見出し画像

「今」とは何か

私が仕事で使っているオンラインのスケジュール表にはグループメンバーの1日の会議予定等が縦に並んでいます。横軸は時間ですが、そこを縦に貫いて一本の赤い線が引かれていて「今」の時刻を表しています。この赤い線は時間とともに右へつまり未来へ進んでいきます。宇宙の始まりに時間が始まり、宇宙の終わりに時間が終わるとして、この長大な時間軸に他の時間とは異なる特別な赤い線「今」があるのでしょうか。

アインシュタインの特殊相対性理論は人々に共通する「今」は厳密には無い、つまり空間的な場所が異なれば共通する「今」は無いと証明しています。しかしここで私が考えたいのは「私」の「今」、つまり空間の1点における「今」、物理的な用語では1つの世界線上の「今」です。過去は過ぎ去って存在せず、未来はまだ存在せず、今だけがリアルに存在するという考え方もあると思います。しかし、この文章を読まれている方にとって最初のタイトルを読まれた時点もその時点でリアルな「今」だったはずです。そしてここまで読まれた今もリアルな「今」、最後まで読んでいただけるかわかりませんが拙文を読み追われたその時点でもリアルな「今」と感じられるでしょう。でも本当のリアルな今はこの文字列を読みつつある「今」であり他は存在せず時間と共に「今」は移動している??

話をちょっと変えて、「私」とは何かについて考えて見たいと思います。私は哲学には疎いのでこの哲学的大問題(だそうです)にちゃんと答えようとは思わないので、いい加減な話ですがご容赦を。この文章を読んでいるあなたは「この文章を読んでいる私だけがリアルな私である」と感じているのではないでしょうか。他人もそれぞれ自分が「私」であると感じていることはわかっているが、他人の「私」と私の「私」やはり何かが違う。世界には70億人の人間がいるが何故かこの私だけがリアルに感じられる「私」として選ばれている。いやいやこの文章を書いている私も「この文章を書いている私だけがリアルな私である」と感じています。70億人全てが私だけがリアルな「私」だと感じているでしょう。いやそれでも読者であるあなたは私だけがリアルな私であるとする何らかの理由がある。つまり私はある哲学的な(?)理由で私だけが私である。しかしもし理由があるとしたらその時点でその理由は理由でなくなります。何故なら70億人全てがその理由を持てるからです。あなたが「私だけがリアルな私である」理由は全ての人間がそうであり、あなたは「その中の一人」だからででしかない。それ以上の理由はありません。

時間に話を戻します。わかりやすく日にちで考えてみましょう。昨日の私は昨日の時点でその日が今日だと思っていました。2日前も、10年前のある日も、また明日も10年後のある日もその日になればその日を今日だと思うでしょう。そして今日も今日。今日だけが本当のリアルな今日であるという理由はあるでしょうか。ここで「今日」を「私」、「他の日」を「他人」に置き換えると先の「私だけが私である」議論とそっくりです。「今日だけが本当のリアルな今日である」というのは「私だけがリアルな私である」のと同じではないか。全ての日がリアルな「今日」であるからその一つであるあなたがこの文章を読んでいるこの日も「今日」なのではないでしょうか。それ以上の理由は無いと私は考えます。全ての時間が「今」であり、従ってあなたがこの文字列の部分まで辿りついたこの時点も「その中の一つである」から今まさに「今」であるとあなたは感じている。裏を返せば特別な「今」という時点は時間軸に存在しない。

「メッセージ」というSF映画(原作はテッド・チャンの「あなたの人生の物語」)に出てくる宇宙人は時間全体を捉えることができるという設定でした。残念ながら人間には不可能です。認識能力が劣るからでしょうか。いいえ、認識する行為そのものが時間「点」的である、つまりある時点における変化を捉える行為であるからだと思います。その時々を瞬間的に認識している状態が人生の時間軸上に金太郎飴のように並んで存在しているイメージです。
時間全体を全体として捉えたとしたら、それはある意味変化のないものであり、知ったからといって何の役にも立たないでしょう。あの映画は感動的でしたが矛盾していました。刹那に生きて、過去の記憶に惑わされ、先の運命を知らないから人生は面白い? 

素朴な認識とは違い考える行為は時間全体が如何なるものであるかを理解する手助けをしてくれます。100年前アインシュタインは時間が空間と同じものであることを証明しました。何故なら時間と空間は混ざるからです。混ざることができるのは本質的に同じものだからです。時間における「今」のように空間に特別な点があるでしょうか。ある意味「私」は空間における特別な点のように感じますが、先に議論したようにそれは間違いであると考えます。空間に特別な座標点がないのと同じように時間にも特別な時間点はない。

ところであなたが今いる場所から10km北という空間の場所を考えてみます。そこは10km北という抽象的な座標があるだけではありません。具体的な地形、構造物、人の営みがあります。そこから見えなくてもです。10年先はどうでしょうか。時間と空間が本質的に同じものならやはり具体的唯一の10年先の未来があるでしょう。今は見えなくてもあなたは10年先の「今」に特定の状況でいます。では未来の運命はすでに決まっている?どう考えますか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?