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人生は、傷とロマンや。

なにをコイツはまた大きく出たな、
ヘタな博打うちか、と思うだろうか。

子どもの頃から生きてて感じることがある。
それは「何かしら社会のレールから外れた人からしか得ることがない人生だな」ということだ。

ほら、また大きく出た。

私自身はまぁ軽い持病みたようなものや対人緊張が人よりありすぎるくらいで、そこそこ幸せ、助けてもらおうと思えば手段があって、人生観が曲がり切る前には修正を手伝って貰える環境が整っていた。

だのに人と仲良くなりたいと思うとどうだ。恵まれてる人間と関わる価値を、(相手も自分もお互いに)感じることができない。
なんなら時間を浪費しているようで、不安といらだちを覚える始末なのだ。こりゃ病気だ。

そんな背景が、私の言動に矢鱈ハードボイルドの陰を忍び込ませてしまう。

人を、本を読み潰すように、消費してしまう。
故人の人生を、晩年の手記だけで、把握するような一時の集中力で。
知るだけ知って、わかったような気になって、興味がなくなったら、さっさとどこかへ行ってしまう。

他人は消耗品ではないのだ。
つかれた。もうおまえのやり方にはつかれた。自分でありながら心底呆れ果てる。

この年になっても長期的な人間関係が築けないとは。

こんないやな傾向は、あるいは嗜んできた音楽のせいかも知れない。
めでたい曲よりどうしても別れの曲が好ましいと感じる。
喜びを曲にしたものでさえ、ちょっと悲しみが含まれてないとダメ。
おまえはどれだけ人の不幸が好きなのか。
他人の人生はミステリー小説ではないのに。
仕方ない。
アンニュイだったり、大人びた曲調が好きなだけなのだから。

神様。私は私を幸せにすることができるでしょうか。

そんなこんなの根暗な私は、人様に何かお聴かせするとなると、つい相手の喜びを心のどこかに置いてしまう。
嫌われたくない。

アンタが笑ってりゃ平和だからさ、少しの飽きも私の耳まで届いてこない程度にはさ、笑ってもらうよ、と。

接客で培った、人が不快になるリズム感。
ぶっちゃけ、アレになるのがイヤなだけなのだと思う。

お客様を心地よい気分にさせられたことなどなかった。少なくとも会社からはそういう評価だった。怒られてばかりだった。気が利かなくて、陰日向で、相手にされなくなっていく。ほとんど、そんなんばっかりだった。

だから、それを廃したいだけで音源を準備する。文句を抱かせる前にと、こまめに音やイメージ変える。意外性を細かく、太く仕掛ける。

歌はうまいかどうかはさておき、いっぱい仕掛けることで盛り上がってくれれば「この場は」平和に乗り切れる。それだけだ。

はい、そんな人間性のヤツが昨日流したライブがこれです。
https://stand.fm/episodes/612b2329cbf2db00069a358f
その名も「傷とロマン」だ。
自分の城だ。ネーミングの喧しさは赦せ。

対人緊張、気の弱さ、根暗さは、人様に生で関わる上では不利益しかないと思ってる。
クヨクヨ小さいストレスを溜めて病んでいって離れざるを得なくなるのが遅いか早いか。それだけだから。

けれど、失敗がイヤで、失敗のデータ(だけ)をせっせと集めつづけた私たちには、準備さえできれば人をアッと言わせることはできる。

全然 大丈夫だ。
いじめられようとられてまいと、生きる場所はなんかどっかに、ある。

部分的でいいに決まってる。ネット上だけでもいいに決まってる。自分の身を守る知恵を持てば。最小限の生きる場所だけでもそこにあれば。

だいじょばなくても、だいじょうぶだ。

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