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【舞台レビュー】英国ロイヤル・バレエ『白鳥の湖』-受け継がれていく新たな伝統-


 2024年6月27日、ロンドンにある英国ロイヤル・オペラ・ハウスでリアム・スカーレット版『白鳥の湖』が上演された。シーズンの最後を飾る演目で、本公演は最終日の前日だった。


期待のメインキャスト


 メインキャストは、オデットに佐々木万里子、ジーフグリードにジョセフ・シセンズ、ロットバルトにルーカス・B・ブレンツロド。主役2人は直前に2回のキャストチェンジを経て、今シーズンの別日でデビューを果たしていた佐々木とシセンズが代役を務めた。

 佐々木は腕の動きの繊細さが群を抜いていて、肩甲骨から腕をコントロールし、鳥の羽の骨格を感じさせる動きが、ただふわふわ動かすだけよりも白鳥らしく見えた。怯えた様子から徐々に王子との愛に希望を見出していく様子まで、徐々に開放的になる上半身の動きと表情で表現しており、情感的なオデットだった。2幕のオディールは、オデットの様子からは想像がつかないほど滑らかでメリハリのついた踊りで王子を魅了していく。回転技も安定して力強く、王子を騙して高笑いする様に一気に心を引き込まれた。会場中が熱狂し、休憩中の観客からも「彼女のオディール好き!」と技術や表現力を絶賛する声が聞こえてきた。

 シセンズのジーフグリードは、ゴムを引き伸ばしたような伸びやかなアラベスクと、ボールが跳ねるように軽やかで音の頂点にぴったりはまる跳躍が、終始心地よかった。また、1幕で母親から誕生日プレゼントをもらった時に無邪気に喜ぶ様子と、結婚を強制された時の憂鬱な様子とが入り混じり、大人になりきらない王子の危うさもしっかり表現していた。

オデット役佐々木万里子、ジーフグリード役ジョセフ・シセンズ

 ロットバルト役のブレンツロドも存在感があった。身をひそめる宮廷において、下から睨むように王子に圧をかけ、時には何しらぬ顔をしながらも王子から一切目を離さない様子が、お祝いの明るい雰囲気の中で1人だけ怪しく不気味な雰囲気をまとっていた。ブレンツロドは『くるみ割り人形』の王子などのプリンシパルロールにも抜擢されつつ、『シンデレラ』で癖の強い王子の好演も記憶に新しく、演技力や存在感も評価されつつあるダンサーだ。他日程では、ギャリー・エイビスやトーマス・ホワイトヘッドなどのベテランがロットバルトを演じる中でも、引けを取らないロッドバルトだったと思う。

ロットバルト役のルーカス・B・ブレンツロド

リアム・スカーレットと『白鳥の湖』


 ロシアで初演されて以降、世界各地で様々なバージョンで上演され続けている『白鳥の湖』。ロイヤル・バレエにおいては1987年のアンソニーダウエル版が1番上演回数が多く、2015年までで過去最多の316回上演された。2018年、約30年ぶりに行われたリバイスの振付・演出として選ばれたのが、当時アーティスト・イン・レジデンスのリアム・スカーレットだった。

スカーレットはロイヤル・バレエ・スクール出身で、アシュトン・マクミランといった名だたる振り付け家のエッセンスを浴びながら育ってきた。舞台設定を大幅に変える演出もある中で、スカーレットが大切にしたのは先輩方が作り上げてきた伝統は引き継ぎつつも、現代の観客に合わせ、違和感のないストーリーにすることだった。

『物語バレエの方がリスキーだ。なぜなら、抽象的バレエは、間に何を入れても、意味を持たせる必要もないけど、終始一貫性を持たせる必要があるから。』

(本公演パンフレット内『LIAM SCARLETT』より抜粋 著者訳)

と語っていたという彼は、物語に一貫性を持たせ、現代の観客が物語にスムーズに入り込めるよう、様々な工夫を施している。

 オデットが白鳥に変えられたシーンを冒頭に追加し、悪魔・ロットバルトを女王の側近として最初から登場させることで、彼の権力欲と存在感を強く表し、これから起こる悲劇に、より納得感を加えている。また、1幕の湖畔のパ・ド・ドゥと、4幕で踊られるパ・ド・ドゥの冒頭に同じ振り付けを導入している。ミュージカルで定番のリプライズを振り付けにとり入れることで、物語と登場人物を取り巻く環境や心情の変化を巧みに表している。

LGBTQと『白鳥の湖』、またはロイヤル・オペラ・ハウス


 『白鳥の湖』が上演されていた6月は、ロンドンではLGBTQ+の人々の権利を啓発する『プライド月間』で、街中の至る所でレインボーカラーが見られた。ロイヤル・オペラ・ハウスでも『Pride of the ROH』というツアーが開催されていた。「ロイヤルオペラハウスにおいて、音楽や振り付け家たちがどのように性別的役割の境界線を超えてきたか」を、オペラハウス内の展示などを観ながら説明してもらう、という内容であった。『白鳥の湖』は明らかにLGBTQを描く話ではないが、元・プリンシパルで今回指導にもあたったゼナイダ・ヤノウスキーが「『白鳥の湖』で考えなければいけないのは、王子もまた『女性との結婚』という性別的・社会的プレッシャーをかけられ、苦しんでいるということ。」と話していた、という裏話もツアーガイドに教えていただいた。

ロンドンの至る所でレインボーカラーに。ロイヤル・オペラ・ハウスも正面に装飾が施されていた。

『白鳥の湖』とエンディング


 エンディングの多様さが魅力の1つでもある『白鳥の湖』。スカーレット版は、オデットの死をもっても2人は結ばれることなく、シーフグリードはオデット亡き世界で生きていかなければならない、という希望が見出しづらいエンディングだ。生きづらさや苦しみを描くのに長けていたスカーレットらしいエンディングは、初演時に話題になった。このエンディングは一見「ジーフグリード個人の罪」のようにも見えるが、ジーフグリードに結婚をせかし、圧力をかけた周りの人や社会にも、この悲劇的結末に責任があるのではないだろうか。性別的役割からの開放が課題として上がりやすくなり始めた現代だからこそ考えさせられる、まさに現代的な解釈の『白鳥の湖』だと感じた。

まとめ


 今回のキャストは基本的には若手が多く、一部コールドのばらつきが気になる部分もあったが、プリンシパルがいない舞台でも、ロイヤルの大切な全幕をクオリティ高く踊りあげたいたように思う。実際、公演の次の日にシセンズはプリンシパルへ、佐々木とブラッドはファーストソリストへの昇格が発表され、期待のホープたちで構成された舞台であったことは間違いがないl。
 2018年の初演時から4回目の上演ということもあり、徐々にいろんな層のダンサーに経験を積ませるフェーズなのだろう。スカーレット作品を踊る機会が多かった元プリンシパルでスカーレット財団のスーパーバイザーでもあるラウラ・モレーラが指導に入るなど、亡きスカーレットの作品をしっかり引き継いで行く意思を感じさせる舞台だった。私たちが生きる時代に即した『白鳥の湖』が、熱心な指導者と才能あるダンサーたちによって、大事に踊り継がれていくことを願う。


(参考文献・ウェブサイト)・公演パンフレット『SWAN LAKE 2023/24』内『LIAM SCARLETT』.Debra Craine著・“Performance Database Swan Lake” . Royal Opera House https://rohcollections.org.uk/work.aspx?work=1890&row=100&letter=S&genre=All&2024年7月6日閲

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