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大学までの人生振り返り編

こんにちは、とんです。

今日はなんの日でしょうか。
はい。Advent Calendar 恒例の吾郎さんの誕生日回です。
あれから新曲が出ていないため、今回は歌詞考察ではないことをしようと思います。
というか、Advent Calendarの企画が「大学生活の振り返り」なので、ちょっと派生させて、「人生の振り返り」をしようと思います。

というのも、私の人生はSMAPなんです。
生まれた時からSMAPはいて、物心ついた時からずっとスマスマを見たり歌番組を見たりドラマを見たりバラエティを見たりの全ての動機がSMAPでした。
そんな私とSMAPとの関わり合いを、初めてちゃんと書いてみる機会にしたいのです。
どうかお付き合いくださいませ。


アイデンティティの所在

親が好きだったからとかいうわけでもなく、なぜか幼い頃の私はSMAPが大好きでした。保育園、小学校くらいからの友達は、私がどれだけSMAPのことが大好きか知ってくれてると思います。というか当時の同級生は全員が私のSMAP好きを知っていて、親御さんもそうだったろうと思います。

我々の世代は嵐の全盛期で、周りの友達はみんな嵐が好きでした。
花男とか山田太郎とかの時期でもあり、みんながみんな嵐の話をしてる中で私だけ嵐は全く見てなくてSMAPを見ていました。それでも友達は私を話の輪にいれてくれて、たまに嵐vs SMAPみたいなディベートも起こってた記憶があります。
ど田舎だったせいもあると思うんですが、そういう流行が絶対ではない空気が私の SMAP好きを止めないでここまでこさせてくれました。

当時から勉強も習字も絵も得意でピアノも弾けた私は、逆にSMAPが好きという違和感、変な子感によって自己と他者のギャップを縮めることができてたんじゃないかなとも思います。もしこれで流行に乗るような子供だったらけっこうイキってたかもしれない。いやイキってはいたんですが。


そうやってテレビや雑誌の写真を見て楽しんでいた私でしたが、小5のときある転機が訪れました。
クリスマスプレゼントで、母親がSMAPの「super. modern. artistic. performance」という2008年のコンサートDVDを買ってくれたんです。
まず貧乏な我が家でまともなクリスマスプレゼントっていうのが久しぶりだったし、それからコンサートっていうものを知っていて憧れてはいたものの、周りに行ったことある友達や家族もいなくてなんだかふわふわした存在だったのに、「それを家で見られる!SMAP!」となって、めっっっっっちゃくちゃ喜びました。それから毎日、学校から帰ってきてはコンサートDVDを見て、感動したり泣いたり笑ったりして、知らない曲もたくさんあったけど何回も再生して歌詞をノートに聴き写して覚えて、どんどんどんどんSMAPにのめり込んで行きました。

これは母には絶対に言えないことなんですが、SMAPがいなくなる方が、親がいなくなるより悲しいと思ってるくらいには、SMAPに愛着を感じていました。

それから自分のお年玉(お小遣いなんてもらったことがなくて、お年玉を一年やりくりしていました)はほとんどSMAPに費やして、小6のときには自分のお金でファンクラブに入りました。東京で「SMAP SHOP」という冬季限定のイベントショップがあることを知り、それから毎年、母は私を東京に連れて行ってくれました。

中1の時、母と二人で、初めて本物のコンサートに行きました。2010年の「We are SMAP!」です。もうその時にはシングルはほとんど制覇してアルバムもけっこう集め始めていて、知ってる曲が大半でした。コンサートに備えて母の運転する車で毎日アルバムを聴き、歌詞を覚え、初めて名古屋ドームに入った時はそれだけで感無量で泣いてしまったほどです。それでも、みんなが盛り上がる場所が分からなくてかなり戸惑いました。コール&レスポンスというのでしょうか、どの曲のどこでどういうペンライトの動かし方をするのかまでは、コンサートDVDでは把握できてなかったのです。
ちなみに母は特にオタク趣味もなく、どのアイドルが好きとかミーハーな感じも全然ない人です。他の金遣いには厳しかったのに、どうして私のSMAP趣味にだけこんなに寛容に付き合ってくれたのか、ずっと疑問に思っています。今度聞いてみます。

中2の時、来年の修学旅行の話が上がります。私の中学では修学旅行は東京なのですが、国語の授業の一貫で「憧れの人に自分で手紙を出してアポイントメントをとり、会いに行く」という恒例行事がありました。自分の将来について何度も考える機会のあった中学で、これまでにも夏休みに必修の職場体験があったり、総合の授業でみんなで「プロフェッショナル〜仕事の流儀」を見たりと、学校中で将来の夢を模索していました。
将来の夢に関しては、全然決まらない子や逆にひとつに決めている子などいたと思いますが、私はたくさんやりたいことが浮かんで迷っているタイプの子でした。このころは「本が好きだから」という理由で出版系に憧れており、角川書店の人に手紙を出そうとしていました。

ちょっと話が変わります。毎週金曜の深夜にやっていた木村くん(木村拓哉)の「What's up? SMAP!」というラジオがあって、私は中学の頃それを毎週聴いていたのですが、
ちょうど3.11の後、SMAPが「not alone」という曲を出した頃のラジオで、木村くんがその曲の制作について話していて、作詞者の権八さんという方に言及していました。権八さんは本職はCMを作ってらっしゃる方だという話で、当時はたまた「おもしろCM大賞」みたいなテレビ番組を好んで見ていた私はその方に漠然と興味を持っていました。なんでCM作りながらSMAPの曲が書けるの?みたいな。CM業界ってどんななの?みたいな。

手紙を書いてよしこれで出してもいいだろうというときにふと、その権八さんのことが頭に浮かんで、急遽先生にわがままを言って手紙を書き直させてもらいました。あの時変更に応じてくれた先生にはとても感謝しています。あんまり好きじゃなかったけど。

権八さんからすぐにお返事が来て、これまでに権八さんが作ったCMを集めたDVDまで送ってくださいました。それから私は「CMプランナー」という職を目指すようになります。
修学旅行で権八さんから伺った内容は正直今はあんまり覚えていないんですが(ごめんなさい)、「CMプランナーになるにはどんな勉強をする必要がありますか?」と伺った際に「CMは普通の人に向けて作るものだから、普通の勉強をしっかりとするといい」というようなことを仰っていたのがとても心に残って、私は勉強を頑張ることに決めました。
このときには別の広告会社の方にもお会いしていて、その方とは大学の講義で再会することになります。
中3の担任と「とんちゃん東大行くなら高校はちゃんと選んだ方がいい」みたいな話をした記憶があって、この頃からすでに東大東大言い始めてた気がします。

中3のときの同級生に、誕生日が1日違いで生まれた病院が実は一緒で親御さんがSMAPのファンっていう女の子がいて、生まれて初めてのスマヲタ友達ができました。彼女と中3のときに2012「Gift of SMAP」のコンサートに一緒に行って、初めてのアリーナ席で興奮していました。一番後ろだったので背伸びしないと見えないほどだったんですが、ゴンドラがすぐ後ろを通って自分の推しである中居くんの乗ったゴンドラが目の前に止まったときはもう死んでもいいと思いました。あのとき中居くんが歌ってたのは確か「前に!」で、この曲とか「この瞬間きっと夢じゃない」とかをBGMに受験勉強を頑張って、学区で2番目くらいの進学校に合格しました。

高校は家からバス(1時間に1本)で30分、そこから電車(1時間に4本)で30分みたいなとこにある、制服のかわいい共学です。通学は大変でしたが、高校生活が今までの人生で一番充実してたと思います。気の合う子が多くて、今でも仲良くしている子がたくさんいます。
権八さんの教えに従って勉強を頑張って、高校でも試験は上位をキープできていました。高1の担任との面談で、手探りに「東大に行きたい」と言ったところ「はーい了解」みたいな軽い感じで返ってきて、「あ、私でも東大に行けるんだ」と感じて本格的に東大を目指し始めました。この時の担任もクラスも大好きでした。
CM関係を目指していたので経済学部で経営とかマーケティングの勉強がしたいと思って当時ミクロ経済学とか読んでいたんですが、経済学部は文系ですよね。私はどうしても社会が苦手で、物理数学が得意だったので、1年の終わりの文理選択で迷ったんですが、結局理系に進むことにしました。就職と学部は逆算する必要がないというのもちょっと聞いていたので、とりあえず東大に行くことが大事だと思って、一番希望がありそうな理科一類を目指し始めます。

将来の夢についてはこの頃もまだいっぱい迷ってて、でも一番の軸だけは動いてませんでした。それは「SMAPと仕事がしたい」でした。
とにかくSMAPと一緒にできる仕事をしたい、近くにいってあの感動を作る側になりたい、そのためにはとにかく東京に出なきゃ、東大に行けば絶対なにか道がある、そういう妄想を受験勉強のモチベーションにしていました。
もちろんそれだけではなく「すごいと思われたい」みたいな自己顕示欲も働いて、結構いい成績を取り続けてました。すごい。「すごいと思われ」る要素を増やすために美術部と生徒会と男子バスケ部のマネージャーを兼部してました。これらの活動もすごい楽しくて、「マネージャーとか裏方みたいな仕事好きだなあ」と思い始めるようになります。

高2の2014「Mr.S」も、中3のときの女の子友達とライブに行きました。母がお揃いの服を縫ってくれて、ペアルックで応援しました。中居くんのソロがこの年はなくて、ついに歌わなくなったか…とちょっと残念ではありましたが、表題曲の「Mr.S」は死ぬほどかっこよくて、これぞSMAPのかっこよさだ!っていう感じでした。こういうナルシスト的な自信満々のかっこよさがSMAPにはあってその自信に裏付けもされている人気・実力で、いろいろ頑張ってたのは私もそういう裏付けのある自信を持てる人間になりたいと憧れていたのかもしれません。

もうすぐ大学受験という冬、しかもセンター試験の3日前のことです。
「SMAP解散報道」が流れました。
私はその朝始発で学校に来ていて、ニュースも何も見てなくて、そのことを知りませんでした。高3の年だけはクラスに馴染めてなくて(4月の1週間くらい不登校してました)、クラスの子は私がSMAP好きってあんまり知らなかったみたいなんですが、高2までの友達は、「とんちゃんはあの様子だとニュースを知らないっぽいから、みんな隠そうね」みたいな話をしててくれたようで、3限くらいまで何も知らずに過ごしてました。
どこかの放課で、たまたますれ違った友達が、「あ!とんちゃん大丈夫?!」って話しかけてきてくれて、私は何を心配されてるのか分からなくて、でもついにニュースを知ってしまいました。

なんか、これまで頑張ってきた人生の意義が全部SMAPだったので、もう、受験とかどうでもよくなって、センターまで学校を休んで寝込んで、前日だけ登校してめちゃくちゃ担任に説得されて、「お金払ったから受けるだけ受けよう…」みたいなもったいない精神でセンターを受けに行きました。

なんでか分かんないけどこれまでの模試よりいい点が取れて、センター明けの月曜日に「SMAP解散はデマか?」っていう報道が出て、一旦私は回復しました。
でも高2くらいから受験勉強と恋愛で壊れかけてた、でもなんとか保ってきていた精神が、これをきっかけにボロを出し始めました。


大学に入って

大学生になったらスマスマの観覧に行ってSMAPのコンサートスタッフのバイトして・・・・などと考えていた私でしたが、たしか大学に入った4月に「SMAP年末解散」のニュースが出て、その年のコンサートはなし、12月にSMAPは解散しました。

「あれ?私、なんのために東大で勉強してるんだっけ?」と思い始め、一人暮らしもきついし助けを求められる友達もいない、お金もないし部屋は寒い、テレビっ子だったけど、もう見るテレビなんかない、大学の数学は意味がわからない・・・・ということで鬱状態になり、大学2年の夏、友達に連れられて精神科に行きました。それからずっと精神科に通っています。ここからは詳しくはAdvent Calendarの別日の記事で書いてるので、ご興味があればご覧ください。


新しい地図とは?

SMAP解散後、1年半ほどして、吾郎ちゃんつよぽん慎吾ちゃんの3人が「新しい地図」というユニットで活動し始めました。

72時間ホンネテレビで森くんに再会しましたが、森くんがSMAPのメンバーだった頃私は生まれてないか1歳とかで、森くんのいるSMAPはあまり知りません。ですがSMAPの歴史を勉強したり過去の曲を聴いたりして森くんの声や顔は知っていて、「すごい、森くんだ」とは思いました。
27時間テレビの森くんからの手紙も憶えていて、すごく大切な存在なんだろうなあということが分かっていたと同時に、中居くんと木村くんがいないことにものすごい違和感と不安があって、コレジャナイ感、足りない感があって・・・・・・でもSMAPのメンバーが活動を再開できたことは嬉しくて、中居くんも木村くんもテレビで活躍はしてて、だから、私も喜ばなきゃ、SMAPが好きなら新しい地図も応援しなきゃ、と思いました。

でも実は、今はあんまり新しい地図の活動を追っていません。10月にファンクラブの会員期限が切れたまま更新せず、「ななにー」ももう見てません。個人で出ている映画は観に行きました。「ミッドナイトスワン」とか「半世界」とかすごくよかったですよね。でもそれだけです。

今の新しい地図に、正直魅力を感じられていなくて、それがSMAP好きな自分としてすごく罪悪感があります。これまで応援してたのは義務感からだったんだろうなという感じがして、その義務を果たせないことにすごく申し訳なく思います。

SMAP時代は全員のことが好きで、全員が魅力的に見えていて、大好きだったはずなのに、どうしてメンバーが減っただけで応援できなくなるんだろう、実はSMAP時代もそんなに好きじゃなかったのかな、あるいは権威が好きだったのかなとか、たくさん考えました。でもやっぱり、新しい地図には「裏付けされた自信」のかっこよさはないし、SMAPという基盤の下での個々人の活動と今の活動は全く違うんだとも思います。ななにーで歌が下手だったりダンスがバラバラだったりカメラワークがぐちゃぐちゃだったりするのを見ると、本当に腹が立ちます。嫌いって言ってるわけじゃないんです。

ただ、生まれた時から青年期までずっと一緒にいたSMAPのことを自分のアイデンティティだとみなしてしまっていた私には、SMAPの解散とはつまり自己のアイデンティティの崩壊であり、SMAPとは自分にとっての神的存在であり、その神が勝手に「普通の男の子に戻ります!」的なノリでアイドル=偶像をやめてしまったということはもはや神による信者の冒涜であり、その3/5が集まって好きな活動をできているからと言って到底癒される傷ではないんです。
神であったからには神であり続ける責任があり、神たる国民的スターにはその自覚があって欲しかった。神がやっていいのは盲信者を導けるようなリーダー的行為であって、活動は自己のためではなく信者のためのものであって欲しかった。キリストや仏陀は自己を犠牲にして人々を教え導いたのであって、「気分でやりました、やめます」みたいなことは決して言ってはいけなかった。その使命を守ったからこそ神であり仏でなり得たのだとしたら、国民的アイドル=偶像になってしまったからには途中で放棄してはいけなかったはずではありませんか。

たぶんこの考え方、SMAPのデビュー当時から追っているような大人の方々と、生まれた時からSMAPが当たり前にテレビに出ていた我々幼い世代とではかなりギャップがあると思います。
SMAPと同世代かそれ以上の方々が、「ああ頑張ってるなあ、頑張ってきてくれたんだなあ」という目線でいるのに対して、我々子供はSMAPという国民的アイドルが存在してなかった世界を知らなくて、急にいなくなっても戸惑うしかないんです。
確かにSMAPが解散して各々に自由になり始めたことによって、ジャニーズとかテレビ業界に相当な影響があって、タレントの意思を尊重するようないい風潮が出てきたこともわかっています。それくらいにSMAPは影響力のある人物だったし、手本になりうるグループでした。小さいグループの中での脱退やら事務所移籍やらよりも、「SMAPがそうするならうちもそうしよう」的な影響力を持っている、大きなグループだったし、もしかして再結成なんてしたら「やっぱりテレビでは自由なんて無理なんだ」みたいな結論が出ちゃうのかもしれません。それを変えたという意味でやっぱりSMAPはすごいグループなんだなあと思います。
新しい地図が発足して「好きな人たちをまた見られるようになってよかった」と、その幸せを願って安心していた時期もありました。

だけどやっぱり物足りなくて、わがままなのかもしれないけど、SMAPの個人が輝いて見えたのはやっぱりSMAPという国民的グループにいたから、SMAPという基盤があってこそだったんだろうなあと思います。
私の願いはとにかく5人に戻って欲しいということで、大学生活において新しく夢を持とうと思って掲げたものも「SMAPを再結成する」という目標だったんですが、その夢も崩れそうです。詳しくは大学3年生編あたりで書きます。


実は、私の本名には「歌」という漢字が使われています。
父が趣味でずっとバンド活動をしていて、ボーカル担当だからです。それもあって、幼い頃から父のライブを見に行ったり父の影響でいろんなバンドの曲が家で流れていたりと、「歌」というものが私の生活の至る所に浸透していました。

SMAPの好きな部分も、歌だったんじゃないかな、と最近時に従って思うのです。

しんごちんのYouTubeで「夜に駆ける」を歌っていたものがありますが、あの第一声を聴いたときに「ああSMAPだ」と感じて、泣いてしまいました。

めちゃくちゃかっこいいんですよこれ。ふざけてるのに。ふざけて笑っちゃうくらいなのに声が心臓にずきずききて、泣かずにはいられないんです。
こういう風に、歌系の動画でつい泣いてしまうことが人生で何度もあって、SMAP×SMAPでも歌の時間だけは家族に静かにしてもらえるように怒ってたり、コンサートでも絶対泣いてしまったり、歌が自分の心に響いてくる程度が、他のエンタメコンテンツの何倍も強いんです。

それなのに今の新しい地図の活動において「歌」が軽んじられているというのも、私が新しい地図に魅力を感じない理由の一つかもしれません。もっとクオリティの高い音楽をやってほしいなあ。すごくいいのになあ。


これを書いている途中で慎吾ちゃんが「好きなことで生きていく」というYouTubeを更新していて、それを応援できないことに本当に申し訳なく思っています。


今後

25日の記事で詳しく書く予定でしたが、睡眠障害、不安障害とそれによる鬱のため、就活は自分から途中で辞めました。デザインの仕事やライターの仕事をして、フリーランスとしてしばらくニート同然に実家で過ごしたいと考えています。もしお仕事があればください。
大学に入ってからなかった夢も、最近は脚本家になりたいなあと思うようになってきて、その勉強を始めているところです。ちゃんと将来の目標ができたおかげで、この世から消えたいという思いも最近は弱まっています。ただみなさんが目標に向かって前向きに生きていこうと思うほどには意欲はないです。睡眠とか食事とか、そういうもののために稼ぐっていう努力をしなきゃいけないことに対する違和感があって、そこまでしなきゃいけないなら生きてる必要ないなあ、お金を稼ぐ努力をしなくていいなら生きててやってもいいけどなあくらいです。偉そうですね。

鬱になったことはSMAPの解散が大きなきっかけだとは思っていますがSMAPのせいだとは思っていません。幼くて自分の対処が下手だったせいです。この点に関してSMAPを責めるつもりは全くないので、誤解はしないでください。
中高時代に留学の機会があっても「その間SMAPと離れるの嫌だし海外転勤とかも一生嫌だ」と思いながら外国語の勉強を積極的にしてこなかったくらいには海外に興味がなかったんですが、最近は「海外でゆったり暮らしたいなあ」と思うようになってきました。昔もっと勉強しとけばよかったです。東大生なので海外に行っていきなり困るほどには英語ができないわけではないというのが救いですね。

こんなことなら、最初からSMAPに出会わない人生の方がよかったのかな。


とりあえずはこれからの人生もSMAPの曲に応援されながら生きていく所存です。
いつか脚本が映画になって、その主役がSMAPのメンバーになったらめちゃくちゃ嬉しいなと思います。それを目指して頑張ります。

ここまで汚い長文を読んでもらってありがとうございました。正直、吐き出せてものすごく楽になった気がします。自己満足に付き合っていただいた形になってしまい申し訳ありません。
Advent Calendarを引き続きよろしくお願いいたします。
また、SMAP関連のマガジンもありますし、「大学生活ランキング第10〜6位」では新しい地図の好きな歌ランキングも発表しています。そちらもぜひご覧ください。


吾郎さん、誕生日おめでとうございます。美しくて大好きです。一生好きです。

役に立った、面白かった、新しいものに出会えたなど、もし私の記事が有益なものになりましたら、サポートをお願いします。