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第2話 snow :エンジェルスクール・オンライン 週刊少年マガジン原作大賞 連載部門

 夕焼けすらも閉ざす黒い雲からは、季節外れの雪が降り注ぐ。白い息を吐き、大量の装備を抱え、私は重たい銃を抱き抱え、トラックの外の景色を見つめる。周りの人たちもそんな調子だ。だれひとりとして、軍人らしい人は見当たらない。なにひとつ訓練も受けないまま、私たちは補給物資と兵力を届けるためだけにひたすら移送されているからだ。言葉少なく、同じトラックにいる私の上官にあたる人は言った。
「ウクライナに入った。敵の空軍基地も近くなってきたが、本部からは、引き続き進軍するように指示が出ている」
 誰もが沈黙した。
 そのとき、急にトラックが止まる。誰もが戸惑う。上官も焦るように連絡をし始める。
 そして上官はため息をつき、
「本部へ衛星通信で連絡を行うそうだ。いまは我々の戦闘機が上空にいる。問題は起きないだろう。リーナ、通信兵の時間だ」
 私は頷く。
 何度も空を見上げながら、トラックを降りる。空の雲は分厚いのか、わずかにしか太陽の光を通さない。私は、一緒にやってきた衛星通信のためのアンテナをバッグから取り出す。そして背中に詰んだバッテリーで起動する。軍人たちがスマホを取り出していく。そのうちの一人が私に話しかける。
「ありがとう、リーナ」
 私は頷く。そして私はアンテナが首を振るその先、空を見上げる。その向こうで、何かが飛んでいる音が聞こえた。空を見上げた。旅客機に乗っていたときに聞いた、大気を吸い込みながら燃やした時のあの轟音。きっと戦闘機なんだろう、とぼんやり思った。私たちロシア政権の戦闘機が、戦場へと向かっていくのだ。航空機を見つめる母の言葉を思い出す。
「ほらみて、私たちの天使よ」
 ふと、雪の中で私はつぶやいていた。
「もしも天使になれたのなら。どこか遠くに、逃げるのに……」
 雪まみれの地面をみつめながら、遠くに逃げた後のことを考える。

 普通に話をして。
 仕事をして。
 普通のご飯を食べて。

 別に認められたいわけじゃない。
 ただ、奪われない暮らしが欲しかった。

 突如として、衛星通信の近くにいた兵士が叫んだ。
「敵が来る!」
 空で、爆発音が聞こえた。何かが墜落していくのがみえた。誰かが言った。
「落ちているの、我々の戦闘機じゃないか?」
「対空戦闘用意!」
「リーナ、いますぐアンテナをしまえ!」
 私は急いで電源ケーブルを引き抜く。そしてアンテナをバッグの中にしまっていく。
 全員がせわしなくトラックや背負ってきた荷物を取り出していく。対空用のミサイルをどうにか彼らは掲げる。けれど、ゲームしかしていないわたしからみても、彼らの動きは何もかもがぎこちない。
「まだ準備できないのか!」
 そして、裁きの時は訪れた。
 轟音と共に、雲から鋼鉄の翼が突き抜けてきた。そして、私たちに飛び込んでくる。F-16だった。そのとき、尾翼の巨大なマークが一瞬みえた。そのパイロットを意味するのであろう蛇のアイコン、そして、地球儀のマーク。かつて自分がゲームで使ってきたアイコンたちをみて、私は理解する。
「国連軍……」
 私は必死に雪を蹴って逃げ出す。林のある方向へ。そして雪の中へ伏せる。背後で、爆発が起きた。激しい耳鳴りが襲う。私は雪から顔をあげる。周囲のトラックたちが爆風と共に吹き飛ばされ、ひしゃげていた。人の姿は見当たらない。
 うめき声が聞こえた。怨嗟の変奏曲《ヴァリエーション》が溢れはじめる。
 私は怯えるように林の中の奥へ、奥へとアンテナのシステムを背負って走り始める。こんなときに、一緒に航空機に乗り込んだあの大人の言葉を思い出した。
「なんでだ……」
 そしてまた、遠くで爆発音が聞こえた。
 さっきかけられた言葉を思い出す。
「ありがとう、リーナ」
 涙が溢れ始めていた。走りながら叫んでいた。うめき声が、耳鳴りとともにこびりついていたから。
 私は逃げ続ける。この雪の地獄のなかを。

 走り疲れて、私は木に寄りかかり、そしてうずくまる。
 お腹が鳴った。寒かった。
 私はぼんやりと理解する。
 ここでひとりぼっち。冷たくなって死んでいくしかないんだ。
 風の音と、降り積もる真っ白な雪だけが、時の流れを教えてくれる。ゲームと違うのは、ゲームオーバーのとき、自分だったすべてが消えることだけ。
 空を見上げる。木々によって半ば塞がれた空。轟音がまた聞こえる。天使が通った音だ。そして、天使たちのずっと空高く、高度五百キロメートルにあるものを、私は思い出す。

 すべて、あの空の向こうにある人工衛星が、繋がれた先にある黄金の国のせいなんだ、私はそう思った。
 あの空から、わたしたち家族はわずかな希望をゲームを通して体験してしまった。どんな国にいても、どんな状況にあっても、どんな経歴を持っていたとしても、つながることはできるんだと、私たちはあの人工衛星を通して知ってしまっていたのだ。
 けれどそこに、私たち犯罪政権の手下の居場所は、どこにもない。
 私たちは敵になった。
 ウクライナの天使は、そして国連軍は、きっと意思の弱い私たちを、許さないのだから。

 そのとき、雪の中を歩く足音にようやく気づいた。私は反射的に身を隠す。
 その向こうで、こんどはもっと大きな音が聞こえた。そこには、誰かがうつぶせに倒れているのだけがわかった。ヘルメットも被っておらず、金色の髪がしなだれていた。服もどうみても雪のなかを歩くためのものにみえず、スマートフォンを片手に倒れている。私は気づけば駆け寄っていた。
「どうしたの!」
 言葉少なく、彼女は答える。
「裏切った、から」
 それでようやく、彼女の倒れたところ、その腹部のあたりの雪が、少しずつ赤色になっていっていることに気づいた。私は彼女の体を起こす。すると、腹部から血が少しずつ流れていることに気づいた。私は急いでバッグの中をひっくり返す。そうして出て来た白いタオルで、彼女の腹部を押さえ込む。けれど、タオルはゆっくりと血で染まっていく。死んでいった大人たちの顔がよぎる。私の血の気が引いていく。
 血を流している彼女は言った。
「すでに、傷口は自分なりにおさえてる、でも、全然止まらない」
 私はその聞き覚えのある声に驚く。そして彼女をみた。結えていないが、金色の髪。自分と同じ、スラヴ系の顔。私は彼女に訊ねていた。
「ミシェル、なの……」
 彼女は皮肉げに笑う。
「ロシアの兵士も、私を知っているんだ」
 彼女は、バッグの中から散らかされたアンテナに視線をやり、
「そっか、レゾナンスでゲームのことを」
 私はアンテナをみて、走馬灯のように大人の言葉を思い出した。
「アンテナは君を守るための保険でもあると、君の母から聞いている」
 そして母の言葉を。父はこう言った。
「僕たちのゲームは最後の自然、空で繋がっている」
 そして、無垢だった私の姿も。感嘆の声をあげ、私はふたりに宣言したはずだ。
 すぐさまアンテナを立て、はじめに電源システムを起動する。そして言った。
「そのスマホを貸して、連絡するから」
 ミシェルは首を振った。
「やめて、私は、もうあそこに居場所なんかない」
 私は無我夢中でアンテナと電源を繋ぎながら言った。
「嘘、誰かがあなたを探しているはず」
「ちがうの、私は、偽物……」
 私は振り返る。
「あなたが偽物なら、誰が天使になれるっていうの!」
 驚くミシェルは、スマートフォンのロックを解除し、そして宛先を出して、差し出してくる。
「本物なら、ここに」
 私はスマートフォンを受け取り、すぐさま書き込んでいく。ここの位置情報、そしてメッセージを。
「助けてください。天使が、今にも死にそうなんです」
 すぐさま連絡が返ってくる。
「すぐに向かう。詳しい怪我の状況を教えて欲しい」


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