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詩のことばにふれる。ワークショップをしました。
なんと昨日、詩のワークショップを開催させていただきました。
そこで話すにあたって、詩への新しい気付きがあったので、備忘録とワークショップのおまけ話的な感じで、今日のnoteを。
やろうと思ったきっかけ
わたしが学生時代勉強していた分野であり、今も実践しつづけている「詩」。
ただ、普段生きていて、あまり身近ではないのが「詩」。
詩のことば、をみんななんとなく敬遠するけれど(少なくとも周りの友人はそう)、たまには見たことのない景色を見に行く感覚で……と思い、本当にさわりだけ「詩ってなんだろう」の話をするワークショップを開催してみようと思いました。
要は「ちょっと覗いてみませんか?」という感じ。
詩って、現代でいうとめちゃくちゃ、曖昧さが増してきている文学・芸術だと思うんです。
曖昧だからこそ、敬遠される。
なので詩、ではなく、まずは「詩的なことば」というところから、導入してもらえたらいいな、と思いでワークショップの内容を考えて。
そんな話をするにあたって、改めて自分の論文や、論文を書いた際に使った書籍などを読み直して。
そして、どうしたらはじめて詩にふれる人に、楽しんでもらって、なんとなく分かってもらえるか。
めちゃくちゃ考えました。
詩は自分自身がターゲットのことば
今回、以前参加したいなフリの今期受講生や講師・コワーキングスペースに滞在する方向けにやりました。
あたりまえだけど、みんな普段詩をやる人じゃない。
今現在、提案文やクライアント向けの記事を書いている。
そういう人に「詩はコレです!」って、なんて言ったらいいかなと思った時に思いついたのが、
「詩はいちばんに自分自身がターゲットになることば」
でした。
仕事のことば、クライアントやユーザーに向けた、自分の技術という装備を使って、外に向かっていくことばを駆使するのが、きっと普段書いている文章。
(わたしもライターでもあるし、そう感じている部分があった)
詩は自分の中にある感性やことばを、外からの刺激によって育てて、内側から滲み出たことば。
結構真逆。
でもちょっと違うよりは、このぐらい真逆!と思うと、振り切りやすくて、だからこそ自分が両方できるのかなんだとも思ったり。
詩は現代と逆行しているかしれない
SNSが主流で、当然存在する現代で「誰にでも分かることば」や「リアルで嘘のない表現」「ありのままを見せる」みたいなこと、いちばん求められている。と思う。
クライアントやユーザーに向けたことばは、きっと時代が求めることばの一部だ。
詩はめちゃくちゃ時代に逆行しているのかもしれない。
だからこそ「詩の気持ち」をたまに思い出してみるといいと思って。
リアルを見せること・見せられることに慣れてしまうと、心が目減りする。
自分が消費されることも、誰かを消費することも。
「人そのものを消費する」のが当然になっているんですよね。
気付かないうちに心の嵩が減っていく。
詩は周りから受け取った刺激から生まれる感情や感覚を自分の中に探す行為。
それは水脈を見つけるということ。
水位の下がった心にまた、自分をとくとくと溜めていく行為が必要になっていく。
その自分の中に、感性や感覚、感情を取り戻していく。
そういう意味で「自分がいちばんターゲットになる文章」なのかなと思います。
その意識を「誰か」や「架空の人物(作品の主人公)」に向けると、また詩作・創作、ひいては文章・それ以外の作品や仕事全般にも活きるんじゃないか。
たまに違う筋肉も使うことで、結果として今までやっていたことの精度も上がるような感じ。
まあ、今回はビジネスメールや、クライアント向けの文章を普段たくさん書いている人向けのワークショップだったので「クライアントワークの対比としての詩」として説明したんだけれど。
結果として、自分の中の「詩」の立ち位置というか、詩に対する観念がまた、ちょっと見えるものが増えて自分的にも成果の多い体験でした。
多少なり、参加者の皆さんにも楽しんでいただけましたので何よりです。
また機会があれば、詩にふれるきっかけづくりとして、ワークショップを出来ればいいなと思う。
自分も自分で、さらに詩人として精進して、また新しい発見を広げて、自分の心の堆積、していきたい。
志邑でした。
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