今、ちゃんと生きるために

ぼんじゅー。ぼんすけです。

私はずっと、記事で書いている内容を見て分かる通り、NEWSのファンです。2016年からのファンです。
部屋の一角にポストカードやグッズが飾られていて、デスクの横にもまたポストカードが貼ってあります。
本棚にはNEWSのCD・DVD・BDが整理され、2016年以前のものも含めて並べられています。
一番下の段には、アイドル雑誌やテレビ誌、ファッション雑誌、女性誌、その他いろいろ。はじっこにはファイルが並んでいて、そこにもいろいろ。
これも全部NEWS関係のものです。
部屋じゅうNEWSです。私はNEWSが大好きで、とにかくもう好きで、好きとか愛しているとかじゃ歯が立たないほどの感情で好きです。それが全面に出ている、オタクの楽しい部屋です。
6月21日現在、なんら手を加えず、そのままのオタク部屋からお送りしております。

先にいうと、結論、好きになった瞬間のNEWSも、そこから知っていった昔のNEWSも、今のNEWSも、これからのNEWSも、全部好きです。それは変わらない。これは決定事項。
決定事項なんだけど、正直今の私の感情は、自分でも正確に形容しがたいほどに複雑怪奇。きっとファンは多かれ少なかれ、そういう状態だと思う。お気持ちジェットコースター©同居人(同担)というやつですね。
6月19日のできごと。それはあまりにも突然のことで、できごとを理解をするのに時間がかかった。かかった、っていうか、まだ理解の途中。まだなにも咀嚼しきれていない。意味不明。謎。
でも、謎で微妙で、複雑な今の感情を残しておきたい。今、私が、ちゃんと生きて呼吸をするために必要な行為なので。

-注意書き
※6月21日現在の私の気持ちです。
※シゲ担です。そしてNEWS担です。
※あけすけに、言葉を選ばずに表現する部分も多少あると思います。

では、どうぞ。

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今この瞬間に自分の口から発せられる「NEWS」というグループ名が3人組を表すことになってしまったことが、まだ信じられない。
現状を確認しても、落ち着いて考えてみても、自分が発する言葉すべてに自分で傷つく。
3人のNEWS、もう4人じゃないNEWS、もう4人が並んでいる姿が見れない。どう形容しても、言っていることは同じで、どうやっても覆らないということを自覚する。

書き始めたはいいものの、複雑でまとまっていないから「落としどころ」があるような記事内容ではない。暴力的にただ、思いつくことを書くだけにはなる。

18日時点、まだこうなるとは知らない私と同居人は2人仲良くSmile Up Projectのライブ配信を視聴した。感想はTwitterにも色々書いたけれど、ざっくりまとめると3人でやっているのに、4人を意識させるライブだと思った。そのことを私(たち)は、3人はずっと待っている、ずっと4人だってことなんだと受け取って、すがすがしいくらいの気持ちで、それはもう美味しく酒を飲んだ。そしてアーカイブを2回観た。

シゲのカリスマ性が半端じゃなかった。『世界』の初見でまず出たひと言目が「尾崎じゃん!」だった。尾崎豊のことよく知っているわけじゃないから、尾崎豊ファンにはゴメンだけど、狂気的なぐらいの輝きを感じたっていう意味で、思わずそんな言葉が口をついて出た。
生きたまま地獄にいく人の美しさ、だと思った。とにかく加藤シゲアキという人間があまりにも、かっこよかった。

慶ちゃんの脚が100mを超えたのはいうまでもないが、そのスーパースター体型を120%楽しめる『Going that way』を選曲してきたことは、優勝でしかなかった。他の曲とのバランスを見ても、メリハリがあった。強くてかっこよくて、歌はべらぼうに上手くて、脚が100mあった。肩から落ちる上着の隙間に住所を移したい。

増田さんの、こういうときも新しく、ちゃんと専用の衣装を作ってきてくれる細やかさには、毎度頭が下がる思い。STORYのTシャツとパーカーのSUPリメイク。あのシンプルさと、セットリストがいい合わさり方をしていて、曲がとても映えていた。
増田さんのソロ曲はYouTubeでもあげていた『戀』。5億人が恋に落ちる歌声に、私は思わず、知り合いの増田担の安否が気になった。視聴後に確認すると数回心肺停止したようだった。WORLDISTAとSTORYのグラデーション。クライマックスへの序章。アツい…

『クローバー』の歌ったパートは手越くんへのメッセージだったと思った。『クローバー』そして『U R not alone』の歌わなかったパート、それは、手越くんにしか歌えない、唯一無二のパートだった。
3人は上記の興奮の通り3人の1000%でやり遂げていて、なんの心配もなく、全然かわいくてかっこよくて、歌がうまくて、大好きなNEWSだった。
けれどあの空白があることで、あえて4人じゃなきゃ完成しないようにつくられていたステージだった。
私は、画竜点睛の故事成語を思い浮かべた。腕の立つ絵師が描き上げた龍は、瞳を描き入れると本物の龍となって飛んで行った……これはわざと瞳を描いていない龍なんだ、4人になればどこまでも昇っていくんだ、NEWSは。

興奮が冷めやらず、朝を迎えてから寝た。なのにも関わらずすがすがしく、ここ3か月くらいでもっとも元気な状態で仕事をした金曜日だった。
私は終業直前にNEWSが3人になることを知った。
昨日のライブで感じたものが一気にひっくり返っていった。そして、それがしっくり来てしまったことにもショックを受けた。
あれは、4人のNEWSにとっての「4人での」最後のライブってことだったんじゃないか。

今まで、NEWSを応援している間に色んな事が起きたけれど、いい時も悪い時も、私は感情の起伏が表面上乏しいので、感動で泣いたり、悲しみにくれたりしたことがなかった。
悪いことに関していえば、1日怒ったり、分析したり、考え込んだりしたら、次の日からは切り替えられていた。
そんな私が、1時間ほど呆けて、二の句が継げなくなり、泣いてしまった。ワンワン泣いた。泣いたけど、まだ信じてないし、まだ噛み砕けてない。こんな気持ちになったのは失恋した時以来だった。
2日ぐらい泣き明かして、1ヶ月以上引きずったけれど、最初からある程度納得していた分、失恋はまだマシだったと言えるかもしれない。
とにかくその知った瞬間も今も、全然納得がいっていない。

けれど、応援はしようと思った。どうしてこうなったかは全く分からないが、こうなってしまった以上は、違う形にはなってしまうけれど、気持ちとしては、前向きに、送りだそうと思った。

そして、NEWSとして残った3人のことを、「NEWS」のことを、これからも応援するのは変わらない、と思った。思ったとかじゃなくて、自然ともうそれは決定していた。
4人のNEWSだから私はあのタイミングで好きになった。だからといって3人のNEWSを受け入れない、というのはやっぱり違うと思った。私はあのタイミングだからこそ今までのNEWSのことも好きになれた。9人や、8人や、6人の時代がなければ、4人のNEWSはなかったから。
だから、と順接でいうのが正解なのかは分からないが、とにかく3人になっても、4人だった事実は揺らがないし、自分が好きなNEWSの過去が消えてしまうわけじゃないと思った。

けれど私はシゲ担だから、そりゃあ、シゲ達3人がNEWSを残してくれるという選択をしたなら、NEWSを守ろう、NEWSをずっと応援しよう、ということになるのは比較的当然だろうと言える。それでいて、惨いことだと思った。
人によっては「4人の否定」とも思われるかもしれない行為だ。私が、4人のNEWSは否定されない、存在した事実は変わらない、と思っていたとしても。
けれど「3人の否定」だって絶対にしたくない。だから変わっていっても、推していくことはやめない。私はどっちも捨てない、という意思を示すしかない。
だから、温かく見送って(という感情になるには時間がかかるかもしれないが)、送りだした彼のことも応援しようとは思った。

さて、混乱して、泣いたりした割には冷静に、FC動画を画面録画してみたり(絶対に私的に視聴することにしか使用いたしません。)、webの文章スクショしたり、とにかく、4人を保存した。
スクショしながら、『STORY』について語る彼の言葉を、ファンやメンバーに対する行動を、淡々と振り返っているうちに、やっぱり納得いかないという気持ちが浮かんでくる。理解できない。
STORYは終わっていないし、君が口にした夢はまだ実現していないのに。いつもファンやメンバーや関係者への愛を絶やさず発信してくれていたのに。なんで突然、しかも、月末とかまでじゃなくて、何の猶予もなく、たった1日で。
こんな風に、なにも噛み砕けないまま、あっという間に去っていくのにはさすがに「置いていかれた」と思わざる得なかった。
3人のことも置いていったのか。もちろんそんな、投げやりでなんの脈絡もなく、ということではないにせよ、猛スピードでまるで夜逃げみたいにドタバタと飛び立っていった彼の姿をみると、置き去りにしていった、と思ってしまう気持ちがある。

もちろん彼のファンだった人の目線からは違うものが見えているはずだから、いまの「NEWS」のことをいちばんに考えているやつの主観で語ることしかできない。ごめんだけど「置いてかれたな」って気持ちは、きっと払拭できない。
そして、3人がメッセージを動画で上げた。見た。泣いた。
それとあまり時間を異にせず、彼はSNSから発信をした。今日はまだ退所してないのでは? 早くない? どういう意図で、そういうbioとツイートにするって決定したのかは分からないけれど、温度差がすさまじい。
昨日のライブ配信みた? 2500円払ってあげるから見てよ。見たんだとしたら、じゃあこれはわざとなの?
とにかく混乱が増幅した。
応援したい、っていう、気持ちが少し踏みにじられた感じがしてしまった。
とはいえ、彼がいう週明けの発信内容を聞くまでは、何も判断ができないとも思った。

だから月曜日には意見がうんと変わっているかもしれない。それでも、あの瞬間のショックと混乱と悲しみも、4人のNEWS同様、なくなるわけじゃない。後出しじゃんけんはしたくないから、いまのうちに残しておきたかった。

19日の夜も、私(たち)は寝ないで朝を迎えた。朝どころか昼まで迎えそうだった。ひたすらいろんな話をした。いまの私たちにとって、NEWSは人生の一部だった。
親友か、あるいは家族の死と同等くらいの衝撃をどうにか受け止めようとしていた。怒ったり、笑ったり、泣いたり、2秒おきに変わる感情とたたかっていた。(今もたたかっているけど。)

どうしてなんだろう。
これは答えの出しようがないことだけど、考えてしまう事でもある。様々に飛び交う不確かな情報の中で、心を落ち着けたくて、あらゆる可能性を考えていた。
それでも今まで見てきた、あの嘘のない彼の言動と、今目の前にある彼に関する情報は別人のように思えて、一層謎が深まるばかりだった。
そんな「考察」を続ける中で、4人のバランスや、考え方や、思考の方向性についての予測をした。その時にしたたとえ話が、実は一番書き留めておきたかった(ここまでですでに5000文字近い)

こっから先は特により一層個人的な意見なので、解釈の不一致とかあるだろうけど、その場合はそっとページを閉じて、君もブログを書きたまえ。

考え方について「基本的なギョウザのレシピがあった時に4人はそれぞれどうするだろうか」というたとえ話をした。
小山さんは一言でいうと「キャベツ多めのギョウザが好きな人」。
まずレシピ通りに作ってみて、あ、違うな、ってなる。次からちょっとずつ改良してみる。最終的にキャベツ多めぐらいが好みと気付く。
自分にとっての理想のギョウザを完成させる。着実に、堅実に。そしてそのギョウザは「そんなに基本から外れていなくていい」そして「自分が美味しければいい」。仮に他のメンバーに食べさせて美味しくないと言われたら、自分が食べるからいいや、となる。ある意味自己完結なのかな、という印象。
けれど、試作過程を全部見せてくれる人でもある。「キャベツ多め」に辿り着くまでのすべてのプロセスを私たちやメンバーは知ることができる。

増田さんは「エビギョウザを作りたい人」。
まずレシピ通りに作って、食べて、あ、違うな。って思うまでは一緒。そしてどう違うのかを想像してみる。その想像通りのものを作りたい、が増田さんのゴールになる。
その想像を実行するには、情報や知識が足らない、というときは、もっとこうしたい、こういうのが食べたい、というのを人に伝えて、アドバイスをもらって、もう一度作ってみる。そのギョウザは「かなり基本から外れている」そして「みんなに美味しいか確認してほしい」。自分はこれで美味しいし満足だけど、みんなに美味しいと言ってもらいたい。美味しいという言葉を確認するまでは、彼の理想のギョウザは完成しない。

加藤さんは「キャベツより白菜のギョウザ派」。
まずレシピ通りに作って、食べて、これはもっと美味しくできる、と思う。そのために経験と知識、そしてないものは情報を集め、時には人にも聞いて、調べた結果、これが一番美味しいのではないか、というレシピの予測を立てる。
それが一度で上手くいかない場合もあるかもしれないが、成功したときそのギョウザは「基本の材料からは一味違うひねりがある」そして「それは人に食べさせても絶対うまいという自信がある」。自分が美味しいと思ったものは誰が食べたって美味しいという発想。そうじゃなければ、自分の美味しいと人の美味しいが重なるところまで、探求をやめない。

ではさて、手越くんはというと「最終的にはギョウザをつくらない」。
まずレシピ通りに作らない。目の前に並んだ材料を見た時点で、あっと驚くギョウザをつくりたいと思う。キャベツより白菜かな、豚より合挽が好き、配分も肉多めにしよう、調味料も自分好みに変えよう。ギョウザの皮も変える、焼き時間も変える。レシピを見たところでギョウザを上手に包めないから(思考のたとえであって実際の不器用さとは関係ない)、またそこでアレンジを加える。結果そのギョウザは失敗に終わる。
「ギョウザをどうせ作るなら、人並みではないギョウザがいい」そして「それが失敗したならギョウザはもうつくらない」。次に何をつくろうか、彼は考え始める。

ギョウザをつくらない彼がギョウザを食べたいとき、その時は他の3人の誰かがギョウザを作ってくれる。そして、彼はそれを美味しそうに食べる。彼はギョウザをえり好みしたりしない。でも自分でつくるなら最強にしたい。でもまどろっこしいから試作とかはしない。勢いでやる。今持ちうる感覚でやる。
それは別に悪くないと思っている。全然いいと思う。適材適所を分かっている言動だと思う。自分が美味しく作れるものに出会うまで歩みを止めないであろう、その姿勢もポジティブさだ。そして、ちゃんと、3人のうちの誰かが後ろでギョウザを作ってくれると信じて振り向かずにダッシュする様は信頼だ。
まあ基本をかっ飛ばすあたりがせっかちなのだけど。
とにかく、4人のそういう思考のバランスがいいから、各々が無理にそれを変えなくたって大丈夫だと思っていた。

じゃあグループから離れたら? そう思ったときに、常々いちばんひとりにするのが心配だった人が、離れていってしまったと思った。
先頭切って走っていく、文字通り走っていく彼に後ろから、止まれって言ってくれる人はいるのだろうか。ギョウザを作ってくれる人はいるんだろうか。いつも盾のように3人の前に立ち、向かい風を一身に受け、弱音を吐かず、自ら歩みを止めることはない人。早く成長するために、階段を5段飛ばしでのぼる人。
4人の思考を例えてみたとき、あまりにも、彼は強さの求めすぎるあまりに脆くなっているような気がしてならなかった。
どれだけ最強の必殺技を習得しても、レベル上げしてても、当の本人が装備なしで、HPもいつも瀕死寸前なんじゃ、意味ないじゃないか。
こういう結果になってしまう前から言っていたことだけれど、彼は自分を強くするために自分を大事にしなさすぎる気がする。そして他人に優しすぎる。言葉を選ばずに言えば、愚かだとすら思う。そんなところがかっこよくもあり、愛しくもあるわけだけど。
とにかく、彼のこれからが心配で仕方なくなった。ショックを受けたって、悲しい気持ちにさせられたって、大好きな人の未来のことなのは変わらない。

月曜日に一体どんなことを彼が発信しようとしているのかは分からない。聞きたいけど怖い。でも聞きたい。聞いて判断しないといけない。
ここにつらつら書いた通り、3人を守りたい、応援したい、飛び立っていった人に怒りをぶつけたい、でも応援したい、でも心配。色んな感情が一気に押し寄せてきている。この2日でこの先5年分くらいのため息ついた。

最初に書いた通り、私はNEWSを応援し続ける。3人は謝ったけれど、そもそも謝る必要なんかない、とすら思う。あんな顔してほしくない。NEWSには感謝しかない。とにかく大好きだし、それをどうにか見える形で伝えたくって、色んな行動を起こしてる。自分自身の精神統一のためでもあるけど(同居人の行動力はそれを上回っていて、それもまた私の活力である。持つべきものは志を共にする友人ですね)。
とにかく、誰に何て言われようが、NEWSは常に最高を更新し続けていて、最高のグループである。大好きじゃ収まらないくらい大好き。抱きしめられるなら抱きしめたい。泣いたり悲しんだり落ち込んだりしている時間ができるだけ少なくなるようにしてあげたい。なんも心配いらないよ、って教えてあげたい。君たちは最高だ。大好きだ。
この気持ちは月曜日を超えても変わることがない。結局は、飛び立っていった彼のことをどう応援していくのか、ということについての変化になると思う。

3人にちゃんと納得できるだけの、気持ちを整理するだけの時間があったのだろうか。私から見える限り、彼は凄まじいスピードで突然いなくなってしまったように見える。
仮にいずれ、こういう結果が訪れることが確定だったとして、今がそのタイミングだったんだろうか。せめてもっと別れを惜しんだり、考えたり、噛み締めたりする時間を設けることは出来なかったんだろうか。それは私に、ではなくて、メンバーと、そして手越担に対して。あの愛にあふれている彼の今回の選択においての愛はどこにあったんだろうか。そこに納得がいく答えがもらえるのか。
とにかく去ったこと自体ではなく「去り方」への疑問や懸念の方が大きいということは確かだ。

答え合わせがしたいわけじゃない、というきれいごとを言うつもりはないが、せめて、救いが欲しい。たとえ「3人」と「1人」に分かれた道を行くとしても、私はこれからも「4人」を応援している自分でいられたらと思う。
月曜日に起こされるアクションによって、せめてこの望みが絶たれないことだけを願う。

言い足りないのでもう一度言う。私はこれからもNEWSが大好きだ。自慢の推したちだ。胸を張っていちばんだと言える、好きになってよかったと言える、最高で最強のグループだ。

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あまりにもまとまらなすぎて、散らかっているし長いね。
最後まで読んでくれた人がいたら、ありがとう。愛してるぜ。

ぼんすけでした。Salut!

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