか、ひきこもり相談ダイヤルの年齢制限引き上げとか、、
それも意味がないわけではないかもしれない、でもそこじゃない。
根本をたどって、そこが変わらないと。

私が子供の頃から感じていた事と、親になって、我が子や他人の子供と関わりながら感じた事、それがおなじでした。

意地悪する子のお母さんの顔が意地悪。
意地悪な親の子供も意地悪。
悪さをする子は、自分の寂しいと言う気持ちに気がついていない。親も気がついていない。
親もまた、寂しかった、寂しいのかもしれない。

赤ちゃんは悪を持って産まれてこない。
なのに何故人は悪い事を想像するようになるのか。

育つ過程で抱いた感情や感覚、体験が、その人の人生を左右するのではないか。

だったら、大人の責任というのが明確。

育っていく段階で、心が病んでそれが犯罪に繋がっていく。
その人たちの過去には、きっと余裕のない大人が絡んでいたはず。
その時に、寄り添える大人がいたなら。。。

これはあくまで、私が勝手に感覚的に感じていた事なのですが、人間は10才くらいまでには、人格は形成されていて、根本的な性格はよほどの事があって、自分で変えない限りは、死ぬまでそのままなのではないかな。と言う事。

外見が歳と共に勝手に変化していってるだけで、中身はそれ程変化していない。
例えるなら、着ぐるみかな。
歳と共に着ている外観が変わるだけで、脱いだ中身はずっと10歳前後のままの、その人。

見た目が大人でも、良い意味で中身が子供のままの人もいれば、幼稚な発想しか持っていない大人もいて、、
見た目が子供でも、落ち着きある風格、自分をしっかり持っていて、話すことまでしっかりとしている子供もいて、そういう子は、何歳になっても、その部分は変わらない。
それは、育ってきた環境がつくっている。

だから、子供だからとか、大人なのにとか一概に言えるものではないと思うし、子供の頃の私は「私もいつか大人っぽい女性になるのかなぁ」と漠然と想像していたけれど、20歳を超えても、更に10年経っても、そして40過ぎた今も、ふと鏡をみたら外見だけが年相応に変わっていてビックリするけれど、中身は小学生の頃の私のままだったりする。

我が家には、学校に行っていない小学生の息子が二人います。
二人共(特に長男)、特別敏感な気質を持ち合わせて、誕生しました。

私自身が敏感気質で生きてきたので、こんなに苦しくて、辛いことだらけの修行みたいな世の中に、自分の分身を産んでは、まだ見ぬ我が子に申し訳ないのではないか。。 
そんな気持ちもある中、この子達は私をお母さんに選んで、やって来てくれました。

私は信仰する宗教はないのですが、長男は、まるで神様のお遣いでやってきたのかな?と幾度も感じさせる事のある、不思議なあかちゃんでした。
1歳の頃には既に周りの空気をよんだ行動をしていたので、この子も生きづらさを感じながら生きていくのだろうな。と確信しながらの子育てでした。
その後、幼稚園、小学校という小さな社会生活の中で、敏感さ故の悩みを幾度となく、親子で乗り越えてきました。
子供達の気持ちがすんなり理解できたのは、中身が小学生のままの私だったおかげかな。

この子達が学校に行かなくなった事で、不登校の子供達や保護者の現状を知りました。
我が家の子供達は、心を壊す事なくホームスクーリングに移行していますが、身体や心を壊しても不登校になる事さえ許されない子供達がいる事も知りました。
ここでも、自分の枠にはめてしまったり、世間体を気にしたり、将来が心配で無理に登校させてしまう等、気持ちに余裕の持てない大人が絡んできます。

点数や順位で人を判断したり、他人と比べたり、、
足りない事を補う為に何かしようとしがちだけど、出来ていることに目を向けたほうが、幸せだと思う。

そしてもうひとつ、、
「ワンオペ育児」こんな言葉、最初知らなかったけれど、想像はできました。
まさに、我が家もそう。
働き方改革にも賛否両論ありますが。
母さん1人で家事育児。
余裕なんてもてません。
これが変わっただけで、色んな意味で救われる人が増えるのは間違いない。

子供の成長を側で感じられる貴重な時間を父親は見れないで、子供も寂しい思いをして、母親は家の事全て1人でやって余裕がなくなって。
悪循環。
今詰めて働くよりも、ゆとりをもって働く方が全てにおいて良い事は明確なのに。
こんな簡単な事をやらないのも、余裕のない大人の問題。

思いつく社会の問題は、もっと沢山あるけれど、どれもこれも、余裕のない大人の問題。

では、余裕のある大人になるには? 

子供時代に幸福感のシャワーを浴びながら育つ!
まではいかなくても、全ての子供が、何かしらの愛情をうけて、認められ、幸福感を感じながら育つ事が当たり前の社会になる事だと、私は思う。
それがあるから、ありのままの自分を受け入れ、大切にできるし、他人を思いやれる。

私もですが、息子がジブリの映画が大好きで、我が家ではしょっちゅう流れています。
そこでふと気がついたのが、主人公が10歳前後の子供が多いと言うこと。
それも、環境はどうあれ、愛情を感じて育ってきた子供。
大きな問題に、なんの見返りも求めずに向き合い、人を信じ、自分で考えて立ち向かう事ができる。
それが、大人ではなく子供なのです。
宮崎駿さん達ご本人の考えはわかりませんが、、
愛を受けて認められて育った人間には、子供であろうが、大人であろうが、一見出来そうにない事に立ち向かい、成し遂げてしまう力があるのです。

子供には、沢山の愛を与えられる権利がある。
それが結果として、家族や学校や、社会、日本、世界が穏やかでいらる根源になるのではないかな。


子供達が幸せになる権利を、社会全体で大きな自分ごととして捉えられる、余裕のある社会になったらいい。

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