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リュックサックと君とアクエリアス

こんにちは、ぼんくら大学生です。

楽しかったといっても本を読んでテレビを見てギターを弾くだけの夏休みが終わった。高校の頃は「2か月の夏休み」という言葉に心惹かれたものだがいざ体感してみるとあっという間だった。大学生は自発的に行動しないといけないと姉から口酸っぱく言われたが、そういうことができないのが、僕がぼんくら大学生である大きな所以だろう。

さて、最近一つの悩みがある。僕の使っていたリュックが壊れてきた。まあ無理はない。中2の頃から学校用、プライベート用と毎日のように、いや毎日使っていた。

僕は基本的に気に入ったものを使い続けてしまう。この前の財布の話もそうだ。

最近寝る前の日課となっているウイイレのマスターリーグでも同じことが言える。2013シーズンから始め、今は2040年になっている。年俸10億の選手がゴロゴロといるドリームチームだ。監督であるこの僕は特定の選手へのひいきが激しい。一度ミスした選手を徹底的に外し、お気に入りの選手をスタメンで使い続ける。おそらく使われていない選手は僕に対して大きな不満を持っているがお構いなしだ。

別に見た目が特別なリュックではない。高級なブランド品でもない。大通りに面した喫茶店から一時間外を眺めていたら少なくとも5人は同じリュックを見かける。それでもこのリュックも僕の中では並々ならぬ思いがある。

例えば高校の修学旅行。一日目からお土産を買っている同級生を心の中で小馬鹿にしながら歩いた国際通り。二日目に買った2Lのリンゴジュースが飲み切れず、かといって捨てる場所も見当たらず、結局最終日まで持ち歩いたのもこのリュックと一緒だった。

京都に旅行に行った際、評価の高いサウナで気分よく整ったが、宿に眼鏡を置いてきてしまい視力0.06の中、見慣れない土地を二時間歩いた時もこのリュックと一緒だった。いや、この時はトートバッグだったかもしれない。

サッカー部の顧問にいびられながら通った学校。今では考えられないが当時は部活が何よりも嫌だったため、授業が永遠に続いてほしいと切に願っていた。6限、掃除当番の週は何よりも嬉しく、逆に5限で終わってしまう日は朝から憂鬱だった。アホみたいにでかい、3L入っただろう水筒に粉から作るアクエリアスをパンパンに入れ、練習が終わるころには飲み干してしまっていた。その水筒を持ち運んでいたのもこのリュックである。

あのアクエリアスより美味しい飲物を僕は未だに発見できずにいる。きっとアクエリアス側も部活終わりの中学生に飲まれたことを喜んでいるに違いない。

世の中のすべての物には適材適所がある。包丁は台所、ベッドは寝室、使わなくなったダイエット器具の山は倉庫、アクエリアスは部活終わりの夕暮れといったようにだ。この適材適所が守られている時、僕たちは快適に過ごすことができる。

この時、重要なポイントが一つある。それは適材適所の限定性が高いもの程、感動ポイントが大きいということだ。

文面で表すと伝わりずらいため、グラフにして書こうかと思ったが生憎僕にその労力を費やすほど余力は残っていない。ねむ。

例を挙げよう。先ほど述べた通り、アクエリアスの適材適所は数少ない。部活終わりの中学生か、熱を出した時の枕元くらいに限られるだろう。この限定性が高い状況でアクエリアスを飲むとき私たちは快適になれるのだ(個人の見解です)。まあ、熱を出した状態で快適と言えるのかは一旦置いておこう。

逆に汎用性が高くどの場所にあっても違和感を覚えないものは、感動ポイントは低いと言えるだろう。例えば今僕の目の前にある1.5Lのウーロン茶。ウーロン茶は日常生活でどこにあってもさして違和感を覚えない。どの環境にもうまく馴染める陽キャな女子。いやはや、都合のいい女とも捉えられるだろうか。


この部分を書いている際、授業開始時刻になってしまったため、執筆を翌日に持ち越したが何を書きたかったのかさっぱり覚えていない。思い出しても大した盛り上がりはないのでここで終わるとする。


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