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ロマンスにあふれて(ロイヤルバレエ 眠れる森の美女 感想)

「現実を見ろ」「フワフワしやがって」なんて、合理主義的で冷め切った空気が漂う現代、ロマンチックなものは馬鹿げたものとされがち、な気がする。

先日、自粛明け初映画館で、ロイヤルバレエの『眠れる森の美女』を観た。主演は我らが姫・金子扶生さんと、絵本から出てきた王子・フェデリコ・ボネッリ。

言わずもがな、今回の話題はこのキャストにある。

元々は大人気のプリマ・ローレンカスバートソンがオーロラを務める日であったが、急遽怪我で降板。ファースト・ソリスト(プリンシパルの1個下の階級)の金子が代役として出演することになったのだ。お国意識が強い私は、「大好きなふみさんがついに映画館で観れるのね!」なんて呑気に喜んでいたものの、そのプレッシャーは計り知れない。公演数の多さで有名なロイヤル・バレエでは、代役なんて日常茶飯事、今回のことも特段珍しくはないはずだ。しかし、観客はローレンが観たくてチケットを取っている。そして、世界中で映画中継されるからだろうか、バレエ団の総力を結集したかのような、「え、プリンシパルがブルーバード踊るの!?」なんて、正直あり得ん豪華すぎるキャスティングが実現する。

金子扶生ちゃんといえば、大阪出身のバレリーナ。珍しくローザンヌなどには出ず、ロイヤル側から引き抜きがかかったまさにシンデレラガールだ。
強靭なテクニックと、そこからは想像もつかない繊細な上半身、そして特筆すべきはなんとも言えない華やかさ。

映像化されているからか、フレデリックアシュトンのジプシーガールの印象が強く、その華やかさ通り自信に満ち溢れた方かと思いきや、か細い声で自信なさげな話すインタビューなどの様子には、かなりのギャップを感じたものである。
ここまで持っている人が、まだまだ慢心せずに謙虚でいられるのか!

そんな彼女のプレッシャーは計り知れない。

そんな前提で観たから、最初の登場からローズアダジオまではなんだか緊張が見て取れた。(もちろんそれがテクニックに影響したとかそんなことはなく、完璧な踊りで、その緊張もむしろ結婚を控えたまだ幼いオーロラとマッチしていた。)

2幕、王子登場。個性が強いロイヤルバレエの中で、王子を踊らせてフェデリコの右に出るものはいないだろう。絵本から出てきたような王子様である。(映像化されている○年前のアリーナこじょカルと踊っている時も王子でありながら若々しい。時を経て観た今回は、オーロラを救い出し、何者からも守る王子になっていた。)
サポートに定評のあるフェデリコの登場で緊張がとけたのか、とてもロマンチックな幻想の場であった。

そして3幕。苦境を乗り切った後に、お互いを見つめる眼差しが、オーロラと王子そのものである。

そう、今回の公演で特筆すべきはまさにリアル眠れる森の美女が繰り広げられていたことである。

不安とプレッシャーで押しつぶされろうな姫を、リラの精(指導者たち)が導いたこと、そして圧倒的包容力のある王子がしっかりと彼女を支えたこと。そして、正しく導かれ、支えられるに値するオーロラ姫。
カーテンコールの扶生さんの安堵の笑顔と、それを見守る周りの笑顔、そんなもの感動せずにはいられないのである。

眠れる森の美女はロイヤルオペラハウスでロイヤルバレエがはじめて行った記念すべき公演である。
戦後の陰鬱と下中、夢のように豪華絢爛な舞台は、どれほど人々の心を救ったのだろうか。

ちょうどロイヤルオペラハウスが再開したとのうれしいニュースもあったが、決して元どおりにならないことを私たちは知っている。

そんな今だからこそ、不安に包まれた私たちを
導いてリラの精。助けに来て、王子様。そして早く目覚めて、その美しさで私たちに希望を見せて、オーロラ姫。

そう、こんなときこそロマンチックが必要だ。
ロマンチストで何が悪い。

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