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はじめまして、note

昨年は、喜びも驚きも悲しみなど色々盛り沢山な1年だったかな。
2021年を振り返って思う事。
忘れたくないこの気持ちを、ここに書いて何になるのかわからないけれど…
この21年の事を書かないと、これから先の事を書けない気もするし、過去も振り返れない気がする。

3月までは大手ディーラーの案内係で働いた私だけど、業務内容についていけず、インカムつけて、電話取って、コロナ対策を万全にする。パンプスを履かなきゃならないし、仕事終わりには足の指が悲鳴をあげていたし耳も遠くなっている。
他にも色々あるけれど、続ける自信がなく辞めてしまった。
─ほんとうに辞めて良かったのか…
2年半ほどのキャリアのなかにお客様をもてなす事、正しい言葉使いなどが習得できた事は普段の生活の中にあって生かされるものであると感じている

年のはじめには長女の友だちが泊まりにきていた。幼稚園からのずっとずっと
仲良くしていたお友だち。そのママとも仲良しで遊びにもよく行く。
でも、おつきあいが途絶えてしまった。
春頃に娘がお友だちと絶交したから。
─後悔はないのだろうか?復縁は無理なのだろうか?

4月に次女は社会人となった。全国展開の企業だから、入社まもなく研修では全国各営業所巡り。コロナで緊急事態宣言の中、社会的に不安な毎日、母として心配しかできなかった。
6月に福岡営業所勤務の辞令で、瞬きする間もなく福岡へ行ってしまった。
次女の彼氏はなかなか素敵な子だった
めめしいと娘は言うけど、大人としてしっかり会話ができて、お話してても楽しい子。遠距離恋愛にはお互い向かないとの事で別れてしまった。
─残念に思う。

同じ6月には、長女が大学からおつきあいしていた方と結婚。
籍をいれて、姓がかわった。
比較的近いところに住んでくれているから、私の気持ちは安心できている。
彼は温和で、娘をよくわかってくれていて、共通する考えの持ち主だから
娘は幸せになれると思う。
─彼の両親からも娘のように可愛がってもらっていて、本当の娘がいなくて良かったと思う

娘たちのいない生活の中で、私の心の支えというか、癒やしでいてくれたのは、
雄のトイプードルのAndy
15歳の高齢犬,
仕事を辞めてずっと介護が必要な状態だった。
彼は比較的うしろ足が長くて、少しバランスが悪いのか、背中をまあるくしている事が多かったから、年と共に腰を患っていた。
よく転んで、年明けからは日に日に出来ないことが増えていき、7月には自力で立つことも出来なくなってしまった。
でも、寝かせておくばかりでは増々弱るばかりだから、夫とふたりで車椅子を作ってあげることにした。
試行錯誤を繰り返し、安全に快適に自由に動き回る事を取り戻せたなら、きっとまた元気になってまだまだ私と時を重ねてくれると信じたから。
夫は手先が器用な人でDIYのセンスも道具の使い方も抜群な建築士。私はアイデア出したりやデザインをする事が大好きでアパレルデザイナーの経験から立体裁断や型紙起こし、縫製も得意な私ならできる!タッグを組めば最強だったと思う。

写真にある車椅子1号では、真っ直ぐに進むだけで曲がったりができないので机や椅子にすぐぶつかってしまうけど、動き回る姿を久しぶりに見ることができて、幸せだった。お散歩にも行くことができたし、自分で排尿、排便もできるから、喜んでいるようにも見えた。
もっともっと快適に動き回る車椅子を作ってあげる!私の心は、やり遂げる気持ちに燃えていた!

週末にAndyと私は山にハイキング行く事が多かった。私はダイエットを目的としていたけど、人の来ない脇道に入りリードを外してAndyと走り回ったりかくれんぼしたりする時間が楽しかった。絶対もう一度連れて行ってあげたい!

7月の末頃になると、Andyは何も食べてくれなくなった。お医者さんは腎臓がおそらく悪くなっていて食べ物を受け付けないのか?はっきりした事はわかりませんが治療法としては、人工透析の処置もあります。
でも、遠くに行かないといけません。
腰も痛んでいるでしょう。食べないという
意志がこの子なりにあるのかもしれない。
全く食べないというのも不思議。
でも食べないと死にます。どうしますか?
点滴で栄養と腎臓の機能回復の薬を取るのは3日間。また時間をあけて様子みる。注射器で食べ物を流し込む。とお医者さんが提案してくれた。

注射器でお口に流し込み作戦より、私の指にペーストな食べ物を乗せて、口の中に入れてあげると効率よく栄養を取ることができる事を発見した。朝晩食べさせるだけで
1時間半くらいかけていたから。
元気になるかも!

私はずっとずっと彼に寄り添っていた。
夜中になると、ママと呼ばれる日も多かったから夜中の2時3時に車椅子に乗せては
散歩に出かけた。オシッコして色んな匂いを嗅いでいたりする日常の姿。まだまだやれる!希望はある!と思う日々
夏の暑さにも負けないでいた。

長女の引っ越しがあって、長女の飼っているハムスターを預っていた。Andyの介護とハムスターの2匹の飼育。どっちも大丈夫、ちゃんとお世話をするつもりだった。
朝、夫が仕事に行くのを送り出してから部屋の掃除を始める前にハムスターのケージの扉が開いていて、中にいるはずの子がいなくなっていた事に気がついた。
開いた扉から床までの高さは1m以上あってそこから落ちたなら命がない。
娘に泣きながら電話をして説明した。
ごめんなさいごめんなさい。とほぼパニックだった。

落ち着いて!落ちて死んでないなら、どこかにかくれて寝ているはず、私が行って探すから大丈夫。待ってて!と娘は言ってくれたけど…

Andyは朝から車椅子に乗って、お散歩待ちをしていた。
昨夜は、なぜか寝てくれず
ママ(ワンワ)〜ママ(ワンワ)〜と言うばかりで外へ出ても何しても落ち着かなかったから、車椅子に乗せていると
グルグル部屋の中を走り回っていた。
「ごめん。Andyもうママ疲れちゃった」
そんな事をつぶやきながら、リビングのソファで寝落ちていた。

とにかくハムちゃん探さなきゃの
一身だった。寝違えてた首がすごく痛んでいて右を向くこともできずにいたはずだったけど、必死に家具の隙間に懐中電灯をあてて家中覗き込んで探し続けていた時、
「わん」と今まで聞いたことのない声で
吠えた。Andyのところに走ったら
首がぐったりとしてて、抱き上げながら
誰か助けて!隣に住んでいる両親に聞こえるように叫んだ。電話もしようとしたけど手が震えてしまって、どこを押していいかもわからないまま、とにかく叫んでいたら娘は帰ってきた。尋常じゃない私の声にあわててかけよってくれてAndy?と声をかけたら少し目が開いて娘の顔をみあげた。
ママ生きてる!Andy生きてる!病院行こう!とりあえずかかえてふたりで走った。
歩いて5分くらいのAndyの病院。

残念ながらもう亡くなっています。

生きてます!もう一度もう一度見て下さい
とかぎゃんぎゃん泣いていたと思う。

でも8月22日に虹の橋を渡っていったけれど、かけがえのない家族で今も彼がいない事は寂しい悲しいやるせない思い。
そして、忘れられない。
でも食べなくなってから10日以上も頑張って生きてくれてた。亡くなる前の晩に騒いだのもきっとハムスターの事を私に伝えようとしていた為。

─改良を重ねてできた、Andy車椅子2号は
たった1回乗っただけだった。
Andyの体にそった無駄のないフォルムで
動きやすさを追求してできた。
捨てる事もできず、使う事もない。

暑い夏が終わって、夫と二人だけの生活になって、仕事も辞めているから
日々何をすればいいのかわからない。
もちろん主婦はしている。(必要最低限)
社会復帰も考えているけど
怖かった思いや役にたてない仕事ぶりに
トラウマもある。
新たにワンコを迎える事も考えるけど
命の重たさも感じる。
夫とも何も話さない毎日。

人生迷子。

追伸 行方不明だったハムスターは、夫が仕事から帰って見つけてくれた。
前足をややかばっているようだったけど
今も長女の家で元気にしている。足も自然治癒した。
高いところから落ちているのに無事だった事は私の救いだった。

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