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【小説】ランファンのエアガン

ランファンは片目を閉じて銃口を空き缶に向けた。

横でミンキが見守る。

僕たちはさらにそこから離れた場所でそれを見ていた。

みんなが息を呑み、自然と静まりかえる。

何かしらの緊張感。

ランファンは銃の先に目をやり、引き金にそっと指をかけた──。

§

 遊具があるのはほんの一部で、野球場すら呑み込むそれは、公園と呼ぶには大きすぎる。見渡す限りほとんどが緑。それら全てを繋ぐように散歩道が作られている。その場所が、僕たちのホームグラウンドだった。

 玄関を開け、靴も脱がずに、ランドセルだけを無事に帰宅させると、すぐにノブの家に向かう。集合場所はいつもノブの家。圧倒的に家が近いのは自分の方なのに、僕は洋介より一足先に着きたいと思っていた。

 ノブの家に行くと洋介はまだ来ていなかった。いたのはノブと、ノブの5歳年上の兄ミンキ。そして、ミンキの友人ランファンだった。しばらくすると洋介が来た。

 いつも何をして遊ぶのかを考えるが、その日はその必要がなかった。ミンキとランファンがはしゃいでいる。ランファンの手には一丁のエアガン。僕たち年下組は、遠慮しながらもそれに目を奪われていた。

 ミンキが言う。

「早く撃ちに行こうや」

「まぁ、待て待て」

 ランファンは親に買ってもらった経緯だとか、おもちゃ屋のおじさんの話だとか、およそミンキから、いや、僕たちも含め、みんなからすればどうでもいい話をしている。要するにもったいぶっているのだ。その瞬間、彼は自分が注目を浴びていると感じている。しかし、本当に注目を浴びているのはエアガンであった。彼はそれに気づいていない。

§

 しびれを切らしたミンキが本気で怒り始めたのを察知して、ランファンは観念したようだ。ミンキとランファンは公園に向かっていた。僕たちは、同行を求められたわけでもなく、許可されたわけでもないが、2人の後に続いた。

 公園の入り口から続く散歩道を右回りに歩いていくと、すぐにベンチがある場所へ着く。真ん中に大きな石のオブジェが2つあり、それを囲むように半円状のベンチがある。さらにその全体を包むように木々が植えられ、足元は石畳でできていた。子供の僕たちにはその場所が、何の目的に作られているのか分からなかった。

 腰ほどまである石のオブジェに、ミンキは家から持ってきたファンタグレープとコーラの空き缶を並べた。

「とりあえず試し撃ちや」

 ミンキはすっかり落ち着いたようでニコニコしている。ランファンもさっきの得意気な様子はなく、純粋にニコニコしている。2人とも楽しそうだ。

 僕たちは勝手についてきたというやましさから、内心は楽しみにしながらも、それを表情には出さなかった。出さなかったというより、出せなかったという方が正しいかもしれない。なぜならいつ「帰れ」と言われるか分からないからだ。

 これぐらいの年齢の年上は、いつ急に理不尽なことを言うか分からない。僕たちはそれまでの経験で、それを嫌というほど思い知らされていた。

 ランファンの手に握られたソレは、今も存在感を放っている。それまで、子供のピストルといえば、駄菓子屋で売っているような銀玉鉄砲、または火薬銃ぐらいなものであった。それに比べてエアガンは、実際の銃をモデルに精巧に作られ、僕たちが持つには少し高価だった。

 そんな存在感を放つエアガンを、目の前の年上が持っているのだから、そこには緊張感すら漂う。そして僕たちには、5歳年上の2人が随分と大人に見えたのであった。

§

 ランファンは、水色のチェックのシャツを着ていた。ご丁寧にも前のボタンは第2ボタンまで閉められ、淡い色から続く首筋と腕は、白く透き通っていた。物珍しいおもちゃを手に、日焼けした僕たちと対照的な彼は、どこかお金持ちのお坊ちゃんだったのだろうか。

 「はよ撃てや」

 ミンキがまたイライラしてランファンを急かした。

 ランファンは慌てて銃を構えた。片目を閉じ、銃口を的に向け照準を合わせる。おもちゃとはいえ初めて銃を構える子供に、サイティングの技術などなかったはずだ。ランファンはこの時、何を見ていたのだろう。空き缶をただ見ていただけなのだろうか。今思えば滑稽に思えるが、両手を伸ばし片目を閉じた彼はとても格好良く見えた。

 いつしかミンキも黙っていた。後ろのベンチに座っていた僕たちも同じだった。本当は車の走る音や、遠くの遊具で遊ぶ他の子供の声がしていたはずなのに、辺りは時が止まったように静まりかえっていた。

 心臓がドキドキしていた。どんな音がするのだろうか。音は大きいのか。弾は空き缶にちゃんと当たるのか。間違ってこっちに飛んでこないだろうか。当たったら痛いのだろうか。僅かなその瞬間にいろんなことを思い浮かべる。────心臓がドキドキしていた。

 そして、ランファンが引き金にかけた指をゆっくり力強く────引いた──。

§

 パフン。

────え?

 予想も期待もしていない音が鳴った。乾いたともいえない、湿ったともいえない音。プラスチックとバネだろうか、確かに硬くて勢いのある音はした。でもそれと同時に空気の抜けるような、何ともいえない間抜けな音がしたのだ。

「屁やん! 屁! オナラやん」

 ミンキが咄嗟に笑いながら言った。その瞬間、さっきまでの緊張が解けたように、大きな笑いが起こった。こうなってしまっては、年下組も笑わずにはいられない。ノブは滲んだ涙を指で拭いている。洋介はお笑い芸人のように崩れ落ちた。もはや弾が缶に命中したのか、しなかったのかを気にする者はいない。みんなが笑っていた。ただ1人を除いて。

 みんなが笑う中、ランファンは1人だけ無表情で、銃口を覗き込んだり、弾倉をはずして中を覗き込んだり、時折、手のひらにエアガンを叩きつけたりしていた。不思議そうに顔をしかめている。でも、本当は頭が真っ白だったに違いない。恥ずかしかったに違いない。それを払拭するような彼の必死さが、さらにおかしく見えた。

 気付けばさっきまで大人に見えていた2人が、僕たちと何ら変わらない5歳年上の少年に戻っていた。

§

 その後、僕たちはそれぞれに自分のエアガンを手に入れた。しかし、あの頃の僕たちには、その銃がどの国のモデルで、何と言う名前なのかを知る由もなかった。名前ぐらいなら箱に書いてあったのだろうが、子供にはそんなことはどうでもいい。格好が良ければそれで良かったのである。事実、僕が自分のエアガンの名前を知ったのは、何年も経ち大人になってからのことだった。

 どうしてランファンのエアガンはあんな音がしたのだろう。バネが弱っていたのか。粗悪品を掴まされたのか。ただとりあえず、ランファンのエアガンはあの一件以来、ミンキによって「ランファンのオナラ」と名付けられたのである。子供らしい安易でくだらないネーミングだなと、ふと最近、当時の事を思い出した。

 ミンキとは今も仲が良いので、先日「ランファンはどうしている?」と聞いてみた。

 するとミンキは、

「さぁ、どうやろうなぁ」

 と、深くうなるように答えた。あたかも僕の問いに真剣に答えているように見せていたが、僕はその「さぁ、どうやろうなぁ」には、「知らない」「関心がない」が含まれている事を察した。全く調子のいい奴である。そもそもミンキは、あの公園での出来事も「ランファンのオナラ」のことも覚えていなかった。

 同じ時間、同じ場所、同じ出来事を共有したとしても、思い出も、人と人の繋がりですらも、その人によって違うのかもしれない。それは時間が経ってみないと分からないのかもしれないと思った。残るか、残らないかは千差万別。でも、最も自分にとって大切な事なら、残る、残らないより、残す、残さないが重要なのだろう。

 自分にとって大切な人、大切な出来事、大切な時間、大切な場所、大切な音、大切な色、大切な……大切な物も大切な事もたくさんある。世界には大切が溢れている。それでも、それは他の誰かからしたら、どうでもいいことなのかもしれないな。

 そして、僕の机の3番目の引き出しには、今もデザートイーグルが大切にしまってある。

 完

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