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中断も力なり。

昨年末の京都のライブを終えて神戸にある実家に帰っていた。

京都の日は文字にする気にもなれないくらいの良日となったので
そのままそっとしまっておこうと思う。

年末年始は絵に描き尽くされたようなオフを勤しんだ。

オフにしないと友人に会いたくなったり、活動的になってしまう懸念があったので、限りなく起きて食べてぼけっとして食べて母がやって欲しいことをやって昼寝して食べてテレビ見て風呂入って寝るという日々を送ることで少しでも感染予防の足しになればとオフの上にオフを重ね続けた。

父の死に纏わるあれこれを終えたあとの疲れや寂しさがどっと押し寄せて弱ってしまわないかと心配していた母は意外に元気だった。遠くに暮らしている僕らが帰ってくることはやはり嬉しいように見受けられる。犬と二人きりだと話すことがないのか、話したいことを取り留めなく思い出した順に話されるので、出来る限り自分の意見を述べないように聞くことを心がける。それでも反射的に自分の意見を述べてしまうこともあり、その場合はプラレールとNゲージの線路を繋げようとするくらい噛み合わないので話は100%脱線し、決まって母は「私の育て方が間違ってたのかねえ。」という終着点へ向かって話を走らせようとする。

母からすると僕はよくわからない宗教の教祖様みたいという認識らしい。

最低限の衣食住だけはお金と切り離したところで保たれる世の中であるべきだと思うことは衣食住をお金で成り立たせてきてしまった人たちには理想であって現実味を自ら沸かすことが困難なのであろう。そんなこと言ってる僕自身も実際には難しいと感じるシチュエーションの方が多いのであるから。

そんな年末年始のことを2月の終わりに書いている自分はどうかしてるのかもしれない、が書いている。しかも昨年、突如飽きて放置していたnoteにである。

"中断も力なり"と言えるような生涯であれればといろんな物事に触れる中で
最近(特にこのコロナ渦の中で)は思ったりしている。

と言ったわけで、

2021年、明けましておめでとうございました。
今年も何卒よろしくお願いします。

昨日、やけに暖かかったので無性に意気揚々としたわけだが、
今日は朝から文字起こしすると"ゴォーゴォ〜"となる風が吹き荒れている、、、。

gigadylan

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