230804 日記

 バイトで残り2時間ぐらいでやらなきゃいけないことが尽きて、空白の時間が流れている夏の昼下がり。週一投稿しようなんて無謀な夢を掲げていたことをふと思い出して、書いてます。エアコンの涼しさがちょうど良くて、遠くで下校中の小学生の声が聞こえていて、なんかエモい。

 最近、複数性についてみたいな文章にいくつか触れた。別に意図して探したわけではなくて、偶然面白そうと思って読んだ文章が「複数」をテーマの一つに据えていた。(ちなみに森博嗣とか青松輝を読みました。)

「私」は単一ではなく複数であって、嬉しいと感じていると全く同じ瞬間に激しく怒っているし、悲しくて涙を流しながら笑みを浮かべている。私はつまり記号化、パターン化され得ないわけで、人間は誰でも最初は複数だけど、多くの人がその状態を回避しようとし、人格を統合し、パターンの中に埋め込んでしまう。それだけじゃなくて、「エモい」っていうパターンは強力で、エモを否定した瞬間にそれがまたエモに回収されていく。パターン化を拒絶する格闘は敗北が確定していて、しかしそれでも戦い続けなければいけないみたいな、全部ごちゃ混ぜにしたらそんな話(だったと思う)。

 複数っていうのは優しい。あるいはそれで傷ついたり、かえって孤独になったりするかもしれない(like a 人類補完計画)けど、傷とか孤独を優しさと呼ぶことができる。それは「彼は傷を抱えている人に優しくできるんだよ」みたいな話じゃなくて、傷それ自体を優しさと名づけることができるという話。適当に喋りすぎかな。

 でも複数であることっていうのは優しいってことだと思うのは本当。それは自意識の問題と密接に関わっていて、それを優しいと呼ぶことだってできる。

 バイト終わったらタバコ吸う。クリームソーダはまずいから飲まない。

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