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【映画エッセイ】由宇子の天秤

公開2日目の昼、春本雄二郎監督の「由宇子の天秤」を見た。

この映画を私なりに振り返ってみると、キーワードは、SIDE(側)、REFLECT(反射する)、BALANCED(バランスの取れた)だ。このキーワードごとに、勝手に思うところを書いてみたい。

核心には触れないつもりだが、細かなネタバレを含むのをご容赦いただきたい。また、映画のあらすじを、筋を追っては書かないので、気になる方は公式サイトを参照されたい。また劇中のセリフは、一度聞いただけなので言い回しが違うことがあるかもしれないことを、ご勘弁願いたい。

【SIDE】

主人公はドキュメンタリー・ディレクターの木下由宇子。女子高校生のいじめ自死事件を追う中で、高校生と関係があったとされ、その後自死した高校講師の母親の自宅で話を聞いているとき、こう伝える。

「私はどちらの味方にもなりません。光を当てることはできます」

この言葉を受けて、母親はさらなる手がかりとなるノートを、由宇子に手渡す。一見、取材対象者に冷たく聞こえる言葉だが、母親はこの言葉を真っ直ぐに受け止め、彼女を信頼したのがわかる。

そして、場面はくだり、プロデューサーの富山が、テレビ局上層部の意向を受けて由宇子に、すでに出来上がった作品の改変を求める場面。由宇子はその直前に分かった「事情」も打ち明けて、反発する。

富山「お前どっち側なんだよ」
由宇子「え、側って何」

この二つのセリフを通して、由宇子がドキュメンタリーを撮る人間として、どの立場に立っているかがよくわかる。この芯の強さ、固い信念が、由宇子の魅力を際立たせる。

【REFLECT】

由宇子は真実に迫ろうとする時、その被写体にカメラを向けて、記録する。カメラを向けることは時に暴力的だ。それを理解しているからこそ、由宇子がカメラを向けると決めた時、私情は排除される。カメラを構える、という行為によって由宇子は、その場を「現場」に変える。

カメラは事件関係者のみならず、必要ならば身内、仕事仲間にも向けられるが、それは投げっぱなしの刃ではない。相手からの答えはもちろん、自分が繰り出した問いですら、そっくり自分にも向けられるものとなる。

だからこそ、私もこの映画の反射を受け、少し自分のことを述べる。私は10年ほど新聞記者をしていた。その中で、初動の取材をした刑事事件が一審有罪、二審逆転無罪で確定したことがある。

情報が持ち込まれ、複数の相手先への取材を重ねる中で、取材チームを組んでいたメンバーは全員、そこに事件性があると考えた。その方は勤務先からも罪を犯したと認定され、警察が逮捕するに至った。

しかし、取材を重ねる中で、裁判が始まる頃には、これは事件ではないのではないかという心証が強まってきた。証拠はあるし、本人も一旦は自白し、医療的な裏付けもある。それでも、これはその方が周りに理解され難い、先進的なことを行う中で生じた誤解とある種の嫉妬に基づく歪みのもとに事件化されたのでは、と思い始めた。

裁判も可能な限り傍聴した。結果は前述の通り、高裁で無罪判決が出て確定した。結果的に私は、罪のない人を容疑者や被告にすることに、加担してしまった。この経緯について、他社から話を聞かせてほしいと言われたその日が、2011年3月11日で、その機会を失ったまま今に至っている。私は程なくして、記者を辞めた。

【BALANCED】

由宇子は、ドキュメンタリー・ディレクターとして事件の真相に迫る中で、別の出来事の関係者になる。全てを告白しようとする身内に対し、由宇子はなんとか表沙汰にしない方法を考える。それは、被害者のためであり、身内のためであり、その近くにいる未成年者たちのためであり、自分のためだ。

取材対象を数多く見てきたからこそ、全てが明るみに出れば「失うものが大きすぎる」と由宇子は叫ぶ。身内を封じ込め、秘密裏に行動を起こす。そこには正義と自己保身が入り混じっており、ドキュメンタリーを撮っている時より、彼女は少し濁って見える。だがそれが、彼女なりにバランスを保とうとしてた結果なのだ。

一方で、ドキュメンタリー・ディレクターとしても壁にぶつかる。この仕事を「生業」としているプロデューサーの富山は、「青いことを言うな」とたしなめるが、由宇子は上を混乱させ、自らの仕事上の立場が危うくなる可能性もわかった上で「生き様」を優先させる。

なぜ、ドキュメンタリーが彼女にとって「生き様」と言えるのか。それはラストシーンを見ていただければお分かりいただけると思う。

一般に「報道が偏向している」とは、受け手がどちらかに肩入れしている、または公平さを欠いていると感じられるときに言われる。そういう意味では、由宇子は徹底して、自分の中の対立する二つの意識のバランスを取ろうとする。この努力を続けることこそが、由宇子のように報じる側の矜持として必要なものだし、それを見極めることが受け手に求められているのだと思う。

私の考察は以上となる。
この映画を見に行こうと思ったのは、TBSラジオたまむすびで、映画評論家の町山智浩さんが激賞していた時に「予告見たなあ」と思い出したことだった。

テーマに加え、「火口のふたり」から可能な限り追いかけている瀧内公美さん主演だし、大好きな光石研さんも出るというミーハー心と、たまむすび後の呟きに監督がリプライをくださったことに、背中を押された。普段は最優先にする予定を変更してまで、チケットを買ってよかったと心から思う。




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